フリーデン帝国の平和な出来事

ちまき

文字の大きさ
20 / 33
皇太子の婚約者は暗殺者?

19.素の声が出た

しおりを挟む
「おはようシャオヤオ、よく眠れたかい?」
 
 食事と着替えを済ませたシャオヤオは、自分を恭しく世話をしてくれるメイドに案内されてある部屋へと入った。そこはダスティシュの執務室で、シャオヤオも時折そこで仕事の話を聞いていた。
 今、執務室にあったはずのダスティシュご自慢の趣味が理解できない置物の類は一掃され、紙の束が所狭しと並んでいる。ダスティシュがふんぞり返っていた椅子には皇太子が座っていて、机の広げられた書類に何やら書き付けていた。
 部屋には皇太子とシャオヤオしかいない。案内してくれたメイドは、お茶を用意した他のメイドと共に部屋から出て行った。

「セドリックはいないの?」
「まぁた俺以外の名前は呼ぶ…。予測はしていたけど強行軍になったからな、セドリックはバイトもあるから帝都で留守番」
「バイト…。王宮でもないのに皇太子様が1人で不用心じゃないって言いたいのだけど」
「王宮でも完全に安全な場所は少ないさ。でも今に限って言えば、この部屋は帝国内で最も安全な場所の一つだから、シャオヤオも安心してくれ」
「っ!」
 
 言いながら皇太子がペンを持つ右手とは逆の手をスッと軽く上へと上げる。その瞬間、部屋の中にいる人の気配が一つ増えてシャオヤオは思わず飛び退いた。
 増えた気配の方を見れば、そこにはあの白い装束の男……コハクがいた。さっきまでは誰も、気配すらなかったはずなのに。

「顔色は多少良くなったようだが、万全ではない。感知が遅れるのも仕方ない」
 
 コハクは腕を組んで壁に寄り掛かって静かに話す。
 シャオヤオには隠されたコハクの目は見えないが、コハクからはシャオヤオの顔色までしっかりと見えているらしい。

「俺が気になるなら姿は消すが姫には前例があるからな、姿を見せている方が反って落ち着くだろう。警戒はこちらがするから、話に集中してくれ」
「は、はぁ…」
「潜んでいるコハクさんの気配なんて俺には全く分からないから。最初の時、シャオヤオが急に上を向くから俺もセドリックも驚いたものだよ」
「今時分の暗殺者としては、良い感をしている」
 
 フッとコハクから静かに笑みが零れるのを見て、シャオヤオは思い出した。最初に皇太子からなりすましのとんでも話を持ち掛けられた時、不意に天井裏が気になった事を。
 誰かが居る気がしたのだが、確信を持てず、結局気のせいにしたのだ。今の会話を聞くに、気のせいではなったわけで…。
 シャオヤオは皇太子を見る。その視線に気付いて、皇太子がニッコリと笑う。

「彼はコハクさん。俺が個人的に雇っているフリーの何でも屋で主に情報収集をしてくれいている。後は必要に応じて昨日みたいな護衛なんかも」
「何でも屋…」
「前職はその内、本人と仲良くなってから直接聞くといい」
 
 どう考えても前職は暗殺者だろう。気配の絶ち方に音を立てない身のこなし、シャオヤオが叩き込まれた技のそれだ。同じモノとは思えない程、あちらは完全に極めた高みにいるのだが。
 どう言う経緯で何でも屋なんて立場で皇太子に雇われているのか気になるところではあるが、シャオヤオには優先する事がある。いたらいたでかなり気になる存在だが、周囲の警戒をコハクに任せていいのなら、疲労が抜け切れていないシャオヤオより確実なのは確かだ。会話に集中出来る。
 一度ゆっくり呼吸して気持ちを立て直す。

「ムーダンの事、教えてほしい」
「帝都の帝国病院にいる。そこで治療を受けているよ」
 
 ペンを置きながら皇太子は答えた。
 部屋の置かれていた向い合うソファーの一つをシャオヤオに進め、皇太子も対面に座る。2人の間にあるテーブルには先程出て行ったメイドが用意してくれたお茶…幾つかのカップとお茶が入ったポットがあり、皇太子が手ずから3人分を淹れる。皇太子とシャオヤオ、それからコハクの分だ。

「順を追って説明すると長くなるから、まずはムーダンについてだけにしよう。後2時間もしない内に帝都に帰る準備が整うから、説明は船の上ででも」
「分かった」
 
 素直にお茶を受け取りながらシャオヤオは頷いた。
 コハクは壁に寄り掛かりながらお茶を静かに飲んでいる。あれで周囲の警戒は全く綻んでいないのだから、やはり、言っては失礼だが化け物だ。

