ガレオン船と茶色い奴隷

芝原岳彦

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第三章 流転する運命

第70話 酒と博打と愛しい女房

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「おい!」

 急に大声が飛んできた。



 ヨハネとメグは驚いて声のほうを見た。そこには赤銅色しゃくどういろに日焼けした大男が立っていた。ヨハネは警戒して御者台ぎょしゃだいを降りると、メグとその男の間に立った。その人物はシャツの襟に垢をたくさん付けて満面の笑みを浮かべていた。



「久しぶりだな。憶えているか?」

 その男は少し前かがみになってヨハネの顔を覗き込んだ。海の香りが混じった体臭がして、胸元には火傷の跡が見えた。海風が吹いて、ヨハネたちの顔を撫でた。その男の左頬には大きなほくろがあり、そこから生えた毛がゆらゆらと揺れた。



「あっ、火傷のニコラス」

 ヨハネは大声を上げた。

「思い出したか。解体現場で合ったよなあ。馬車なんか乗ってっから別人かと思ったよう。もう3年くらい前か。お前さんなにしてんだ。まあ、坐んなよう」



 ニコラスは2人を交互に見ると御者台ぎょしゃだいあごでしゃくって示した。彼は馬車に体を寄りかからせて話し始めた。

「おれはよう、元は沖仲士おきなかせだったんだけど、いま廻船かいせんの仕事してんだわ。最近は海に出づらくなったんで、いちが立つたんびに組合の日雇いに出てんだわ。日銭が入るからなあ。おれは生まれつきの博打打ちでなあ、最後は自分のズボンまで質に入れて博打を売ってたんだわ。そうしたら家もなくすわ、女房は逃げるわで大変よ。酒を止めらんねえで死んじまうやつがいるだろう。あれとおんなじさ、もう病気よ。で、行くとこなくなって、町はずれの悪所あくしょ木賃宿きちんやどに転がり込んで、日雇いで解体現場や河ざらいの仕事なんかやってだんだわ。そんとき会ったのがお前さんよ」



 そう言うとニコラスはヨハネを見て轟轟ごうごうと笑った。

「しばらく博打はやらなかったんだがよう。なんたって悪所は酒場と賭場と売春宿ばっかりだからよう。また手を出しちまったんだわ。博打に。そうしたらどういうわけか勝っちまってよう。相手の男がもうケツの毛もねえってくらいに負け続けて、ついにそいつは自分の持ってた船を賭けやがったのよ。その勝負にもなんと勝っちまったのよ。で、そいつの持ってた小早船こばやぶねを手に入れたのよ」



 そこまでしゃべるとニコラスは大きく息を吸って天に向かって吐き出した。

「おれは思ったんだわ。これは神様がくれた最後のお情けだってよう。なんたってピンゾロが6回も続けて出たんだからよう。あんときゃサイコロが光って見えたんだわ。それ以来おれはよう、博打も酒もやめて……酒をやめるのは3日でやめたんだがよう、廻船の仕事を始めたんだわ。エル・デルタから肉や刃物を積んでいってよ、内海うちうみの貧乏漁師のとこへもっていくんだわ。帰りは、魚やあわびの干したのを積んで帰って女郎屋とか飯屋に売ってたのよ。半年くらい前まで、そのころ内海うちうみ廻船かいせんがすごくやりやすかったのよ。いまは海賊だらけで海なんか出れたもんじゃないけどよう。おれもずいぶん金貯めたぜ」



 そう言うとその男はどんどんと自分の胸を叩いた。湿った木を叩くような底響きのする音がした。

「金貯めて、おれはいつかを迎えに行くのよ。逃げちまったをよ。あいつは内海の貧乏漁師の娘でよ、今ごろ向こうの親父さんと暮らしてるはずなんだが、博打をやめて金貯めたと言えばきっと帰ってきてくれるよな。そうだよな」



 ニコラスは目を満丸くしてヨハネに詰め寄りながら言った。

 ヨハネは背中を曲げてのけぞりながら答えた。

「そうですね。きっと帰ってきてくれますよ」



 一息おいてニコラスはヨハネに尋ねた。

「そう言えば、お前さんはどうしてるんだ。いちで店を出すのかい?」

「はい。織物の店を出すんですよ」

「お前さんが織ったのかい?」

「いいえ、この娘ですよ」

 そう言ってヨハネは頬笑んでメグを見た。

「そうか! お前さん結婚したのかい! そいつはめでたいな」

「いいえ。違います、違います。私が奉公している商会の女奉公人ですよ。違います」

「はあはあ、めおと・・・みたいに見えるけどな。ま、もし廻船かいせんの仕事があったら回してくれや。おれたちゃ同じ村の出なんだからよう。このへんで『廻船やってる火傷のニコラス』って言えばたいてい通じるからよ」

 そう言うとその男は去って行った。



 その後、ヨハネとメグは割り当てられた場所の広さと土質ちしつを確かめて、馬車に乗って商会への帰途に就いた。

 ヨハネは御者台の隣に座っているメグに話しかけた。



「あの広さなら十分だ。棒20本分の布なら収まるよ」

「ええ」

「地面もしっかりしていたから屋台の柱もしっかり根付くだろう」

「ええ」

「どうしたの?」

「さあ」



 メグはそのまま商会に帰るまでそんな調子だった。ヨハネが馬車を工房の搬入口に付けると、スカートのすそを翻ひるがえして、コツコツと革靴の踵を鳴らしながら建物の奥へと入ってしまった。
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