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第二章 拡がりゆく世界
第52話 金髪の織姫
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ヨハネは商会に帰ると、自らが清潔に片付けた建物の1階を静かに歩いた。1階の床は煉瓦で、歩く度にコツコツと足音がした。
ヨハネは彼が行ったほんの小さな仕事を心の中で反芻はんすうしていた。ほのかな満足感がヨハネの心から針を抜いてくれた。彼は自分の足音が屋内に響くのを楽しんだ。
が、その足音にもう1つの足音が混じっているのに気が付いた。誰かがこの建物にいる、その音は2階の階段の上から聞こえてきた。
やがて階段を降りて現れたのは、商会の廊下ですれ違った娘だった。
彼女はヨハネを見て少し驚いた様子だったが、すぐに背筋を伸ばして言った。
「あら、ここには勝手に入ってはだめよ。新しい工房にする建物なの。あなたは新人の奉公人さんかしら」
「いや、私は……」
「ここで新しい仕事が始まるのよ。機織りをする女の子たちが集まって布を織るの。ここは空き家だったけど、商会にきれいにしてもらったの」
「そうだね、私も……」
「あたな、新しく来たばかりみたいだから知らないだろうけど、勝手にここに入ると商会のカピタンに怒られるわよ。すっごく怖い人なんだから」
「それはよく知って……」
「そうなの。もしかしてあなた商会の人かしら。あなたの顔を見た覚えがないんだけど。新人さんじゃないのね」
「私は新人では……」
「いま、奉公人頭を探してるのよ。ここの内装をどうするか決めなきゃならないから。でも見つからないのよ。どこで何してるのかしら」
「私が奉公人頭だ。名前はヨハネ。聞いてないかい?」
娘は片手を胸に当てた後、疑わしそうにじっと見ていたが、やがてクスクスと笑い出した。
「あなたが奉公人頭なの。驚いたわ。頭って聞いたからもっと年嵩の人かと思ってたの。ずいぶん若い頭さんね。今いくつなの」
「20歳だ」
「ずいぶん若いのね。大丈夫なの? もっと経験のある人のほうが安心なんだけど」
「私はいろんな仕事で十分に経験を積んでいる」
「そうなの。わたしより年下かと思ったわ。それにずいぶん汚れたなりをしてるし、偉い人には見えないわね。どこかの山の中から出てきた新入り奉公人かと思ったわ」
「いま現場仕事から帰って来たばかりなんだ。それに君は誰だ。名乗りもしないで一方的にしゃべり続けて自己紹介もしないなんて失礼じゃないか」
ヨハネがそう言うと、娘はまたクスクスと笑った。その度に頭の後ろで結んだ金色の髪が微かに揺れ、笑い声は心地よく空気を震わせた。
「そうね。わたしいつも先にしゃべっちゃうの。失礼しました。わたしの名前はマルガリータ。みんなメグって呼ぶわ。あなたより1つ年下よ」
娘は歯切れよく自己紹介した。すると彼女の長いスカートの裾からを栗鼠が1匹出てきて彼女の足に纏まとわりついた。
「かわいいでしょ。さっきこの工房の外を歩いていたら、木から降りてきたの。餌をあげたらずっとついて来るのよ」
メグはまたクスクス笑った。
「それじゃ、君は織物をする女奉公人の1人なのかい?」
「そうよ。わたしがみんなに教えるの。女奉公人頭よ」
「君が頭なの。そんなに若いのに」
「『私はいろんな仕事で十分に経験を積んでいる』」
メグはヨハネの口真似をしてクスクス笑った。
「わたしは子供の頃からずっと機織りをやってるの。お母さんに習ったのよ。だから他の娘より少し難しい事ができるのよ。だから頭にされてるだけ。それに他の女奉公人はみんなお友達同士なの。誰が偉いとかそんなのはないのよ」
「そうなのか」
「そうよ。じゃあなたがこの建物をきれいにしてくれたのね。内装もやってくれるんでしょう。その事はカピタンから聞いてるわ。すべて奉公人頭のヨハネが承知しているって」