「ムーダンを保護したのは建国祭の日。シャオヤオとダスティシュの身柄を確保したその時だから、二月ほど前だ」
「そんな前から…」
「帝国病院で用意し得る環境と出来得る治療を用意した。医師達の見解を先に言うと、ムーダンの視力が完全に回復する事はないそうだ。代わりに、これ以上悪くなる事も無いと」
「病気は、治るの?」
「結論から言うと、視力低下の原因は栄養失調だ」
「栄養失調!? そんな、ムーダンにはちゃんと食べさせて…」
「それでも、君達の環境で手に入る食事では栄養に偏りが生じていた。個人差があるので必ずしも症状が出る訳ではないらしい。現に、屋敷にいた他の孤児達にも症状が出ている子と出ていない子がいて、出ている症状も視力に限っていない」
「孤児…を…?」
「かろうじて元気と言える子はまず屋敷で静養させていたが、見なかったかい? 君の部屋から見える所で遊ばせるようにしていたけど」
 
 自分がどんな表情をしているのか、シャオヤオには分からない。
 ダスティシュ領にいる孤児はシャオヤオ達難民団の子供だけではない。不定期に何処からともなく連れて来られ、シャオヤオ達と同じく屋敷で放置され、生き残りを強いられていた。ムーダンを優先してきたシャオヤオは、孤児達に対して今更善人ぶった言葉を使うつもりはない。
 でも、思うところが無かったわけではないのだ。ずっと、ずっと…。

「あり、がとう…」
 
 それはムーダンの事か、孤児達の事か。
 自分でも分からないままに、その言葉がシャオヤオの口から出ていた。

「孤児達の今後の事はこちらに任せてくれ。ムーダンの事も、顔を見るまで安心できないだろうが、一先ず心配しなくていいとだけ理解してほしい」
 
 皇太子の言葉にシャオヤオはコクリと頷いた。
 直接ムーダンに会わない限り完全に安心する事はない。だが軍人に肩車をしてもらって遊ぶ孤児達の姿を見たお陰で、焦る心はかなり抑えられている。
 まだ状況は分からない事が多いが、少なくとも孤児達を助けてくれた事は分かる。助けておいて、ダスティシュ以上に酷い事はしないだろう。だったら最初からわざわざ助けていないはずだから。
 ムーダンの事もそう。本当に病院で治療させてくれているのなら、その後の事も悪いようにはしないはず。例えシャオヤオがどのように罰せられたとしても、ムーダンだけは…。

「ラウレンティウス」
 
 静寂が流れていたところにコハクが皇太子を呼んだ。

「アズベルトが来た」
「お、来たか」
 
 コハクに告げられて皇太子は持っていたカップをテーブルに置いた。
 何処かで聞いた覚えがあるような、ないような名前。どちらにせよに、誰かが来るのかとシャオヤオが扉の向こう側へ意識を向けると、微かにこちらに向かってくる数人分の足音を拾えた。言われてやっと気付けた足音。この何でも屋は一体どの辺りから聞き付けていたのだろうか。しかもそれで人物特定までしている。
 そう思っていると、コンコンと扉がノックされる。

「どうぞ」
「失礼致します」
 
 皇太子が応えると扉が開かれ、長身の男が現れた。黒髪に、黒の執事服。彼がアズベルトだろうか? 何ともなしにシャオヤオが見ていると、黒の執事の後ろからひょっこりと別の者が顔を出す。
 綺麗な長い金髪に豪華な衣装の、とびきりの美女が。

「早かったな、アズ」
 
 思いもしない人物の登場に、シャオヤオは不覚にも口がポカンと開く。
 部屋に入って来たアズ令嬢はソファーに座っていたシャオヤオに気付くと、途端に瞳を輝かせる。笑顔も一際に輝く。顔が良いと言うのは凄い。何だが凄く眩しい。そんな彼女は何故か皇太子ではなく、シャオヤオの方へと真っ直ぐ近寄ってきた。
 シャオヤオは立ち上がって迎える。エリム夫人に叩き込まれた作法がこんな所で現れる。皇太子とあまり変わらない高身長のアズ令嬢が相手では座ったままだと見上げるのも大変だが、向かい合ってもそう変わらないかもしれない…。とびきりの美女に笑顔で見下ろされている状況に、実際以上の圧を感じる。
 しかし近くで見るとアズ令嬢、化粧っ気はあまりない。それでこれだけの美しさなのだから、元の良さの凄まじさよ。
 カツンッとアズ令嬢の踵が小気味いい音を鳴らす。

「ようやくご挨拶できます、シャオヤオ姫。ガーデンベルグ侯爵が息男、アズベルト・ガーデンベルグと申します。以後お見知りおきを」
 
 低く、心地いい澄んだ声。
 胸に手を添え一礼する姿は、幼い少女が夢物語に思い描く王子か勇者か。
 
 アズベルト・ガーデンベルグ。
 
 ガーデンベルグ侯爵の息子。

「男やんけ…」
 
 素の声が出た。
 とびきりの美人。見事に着こなしている豪華な衣装は確かに女のそれなのに、皇太子と変わらない高身長のアズ令嬢は…いや、アズベルトは間違いなく男だった。
 近くでよくよく見れば、喉仏や肩幅など美人でも確かに男の特徴がある。豪華な衣装がそれらを上手く隠していたのだ。

