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五月
テスト週間.1
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「おい、待てこら」
「……なに」
奏が不満げに眉をひそめた。
「なんで当然みたいにまたキスしようとしてんだ」
お約束の場所、夕暮れの第二閉架図書室。
今日は瑠璃のほうが先に着いていた。
少しずつ暖かくなってきた気温に、まだ五月病が抜けきらない身体を馴染ませるべく、だらだらとソファで寝そべりながら天井を眺めていた。
ぱたぱたとアーモンド形の目を緩慢に瞬きさせていれば、ぬっと奏の端正な顔が視界に突然現れて、慌てて彼の口元を手で覆った。
少しでも反応が遅れれば、昨日のようにキスされていたことに、瑠璃は怪訝そうに口をへの字に曲げた。
「……駄目な理由でもある?」
掌にかかる奏の吐息の生々しさに、もぞもぞと指先を動かした。
「嫌になった?」
奏の言葉に、瑠璃は困ったように眉をさげた。
今までも奏のことはよくわからなかったけど、本気で奏の考えていることがわかんねぇ。
この前の一回のキスは奏の単なる気まぐれではなかったのか。
どうして彼がまた性懲りもなく瑠璃に口づけしようとしているのかが、欠片も理解できず、困惑気味に尋ねる。
「いや、嫌っていうか……普通、キスって恋人同士がするもんだと思ってたんだけど。俺の認識がおかしいのか?」
そこで初めて、奏とのキスは瑠璃にとってのファーストキスだったことを自覚した。
別にファーストだろうと、ワンハンドレッドスだろうと、唇が取れるわけでもないから特段、瑠璃が落ち込むようなことでもないが。
ただ、瑠璃の不快かそうじゃないかに関わらず、一般的に恋人同士でもない二人が何度も理由もなくキスを交わすことが、異常、だということは知っている。
「……だから秘密になるんだろ。恋人同士じゃないのに、してるから。僕はキスがしたいってよりも秘密を増やしたい」
当然のように奏は言った。
そういえばそうだったと、瑠璃は彼の言葉を反芻させる。
奏は瑠璃と秘密を共有するのが目的なのだ。誰にも言えない秘密を作れたのならば、なんでもよかった。
たまたま隣の部屋にいたカップルがキスをしていたから、キスを選んだだけ。
きっとカップルたちがもっと別の、例えば互いのシャープペンの交換みたいな可愛らしいものだったら、奏はそれを選んでいた可能性だってある。
「筋は通ってる……のか?」
そうなると、現状、嫌悪感が特に湧かない瑠璃に彼を止める理由はない。
そう結論付けた瑠璃に、奏は勝ち誇ったような表情で自分の口を塞ぐ瑠璃の手をとんとんとつついた。
「これ、邪魔」
「……はいはい」
これ以上、拒む必要なしと判断した瑠璃は、まるで面倒な謎かけを前にしたようにため息をついてから、そっと手を外した。
「いい?」
「まあ……釈然としない気分だけど、どーぞ」
唇が重なる。
奏の唇は柔らかくて、吸い付いてくるかのように心地がいい。手触りの良い布に触れているみたいだ。
信じがたかった奏とキスをしたという事実は、一度、皮膚がひっつきあえば、まるで水を得た魚のようにすぐに熱を帯びて、まざまざと瑠璃に自覚をもたらす。
瑠璃は閉じていた瞼をあげた。
琥珀のような双眸と視線が交わる。
鏡のように自分の瞳が映り込んでいて、まるで合わせ鏡のように永遠に互いの姿が反復しているかのような錯覚に陥る。
こいつ、キスしてるとき目を開けてるタイプかよ。
その底知れない深い樹脂を煮詰めたようなとろりとした色彩の奥は不透明で、のぞき込めば、逆に引きずり込まれる深淵みたいに、瑠璃は視線を逸らすことができなかった。
それはきっと、瑠璃のような平々凡々な単調な人生を歩んできた学生には、幼い頃に暗い押し入れの奥を目の当たりにしたような恐れさえ感じさせる。
少しして顔が離れていくと、瑠璃は口を開きかけた。
「お前は、どうして―――」
どうして、奏は瑠璃との秘密にこだわるのか。
いや、それを聞くべきではない。
瑠璃は甘く湿った唇を擦り合わせるように閉じた。
尋ねようとしたそれは、同時に今まで瑠璃が一途に守り続けてきた他者との境界線を越える、彼のプライベートに踏み込む疑問だった。
すんでのところで、瑠璃は躊躇した。
「……なに?」
「――いや、なんでもない。今日、珍しく遅かったな」
まるで何もなかったような顔をして、瑠璃は身体を起こす。