「ああ、聞いてるよ」
ヨハネは胸の前で手を組みながら言った。
「あっ」
メグは大きな声で言った。
「あなた商会の廊下ですれ違った時、わたしの手を触ったでしょ。思い出したわ。いやらしいわね。いい人かと思ったけど勘違いだったわ」
「違う。あれはすれ違う時に指があたっただけだよ」
「嘘ばっかり。わたしの手を握ろうとしたでしょ。びっくりしたんだから。カピタンに言いつけるわよ。男奉公人に何かされたら、報告するように言われてるのよ。あなた怒られるわよ。きついお仕置きを受けるかもしれないわね」
「だから誤解だよ」
ヨハネは額に汗を滲ませながら言った。メグはしばらくヨハネをじっと睨にらんでいたが、やがてクスクスとまた笑い出した。
「からかっているのか」
ヨハネは顔を赤くして言った。
「あなた、生真面目なのね。でも指が触れたのは本当でしょ。ねえ、あなたの手を見せて。掌を上にして」
ヨハネはもう言われるがままに両の手のひらを上に向けてメグのほうに差し出した。
「ボロボロね。働き者の手だわ。わたしのお母さんが言っていたわ。働き者の手をしている人に悪い人はいないって。だからあなたもきっと良い人ね」
メグはヨハネの手のひらに付いた傷や線を親指の先でなぞりながら囁ささやいた。
「じゃ、内装はわたしと話し合いながら決めてね。勝手に1人で決めちゃだめよ。必ずわたしに相談して」
そう言うとメグは服の下から首飾りを取り出してヨハネに渡した。それはJ字型の赤い石が付いた首飾りだった。
「これは一緒に仕事する人にはみな渡してるの。首に掛けておいてね。仲間のしるしよ。私も付けてるの」
そう言ってメグは襟えりを少し下げて、同じが石が付いた首飾りをヨハネに見せた
「じゃあ、明日の朝から始めましょ。朝ここにきて。わたしの言った通りにしてね。働くのはわたしたちなんだから、当然でしょ。大丈夫。わたしの言う通りにやっておけばきっとうまくいくわ」
早口で言いながらコツコツとブーツを鳴らしながら、工房を出て行った。
ヨハネは取り残されて呆然と立ち尽くした。
ヨハネは彼が行ったほんの小さな仕事を心の中で反芻はんすうしていた。ほのかな満足感がヨハネの心から針を抜いてくれた。彼は自分の足音が屋内に響くのを楽しんだ。
が、その足音にもう1つの足音が混じっているのに気が付いた。誰かがこの建物にいる、その音は2階の階段の上から聞こえてきた。
やがて階段を降りて現れたのは、商会の廊下ですれ違った娘だった。
彼女はヨハネを見て少し驚いた様子だったが、すぐに背筋を伸ばして言った。
「あら、ここには勝手に入ってはだめよ。新しい工房にする建物なの。あなたは新人の奉公人さんかしら」
「いや、私は……」
「ここで新しい仕事が始まるのよ。機織りをする女の子たちが集まって布を織るの。ここは空き家だったけど、商会にきれいにしてもらったの」
「そうだね、私も……」
「あたな、新しく来たばかりみたいだから知らないだろうけど、勝手にここに入ると商会のカピタンに怒られるわよ。すっごく怖い人なんだから」
「それはよく知って……」
「そうなの。もしかしてあなた商会の人かしら。あなたの顔を見た覚えがないんだけど。新人さんじゃないのね」
「私は新人では……」
「いま、奉公人頭を探してるのよ。ここの内装をどうするか決めなきゃならないから。でも見つからないのよ。どこで何してるのかしら」
「私が奉公人頭だ。名前はヨハネ。聞いてないかい?」
娘は片手を胸に当てた後、疑わしそうにじっと見ていたが、やがてクスクスと笑い出した。
「あなたが奉公人頭なの。驚いたわ。頭って聞いたからもっと年嵩の人かと思ってたの。ずいぶん若い頭さんね。今いくつなの」
「20歳だ」
「ずいぶん若いのね。大丈夫なの? もっと経験のある人のほうが安心なんだけど」