「はい。この身なりですが、正真正銘男です。恋愛対象も女性です。この皇子が好みでなければ、私との婚姻を前向きにお考えくださると幸いです」
「おいこら、人の婚約者を口説くな」
「この皇子は一度手に入れると決めたら徹底的に追い詰めてきます。外堀も完全に埋めて逃げられないようにします。頭がイカれているんですね」
「恰好がイカれてる奴に言われたくねぇよ」
「私なら逃がしてさしあげられます。困った時には是非我が名、アズベルトをお呼び下さい。私はか弱い女性の味方ですから」
「さり気無く人の婚約者の手を握るな。離せこのスケコマシ」
 
 目の前で繰り広げられる小芝居にシャオヤオは声も出なかった。
 内容は三文以下芝居なのだが、アズベルトがキラキラと光り輝いているせいかもうそこだけが最高峰の舞台演劇のようだ。見た事はないけれど…。
 流れるような動きでいつの間にか手を握られていたシャオヤオも一応、劇の中にいる事になるがアズベルトの眩しさに掠れていると自分でも分かる。せいぜい町娘Aと言ったところか。

「ん? あれ? 前にエリム夫人がガーデンベルグ侯爵家のご息女は帝国最強に憧れて騎士を目指しているって言っていたような…」
 
 アズ令嬢がアズ令嬢ではなくアズベルトなら、侯爵家のご息女はアズ令嬢ではなくなる。だってアズベルトはアズ令嬢ではなくアズベルトだったのだから。
 言うまでもないが、シャオヤオは混乱していた。

「それは我が妹の事ですね。お目見えする機会を頂けましたら、その際はよしなに」
「あー妹ね」
「因みにガーデンベルグ家の妹は兄とは逆で、クールな男装の麗人として有名だ」
 
 皇太子がそう教えてくれた。
 兄が女装で妹が男装。
 シャオヤオは頭痛がしてきた。何処から突っ込めばいいのか、いやいや、凄く気になるがそんな事をしている場合ではないと言うか。
 視界の端に映るコハクは何事もないようにお茶を飲んでいた。助けろよ…。

「アズベルト様、姫君が困っておられます。要件を先に申し上げるべきかと」
「お、そうだな」
 
 執事の進言にアズベルトはあっさりとシャオヤオの手を離す。あっさりとだが、何気ない、しかし紳士的で丁寧な動作がとても絵になっていたのは言うまでもない。
 執事はシャオヤオに礼を見せて、音もなくアズベルトの背後に控える。無駄のない動き。仕事が出来る人間だ…。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)

便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC” 謎多き噂の飛び交う外資系一流企業 日本内外のイケメンエリートが 集まる男のみの会社 そのイケメンエリート軍団のキャップ的存在 唯一の既婚者、中山トオルの意外なお話 中山加恋(20歳) 二十歳でトオルの妻になる 何不自由ない新婚生活だが若さゆえ好奇心旺盛 中山トオル(32歳) 17歳の加恋に一目ぼれ 加恋の二十歳の誕生日に強引に結婚する 加恋を愛し過ぎるあまりたまに壊れる 会社では群を抜くほどの超エリートが、 愛してやまない加恋ちゃんに 振り回されたり落ち込まされたり… そんなイケメンエリートの ちょっと切なくて笑えるお話

「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」

まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。 目が覚めたら、婚約破棄されていた。 理由は「地味で面白みがない」から。 泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。 最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。 でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。 厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。 そして就任スピーチで宣言した。 「500人全員の名前を、覚えます」 冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。 悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。 元婚約者は——後悔し始めていた。 婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。 なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

東京ダンジョン物語

さきがけ
ファンタジー
10年前、世界中に突如として出現したダンジョン。 大学3年生の平山悠真は、幼馴染の綾瀬美琴と共に、新宿中央公園ダンジョンで探索者として活動していた。 ある日、ダンジョン10階層の隠し部屋で発見した七色に輝く特殊なスキルストーン。 絶体絶命の危機の中で発動したそれは、前代未聞のスキル『無限複製』だった。 あらゆる物を完全に複製できるこの力は、悠真たちの運命を大きく変えていく。 やがて妹の病を治すために孤独な戦いを続ける剣士・朝霧紗夜が仲間に加わり、3人は『無限複製』の真の可能性に気づき始める。 スキルを駆使して想像を超える強化を実現した彼らは、誰も到達できなかった未踏の階層へと挑んでいく。 無限の可能性を秘めた最強スキルを手に、若き探索者たちが紡ぐ現代ダンジョンファンタジー、ここに開幕!

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

処理中です...