「途中で捕まって」
「何に?」
奏は一瞬、話したくなさそうに、くわっと顔をしかめて
「……告白」
と吐き捨てた。
「……あー」
「ほらな。そういう顔する!」
瑠璃の気まずさを隠さない、あからさまに視線を外したような居たたまれない表情を奏は鋭く睨みつけた。
すぐさまごめんごめん、と瑠璃は弁解する。
「面白いわけじゃないんだけどさ、お前と話すようになってまだ一ヶ月半なのに、告白された回数数えきれなくなってきてるもんだから、つい」
「数えてたのかよ。悪趣味だなお前」
「奏にだけは言われたくないね。それ」
奏はため息をつくと、鞄の中から持ってきたゲーム機を取り出して電源ボタンを押してから、あ、と小さく声をあげた。
「充電ない。瑠璃~。充電器ある?」
「ん? あぁ、はい。充電忘れんなよ」
「ありがと」
ふと視線を感じて瑠璃が顔をあげると、充電しているゲーム機をくるくると回してて手遊びしながら、瑠璃をぼんやりと見つめる奏と目があって、「……なに?」と小首をかしげた。
「んー? きれーな顔してんなと思って」
「……はぁ? お前がそれいう?」
「いや、ほんと。なんていうの、こうさらさらした黒髪とかさ。ちょっとした所作とかに雰囲気があるっていうか……雰囲気イケメン?」
「褒めてんのか貶してんのかわかんねぇわ」
「褒めてる褒めてる」
奏は瑠璃の耳のすぐ横を通る襟足を梳くように指先で掬って遊ぶ。
まるで毛糸玉を転がす猫みたいで、瑠璃はちらりとそれを一瞥してからまたゲーム機に目を落とした。
「瑠璃って彼女いないんだっけ?」
「いない」
「好きな女子は?」
「いないな」
答えながら、瑠璃は次々とゲーム画面の中の敵を倒していく。
つまらなそうに奏は天井を仰いだ。
「なんで?」
「それを言うんだったらお前もだろ。なんで、告白してくる女子全部断ってんだよ。選び放題だろ」
「僕は……僕は……さぁ、なんでだろ」
まるで奏自身もよくわかっていないようだった。
それきり、その話題は終わってしまった。
帰りがけ、瑠璃は思い出したように言った。
「明日から俺、来られねぇから」
しばらく奏は思案したあと、
「ああ、そういや、あと一週間で中間テストか。なに、おまえ勉強すんの?」
「誰かさんと違って、天才的な頭脳は持ってないからな。さすがに下位はとりたくねぇ」
「野菜苦手だからじゃね? ピーマン食べろよ」
「うっせ!」
「……なに」
奏が不満げに眉をひそめた。
「なんで当然みたいにまたキスしようとしてんだ」
お約束の場所、夕暮れの第二閉架図書室。
今日は瑠璃のほうが先に着いていた。
少しずつ暖かくなってきた気温に、まだ五月病が抜けきらない身体を馴染ませるべく、だらだらとソファで寝そべりながら天井を眺めていた。
ぱたぱたとアーモンド形の目を緩慢に瞬きさせていれば、ぬっと奏の端正な顔が視界に突然現れて、慌てて彼の口元を手で覆った。
少しでも反応が遅れれば、昨日のようにキスされていたことに、瑠璃は怪訝そうに口をへの字に曲げた。
「……駄目な理由でもある?」
掌にかかる奏の吐息の生々しさに、もぞもぞと指先を動かした。
「嫌になった?」
奏の言葉に、瑠璃は困ったように眉をさげた。
今までも奏のことはよくわからなかったけど、本気で奏の考えていることがわかんねぇ。
この前の一回のキスは奏の単なる気まぐれではなかったのか。
どうして彼がまた性懲りもなく瑠璃に口づけしようとしているのかが、欠片も理解できず、困惑気味に尋ねる。
「いや、嫌っていうか……普通、キスって恋人同士がするもんだと思ってたんだけど。俺の認識がおかしいのか?」
そこで初めて、奏とのキスは瑠璃にとってのファーストキスだったことを自覚した。
別にファーストだろうと、ワンハンドレッドスだろうと、唇が取れるわけでもないから特段、瑠璃が落ち込むようなことでもないが。
ただ、瑠璃の不快かそうじゃないかに関わらず、一般的に恋人同士でもない二人が何度も理由もなくキスを交わすことが、異常、だということは知っている。
「……だから秘密になるんだろ。恋人同士じゃないのに、してるから。僕はキスがしたいってよりも秘密を増やしたい」
当然のように奏は言った。
そういえばそうだったと、瑠璃は彼の言葉を反芻させる。
奏は瑠璃と秘密を共有するのが目的なのだ。誰にも言えない秘密を作れたのならば、なんでもよかった。
たまたま隣の部屋にいたカップルがキスをしていたから、キスを選んだだけ。
