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残暑がようやく落ち着いて、夜風だけは肌寒くなってきた。道を歩く人々を見ると、まだ半袖のシャツを着ている人やジャケットを着込んでいる人が混在している。街路樹の色づきはまだまだで、はっきりとした季節を感じられるものは少ない。都会の主要駅近くの街中となれば、それはなおさらだった。
たくさんの店舗や飲食店が軒を連ねる大通りからは少し外れて、駐車場やオフィスビルが並ぶ一角。この無機質な街並みを歩いていると突如小さな森が現れた。森と呼んでしまうのは少し大げさかもしれない。目の前に立ってみると実際には、木々生い茂《しげ》る庭、といったところだ。
オリーブやトネリコに迎えられ、その先には街路樹に使われそうな高木が植えられている。今日のように夜に訪れれば、街灯の光も届かないほど真っ暗だ。足元の飛び石が、ほんのりと輪郭を描く程度にだけ照明が置かれて、それが道しるべになっていた。
いくつかの飛び石を踏みしめて行くと、目の前にぽつんと、扉が浮かび上がった。とても幻想的な光景だった。ただ、少しあたりを観察すればそのタネは単純で、扉だけがライトアップされているので、このように見えたのだ。
そしてここに来てようやく、この場所の正体がわかる。木製の扉には
restaurant hideout
と、凝ったイタリックで店名が彫られていた。
ふわりと甘い香りが漂う、鉢植えの金木犀を抱えたスーツの男が扉を開けると、カランカランとベルが鳴った。はたしてそこには、カウンター席とテーブル席がいくつかの、こじんまりとしたお洒落なレストランがあった。閉店間際、ほかの客はテーブル席に一組のカップルがいただけで、従業員らしき人は、カウンターに立つ三十歳くらいの男、一人だった。
「いらっしゃいま……おう、来たか! 久しぶり!」
カウンターの店主が、スーツ姿のサラリーマンを見てニヤッと笑った。
「久しぶり! 開店おめでとう!」
サラリーマンは金木犀をカウンターから出てきた店主に手渡した。
「こういう時に渡す花って、普通、胡蝶蘭なんじゃねえの?」
「でも外装や店の名前を見て、僕の見立ては間違ってなかったと確信したけどね」
「ははは。敵わねぇなぁ。ありがたく“森”に植えさせてもらうよ」
店主は鉢植えを壁際に置くとサラリーマンにカウンターの席を勧め、食前酒と小鉢をテーブルに出した。
「本当は、オープンすぐに駆けつけたかったんだけど……」
「忙しいらしいな。さすがはエリートサラリーマン」
「そんなんじゃないよ」
サラリーマンは店の内装をぐるりと眺めながら
「夢、叶えたんだなぁ……」と、感慨深く言った。
店主はふふんと、得意げに鼻を鳴らす。サラリーマンの贈った金木犀の香りがふわりと漂い、店主のその鼻もくすぐった。
「毎年この匂いを嗅ぐと、思い出すんだ。小学生のときの、あの不思議な日々を。
──あれは、なんだったんだろうな」
「うん。僕も忘れようったって、忘れられない」
それはちょうど今くらいの、秋のはじまりのころ。誰に話したって絶対に信じてもらえない、この二人だけが共有している、秘密の思い出があった。
たくさんの店舗や飲食店が軒を連ねる大通りからは少し外れて、駐車場やオフィスビルが並ぶ一角。この無機質な街並みを歩いていると突如小さな森が現れた。森と呼んでしまうのは少し大げさかもしれない。目の前に立ってみると実際には、木々生い茂《しげ》る庭、といったところだ。
オリーブやトネリコに迎えられ、その先には街路樹に使われそうな高木が植えられている。今日のように夜に訪れれば、街灯の光も届かないほど真っ暗だ。足元の飛び石が、ほんのりと輪郭を描く程度にだけ照明が置かれて、それが道しるべになっていた。
いくつかの飛び石を踏みしめて行くと、目の前にぽつんと、扉が浮かび上がった。とても幻想的な光景だった。ただ、少しあたりを観察すればそのタネは単純で、扉だけがライトアップされているので、このように見えたのだ。
そしてここに来てようやく、この場所の正体がわかる。木製の扉には
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と、凝ったイタリックで店名が彫られていた。
ふわりと甘い香りが漂う、鉢植えの金木犀を抱えたスーツの男が扉を開けると、カランカランとベルが鳴った。はたしてそこには、カウンター席とテーブル席がいくつかの、こじんまりとしたお洒落なレストランがあった。閉店間際、ほかの客はテーブル席に一組のカップルがいただけで、従業員らしき人は、カウンターに立つ三十歳くらいの男、一人だった。
「いらっしゃいま……おう、来たか! 久しぶり!」
カウンターの店主が、スーツ姿のサラリーマンを見てニヤッと笑った。
「久しぶり! 開店おめでとう!」
サラリーマンは金木犀をカウンターから出てきた店主に手渡した。
「こういう時に渡す花って、普通、胡蝶蘭なんじゃねえの?」
「でも外装や店の名前を見て、僕の見立ては間違ってなかったと確信したけどね」
「ははは。敵わねぇなぁ。ありがたく“森”に植えさせてもらうよ」
店主は鉢植えを壁際に置くとサラリーマンにカウンターの席を勧め、食前酒と小鉢をテーブルに出した。
「本当は、オープンすぐに駆けつけたかったんだけど……」
「忙しいらしいな。さすがはエリートサラリーマン」
「そんなんじゃないよ」
サラリーマンは店の内装をぐるりと眺めながら
「夢、叶えたんだなぁ……」と、感慨深く言った。
店主はふふんと、得意げに鼻を鳴らす。サラリーマンの贈った金木犀の香りがふわりと漂い、店主のその鼻もくすぐった。
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──あれは、なんだったんだろうな」
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