夢でもし君に会えたら

原口源太郎

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第二章

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 真人とトレーシーはビルの前に立ち、上を見上げていた。ビルのてっぺんは霞に掛かって見えない。
「100階くらいはあるかな」
「えー、もっとよ」
 二人はビルの中に入った。
 一階のフロアはガランとして人っ子一人いない。
 真人とトレーシーは階段を上って上の階に行った。
 そこでは多くの人がせわしなく動きまわっていた。廊下の両側にいくつものオフィスが並び、あっちへ行ったり、こっちに来たり、誰もが急ぎ足に歩いている。
「あの、済みま」
 真人は近くを通りかかった人に声をかけようとしたが、その人はそそくさと行ってしまった。
「済みません」
 真人は別の人に声をかけた。
「ごめんよ、急いでいるんだ」
 真人が最後の言葉を聞いている頃、男はもう十メートルも先に行ってしまっていた。
「駄目だ、こりゃ」
 真人はそう言ってトレーシーを見た。
 二人が開け放たれたドアからオフィスの中を覗いてみると、そこでも人々が忙しそうに動きまわっている。真人の呼びかけに耳を傾けてくれる余裕のありそうな人は一人も見当たらない。
「上に行ってみよう」
 トレーシーに言って、真人はエレベーターを目指した。
 エレベーターは動かなかった。
「おかしいな」
 下の階にエレベーターはあるはずなのに、どのボタンを押しても上がってこない。
「そいつは朝と夕方しか動かないよ」
 スーツ姿の男が早口に言って、あっという間に通り過ぎて行った。
「上に行きたいのなら階段を使いな」
 反対側から来た男も早口に言って、足早に通り過ぎて行った。
 真人とトレーシーは階段を上って上の階に行った。
 そこでも下の階と同じように、人々は忙しく動きまわっている。
 真人たちは四階、五階と上ってみたが、どの階も状況は同じだった。
「参ったな」
「私、もう疲れちゃった」
 トレーシーが音を上げて、床にぺたりと座り込んだ。
「あ、そうだ。ちょっと待ってて」
 トレーシーにそう言うと、真人は近くを通りかかった人に歩調を合わせて早足に歩いた。
「ちょっといいですか?」
「何だい?」
「上の階もずっとこんな感じになっているのですか?」
「そうだよ。80階まで」
「その上はあるのですか?」
「250階まで居住区。最上階は350階」
 早口に言うと、その人はオフィスに入ってしまった。
 真人はまた別の男に歩調を合わせ、横に並んだ。
「謙太郎っていう男の子と、夢美っていう女の人を知りませんか?」
「夢美? 知っているよ。今は58階にいるんだったけかなあ」
「58階?」
 まさかそこまで階段を上っていく気にはなれない。
「先月まではここのフロアのオフィスにいたんだけど」
「あの、その人の年齢を訊いてもいいですか?」
「歳? 確か四十・・・・」
「もっと若い人で、今日くらいにここに来たかもしれないのですが」
「それじゃわからないな。一階の受付で訊いてみな」
「一階のどこに・・」
「ごめんよ」
 男はオフィスに消えた。
 真人はトレーシーのところに戻った。
「歩けるかい?」
「まだ上に行くの?」
「一階に下りる」
「じゃ、とっても大丈夫よ」
「よし、行こう」
 真人とトレーシーは階段を下りた。
 一階のフロアはガランとして、先ほどと同じように誰の姿もなかった。
「すみませーん!」
 真人の大きな声に、ずらりと並ぶ受付カウンターの奥で反応があった。
「はーい、すぐに行きます」
 奥から綺麗に化粧をした女の人たちが二十人ほども出てくると、それぞれのカウンターの中に入って席に付いた。
「失礼しました。ご用件は何でしょう?」
 一番近くの女性が真人に尋ねた。
「七歳の男の子か十八の女の人は来ませんでしたか?」
「お見えにはなっておりません」
 受付の女性はきっぱりと答えた。
 真人はここに来た人をちゃんとチェックしているのかなと思ったが、黙っていた。
「どうもありがとうございました」
 真人とトレーシーはビルを出た。
「変なの」
 トレーシーがビルを振り返り、上を見上げていった。
「一番上は350階だって」
「ふーん。とっても変なの」
「さ、車に乗った。別のところに行ってみよう」
 真人はもう一度ビルを見上げてから車を動かした。トレーシーはあんなことを言ったけれど、真人にとってこのビルは、今まで見てきたこの世界の中で一番現実に近いような気がした。

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