きっとカップルたちがもっと別の、例えば互いのシャープペンの交換みたいな可愛らしいものだったら、奏はそれを選んでいた可能性だってある。
「筋は通ってる……のか?」
そうなると、現状、嫌悪感が特に湧かない瑠璃に彼を止める理由はない。
そう結論付けた瑠璃に、奏は勝ち誇ったような表情で自分の口を塞ぐ瑠璃の手をとんとんとつついた。
「これ、邪魔」
「……はいはい」
これ以上、拒む必要なしと判断した瑠璃は、まるで面倒な謎かけを前にしたようにため息をついてから、そっと手を外した。
「いい?」
「まあ……釈然としない気分だけど、どーぞ」
唇が重なる。
奏の唇は柔らかくて、吸い付いてくるかのように心地がいい。手触りの良い布に触れているみたいだ。
信じがたかった奏とキスをしたという事実は、一度、皮膚がひっつきあえば、まるで水を得た魚のようにすぐに熱を帯びて、まざまざと瑠璃に自覚をもたらす。
瑠璃は閉じていた瞼をあげた。
琥珀のような双眸と視線が交わる。
鏡のように自分の瞳が映り込んでいて、まるで合わせ鏡のように永遠に互いの姿が反復しているかのような錯覚に陥る。
こいつ、キスしてるとき目を開けてるタイプかよ。
その底知れない深い樹脂を煮詰めたようなとろりとした色彩の奥は不透明で、のぞき込めば、逆に引きずり込まれる深淵みたいに、瑠璃は視線を逸らすことができなかった。
それはきっと、瑠璃のような平々凡々な単調な人生を歩んできた学生には、幼い頃に暗い押し入れの奥を目の当たりにしたような恐れさえ感じさせる。
少しして顔が離れていくと、瑠璃は口を開きかけた。
「お前は、どうして―――」
どうして、奏は瑠璃との秘密にこだわるのか。
いや、それを聞くべきではない。
瑠璃は甘く湿った唇を擦り合わせるように閉じた。
尋ねようとしたそれは、同時に今まで瑠璃が一途に守り続けてきた他者との境界線を越える、彼のプライベートに踏み込む疑問だった。
すんでのところで、瑠璃は躊躇した。
「……なに?」
「――いや、なんでもない。今日、珍しく遅かったな」
まるで何もなかったような顔をして、瑠璃は身体を起こす。
「途中で捕まって」
「何に?」
奏は一瞬、話したくなさそうに、くわっと顔をしかめて
「……告白」
と吐き捨てた。
「……あー」
「ほらな。そういう顔する!」
瑠璃の気まずさを隠さない、あからさまに視線を外したような居たたまれない表情を奏は鋭く睨みつけた。
すぐさまごめんごめん、と瑠璃は弁解する。
「面白いわけじゃないんだけどさ、お前と話すようになってまだ一ヶ月半なのに、告白された回数数えきれなくなってきてるもんだから、つい」
「数えてたのかよ。悪趣味だなお前」
「奏にだけは言われたくないね。それ」
奏はため息をつくと、鞄の中から持ってきたゲーム機を取り出して電源ボタンを押してから、あ、と小さく声をあげた。
「充電ない。瑠璃~。充電器ある?」
「ん? あぁ、はい。充電忘れんなよ」
「ありがと」
ふと視線を感じて瑠璃が顔をあげると、充電しているゲーム機をくるくると回してて手遊びしながら、瑠璃をぼんやりと見つめる奏と目があって、「……なに?」と小首をかしげた。
「んー? きれーな顔してんなと思って」
「……はぁ? お前がそれいう?」
「いや、ほんと。なんていうの、こうさらさらした黒髪とかさ。ちょっとした所作とかに雰囲気があるっていうか……雰囲気イケメン?」
「褒めてんのか貶してんのかわかんねぇわ」
「褒めてる褒めてる」
奏は瑠璃の耳のすぐ横を通る襟足を梳くように指先で掬って遊ぶ。
まるで毛糸玉を転がす猫みたいで、瑠璃はちらりとそれを一瞥してからまたゲーム機に目を落とした。
「瑠璃って彼女いないんだっけ?」
「いない」
「好きな女子は?」
「いないな」
答えながら、瑠璃は次々とゲーム画面の中の敵を倒していく。
つまらなそうに奏は天井を仰いだ。
「なんで?」
「それを言うんだったらお前もだろ。なんで、告白してくる女子全部断ってんだよ。選び放題だろ」
「僕は……僕は……さぁ、なんでだろ」
まるで奏自身もよくわかっていないようだった。
それきり、その話題は終わってしまった。
帰りがけ、瑠璃は思い出したように言った。
「明日から俺、来られねぇから」
しばらく奏は思案したあと、
「ああ、そういや、あと一週間で中間テストか。なに、おまえ勉強すんの?」
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