「私はいろんな仕事で十分に経験を積んでいる」
「そうなの。わたしより年下かと思ったわ。それにずいぶん汚れたなりをしてるし、偉い人には見えないわね。どこかの山の中から出てきた新入り奉公人かと思ったわ」
「いま現場仕事から帰って来たばかりなんだ。それに君は誰だ。名乗りもしないで一方的にしゃべり続けて自己紹介もしないなんて失礼じゃないか」
ヨハネがそう言うと、娘はまたクスクスと笑った。その度に頭の後ろで結んだ金色の髪が微かに揺れ、笑い声は心地よく空気を震わせた。
「そうね。わたしいつも先にしゃべっちゃうの。失礼しました。わたしの名前はマルガリータ。みんなメグって呼ぶわ。あなたより1つ年下よ」
娘は歯切れよく自己紹介した。すると彼女の長いスカートの裾からを栗鼠が1匹出てきて彼女の足に纏まとわりついた。
「かわいいでしょ。さっきこの工房の外を歩いていたら、木から降りてきたの。餌をあげたらずっとついて来るのよ」
メグはまたクスクス笑った。
「それじゃ、君は織物をする女奉公人の1人なのかい?」
「そうよ。わたしがみんなに教えるの。女奉公人頭よ」
「君が頭なの。そんなに若いのに」
「『私はいろんな仕事で十分に経験を積んでいる』」
メグはヨハネの口真似をしてクスクス笑った。
「わたしは子供の頃からずっと機織りをやってるの。お母さんに習ったのよ。だから他の娘より少し難しい事ができるのよ。だから頭にされてるだけ。それに他の女奉公人はみんなお友達同士なの。誰が偉いとかそんなのはないのよ」
「そうなのか」
「そうよ。じゃあなたがこの建物をきれいにしてくれたのね。内装もやってくれるんでしょう。その事はカピタンから聞いてるわ。すべて奉公人頭のヨハネが承知しているって」
「ああ、聞いてるよ」
ヨハネは胸の前で手を組みながら言った。
「あっ」
メグは大きな声で言った。
「あなた商会の廊下ですれ違った時、わたしの手を触ったでしょ。思い出したわ。いやらしいわね。いい人かと思ったけど勘違いだったわ」
「違う。あれはすれ違う時に指があたっただけだよ」
「嘘ばっかり。わたしの手を握ろうとしたでしょ。びっくりしたんだから。カピタンに言いつけるわよ。男奉公人に何かされたら、報告するように言われてるのよ。あなた怒られるわよ。きついお仕置きを受けるかもしれないわね」
「だから誤解だよ」
ヨハネは額に汗を滲ませながら言った。メグはしばらくヨハネをじっと睨にらんでいたが、やがてクスクスとまた笑い出した。
「からかっているのか」
ヨハネは顔を赤くして言った。
「あなた、生真面目なのね。でも指が触れたのは本当でしょ。ねえ、あなたの手を見せて。掌を上にして」
ヨハネはもう言われるがままに両の手のひらを上に向けてメグのほうに差し出した。
「ボロボロね。働き者の手だわ。わたしのお母さんが言っていたわ。働き者の手をしている人に悪い人はいないって。だからあなたもきっと良い人ね」
メグはヨハネの手のひらに付いた傷や線を親指の先でなぞりながら囁ささやいた。
「じゃ、内装はわたしと話し合いながら決めてね。勝手に1人で決めちゃだめよ。必ずわたしに相談して」
そう言うとメグは服の下から首飾りを取り出してヨハネに渡した。それはJ字型の赤い石が付いた首飾りだった。
「これは一緒に仕事する人にはみな渡してるの。首に掛けておいてね。仲間のしるしよ。私も付けてるの」
そう言ってメグは襟えりを少し下げて、同じが石が付いた首飾りをヨハネに見せた
「じゃあ、明日の朝から始めましょ。朝ここにきて。わたしの言った通りにしてね。働くのはわたしたちなんだから、当然でしょ。大丈夫。わたしの言う通りにやっておけばきっとうまくいくわ」
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