見てはいけないものが見えてしまう

原口源太郎

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 それは素晴らしい物件だった。平屋のこじんまりとした家だったが、まだ新しい上に大きすぎず、しかもアパートに比べて広々としていて快適だった。
 私はすぐにその物件が気に入り、契約をした。駅や公共機関からは離れているし、買い物ができる通りまで少し歩かなければならない。しかしそんなマイナスを考えても、周りに背の高い建物がなく、公園に面しているという立地は最高だった。
 私が将来そのような土地を探して、このような家を建てたい、そのために今から少しずつ貯金しておこう、そう思いたくなるような物件だった。
 例のアパートを引き払い、わくわくする気分を抱えて新しい棲家で荷を解いた。
 その夜、私は引っ越しの程よい疲れで快適な睡眠をして朝を迎えるはずだった。
 しかし。
 夜中に目が覚めた。部屋の中は真っ暗で、外からの物音もほとんどしない。夜中の、それもかなり遅い時間なのは間違いない。
 何かの気配を感じる。
 というより、部屋の中に誰かいる。
 私は金縛りにあって動けなくなりそうな体を無理矢理起こした。
 真っ暗な部屋の中をゆっくりと見回していく。
 押入れの扉の隙間から弱々しい光が漏れていた。部屋の床には荷解きされていない段ボール箱が置かれ、押入れは空のはずだ。
 私はゆっくりと押し入れに近付き、扉を開けた。
 中に貧相な男がいた。ぼろのような服を身にまとい、痩せた顔に無精ひげを蓄えている。闇の中で男の姿だけがぼんやりと、鈍くかすれたような光を放っていた。
「あなたはいつ殺されたのですか?」
 私は不動産屋への怒りを押し殺してなるべく冷静を保ち、普通の人間なら見ることのできない男に尋ねた。
「やや、来たばかりなのに起こしてしまったようで申し訳ない。でも、お前さんはわしのことが見えるのかね?」
 男がその下に巨大な隈を持つ目で私を見て、照れたように言った。
「はい。先日も頭を半分潰された若い女と話をしたばかりです。それで、あなたはなぜ成仏できないのですか?」
 私はさっさと男の不満を解消して成仏させてやらなければならないと考えた。運よく手に入れたこの素晴らしい環境を手放したくない。
「わしが成仏できない? そんなことはない。言っていることがよくわからんが」
 貧相な面構えの男は押入れの中で小さくなったまま、私を見て首を捻った。
「恨み辛みがあるのなら話してみて下さい。私が相談に乗ってあげます」
「恨み辛み? そんなものはない」
「ないのですか? じゃなぜ成仏できずにここにいるのですか?」
 そんな幽霊を見るのは初めての経験だった。確かにこの男ののほほんとした雰囲気は下界に未練があるようには見えない。
「わしは成仏などせん。というか、成仏する意味がわからん」
「じゃ、なぜここにいるのです?」
「なぜって、ここが気に入ったからじゃ」
 私はその言葉を聞いてため息を吐いた。そんな理由でこの家に居座られて、安らかな眠りを妨害されたのではたまったものじゃない。
「すみませんが、他へ行ってくれませんか?」
「いやじゃ」
「いやだ? わがままな幽霊だな。私だってここが気に入ったんだし、ここを借りてお金を払うのは私なのだから、あなたはここに留まる権利かない。出てって下さい」
「わしに出ていけと? お前さんのほうこそわしにそんなことを命じる権利などない。わしのことを何だと思っているんじゃ」
「何って、幽霊でしょ?」
「違う。わしは神じゃ」
「神? 様?」
「そうだ、神様じゃ」
 神と名乗る男を私はまじまじと見つめた。
 痩せてがりがりの男。歳はかなりいっているらしく、顔にはしわが刻まれ、ふよふよとした白髪をのせた頭は、ふさふさな状態とは言い難い。
 私は今まで幽霊以外のものを見たことがなかったが、目の前で小さくなっている男が神様とはとても思えなかった。よく絵で見かける七福神のような装いをしていれば神様と言われて信じることができたかもしれないが。
 でも、幽霊がそんなことを言うだろうか。
「あなたはいつからこの家にいるのですか?」
 私は別の切り口からこの男を攻めてみることにした。
「二年前からじゃ」
「それまではどちらにお住まいで?」
「あちこちと。ここに来る前はとあるビルに居った。そのビルが取り壊されてしまったのでここに来た」
「じゃ、いつまでこの家にいる予定なのですか?」
「さあ。一年か二年か」
「一日が二日にしてもらえません?」
「バカを言っちゃいかん。わしはここが気に入っておる」
「いずれはここを出ていくつもりなのでしょう? ならば明日でもいいじゃないですか」
「いやじゃ。わしはここが気に入っておる」
 これでは埒が明かない。
 その時、私はふと思った。神様と同居するという事は凄いことなのかもしれない。
 ただし、この目の前にいる男が本当に神様ならの話だが。
「あなたは神様だとおっしゃいましたが、普通の神様なのですか?」
「普通? 神に普通も普通でないもない」
「しかしそのお召し物が。神様ならもっとパリッとしたものを身に付けていらっしゃるのでは?」
「ん? これがわしの普通じゃ」
「そうですか。一体あなたはどんな神様なのですか?」
「わしか? 人間はわしのことを貧乏神と呼んでおる」


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