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三章 リズム

39 啓示と現実

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 確保していたスタジオの時間が過ぎた。
 四人は撤収するわけだが、そこに岡町がいた。
「オカちゃん、聞いてたんだ」
「まあな。いいベース見つけたな」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
 どう説明したものか、と俊は考える。 
 だがその間に、森脇が前に出ていた。
「あの、元マジックアワーの岡町周(あまね)さんですよね?」
「お、よく知ってるね」
「そりゃもう! 初めて聞いた時にはもう解散しちゃってたんですけど、あのTTプロデュースから辿っていって、ギター二本の底を支えてるような、あの音がかっこよくて」
「ベースの音に関心があるってマニアックだなあ」
「だってベースって、EDMの中でも通用するじゃないですか。ギターは主役を奪われがちだけど」
 ちょっと暁がカチンときているが、それはそれとして別の話。

 なんだか知らないうちに、話が広がっていく。
 大学のカフェ、つまるところは食堂に移動して、まだ話が続く。
「月子は今日はバイトは大丈夫なのか?」
「うん、念のために空けておいた」
 森脇の話というのが、どういうものか分からなかったからだ。
 ただ今の彼は、岡町との会話に夢中である。

 マジックアワーは確かに、伝説のバンドであったと言われる。
 メンバーの死という解散の仕方まで、完全にロックバンドらしい。
 もっとも死んだのがリーダーでなかったら、続けることが出来たのか。
 とはいってもその解散から、俊の父は活動の幅を広げていったのだが。
 音楽とはもう、完全に関わらなくなったメンバーもいる。

 俊はノイズの音楽に、森脇のベースは合うと思った。
 なのでそのあたりの話を、ここではするべきなのだ。
「しかしなんで俊のバンドとセッションしてたんだ? しかもベースを使って」
 おお、岡町が質問してくれた。
「いや、今のバンド抜けようかと」
「アトミック・ハート、メジャーデビュー前なんじゃないのか? それなのに?」
「先が見えてしまうと、ちょっと駄目です。せめて他にもう一人ぐらい、バンドの中に危機感持ってるやつがいたらいいんですけど」
「まあ、一人じゃ無理だな」
 なるほど、それぐらいの危機感を持っていたのか。

 俊にもその感じは分かる。
 朝倉と組んでいた時、バンドの限界を感じた。
 おそらく朝倉のバンドが、特にボーカルがコロコロと変わるのは、そのあたりに理由がある。
 バンドの他のポジションではなく、圧倒的に顔となるボーカルを新しくしたい。
 その気持ち自体は分かるのだが、そんなことをしていていいのか。
 自分が月子という、傑出したボーカルと接触しているだけ、俊は冷静に状況が分かる。
 ただその月子が、まだ完全に手の内にないというのが、悲しい話ではある。



 森脇の危機感について、詳しいところまでしっかり分かった。
「それで結局、ノイズに入りたいという話になるのか?」
 俊としてはそこが重要である。
「入りたいと言うか、俺が必要だと感じなかったか?」
「いたら便利とは思ったが、結局ギターは弾かなかったな」
「そっちが求めてこなかったからな」
 それはそうであった。

 俊は考える。
 単純に今のバンドの構成を考えれば、森脇のベースは確実にバランスを良くしてくれる。
 そして単にバランスを良くしてくれるだけではなく、さらに成長させることが出来るとは思うのだ。
 ただそんな損得だけで、決められるものでもないと思う。
「なんで俺たちなんだ? ギターにしろベースにしろ、新しいバンドは色々とあるだろ」
「もちろん他にも探してはいる。ただ今のところ、一番完成度が低くて、未熟で、それでも充分に満たされて、次が期待できるのがここだ」
 的確な評価だな、と俊は思う。
 それに森脇のベースは、おそらくまだ上がある。

 自分一人で決めていいなら、お試しはしてもいいと思う。
 だが俊はバンドリーダーかもしれないが、全てを決める立場ではない。
「月子とアキはどうだ?」
「わたしは、俊さんがいいなら、文句はないですけど」
「あたしもいいけど……お父さんに知られたらうるさそう」
「それはそうか」
 そういう問題もあるだろう。男女混合バンドというのは、とにかく恋愛ごとで崩壊する例が多い。
 朝倉のバンドなども、そういう面で崩壊しているのは少なくない。
「でも、今のバンドの人は何か言うんじゃないですか?」
 その点を気にしたのは月子であった。
 おそらくメイプルカラーにも所属している自分と、似たような立場だと考えたのかもしれない。
 
 ただその点では、森脇は迷ってはいない。
「どのみちアトミック・ハートは抜ける予定だった」
「え~、それってでも、そちらの人は困らないんですか?」
「メジャーデビューを待っている、腕のある人間なんていくらでもいるんだ」
「待ってくれ、その前に確認だ」
 俊としては、森脇のことをまだ知らなすぎる。
「森脇は今、何をしてるんだ? 学生? それとも何か仕事を? いや、まず年齢から聞こうか」
「22歳。高校を卒業してからずっと、配達のアルバイトをしてる。働けば働くだけ入ってくるし、かなり時間の融通も利くしな」
 そういえば身長もあるが、それなりにマッチョだな、と今さらながら俊は思う。
 この年齢でデブのミュージシャンは信用ならないが。ドラマー以外は。
「高校を卒業してからなら、もうデビューしたいとは思わないのか?」
「したいことはしたいが、まだ待てる」
 確信を持っている目を、森脇はしていた。
「俺はまだまだ、成長しているから」
 なるほど、ならば待てるのか。

 そこで岡町が割って入った。
「俊、お前は考えすぎてるぞ」
 確かに考えてはいるが。
「音楽をやるなら、考えることは一つだろ。一緒にやりたいか、そうでないか。技術的なことすら後回しだが、幸いこいつは技術を持っている」
「……考えすぎ、か」
 頭でっかちなのを、また指摘されてしまった。
「森脇、少し二人で話せないか?」
 そんなことは、もうずっと前から分かっているのだ。
「演奏じゃなく、対話か」
「俺は天才じゃないから、演奏だけで判断は出来ない。ただ聴く耳は持ってるから、音楽の良さは分かる」
 俊としてはこう言うしかない。
「一緒にやりたいかやりたくないかは、話してみて決める」
 岡町がため息をついているのが見えた。



 プライベートゾーンに、最近は他人を入れているな、と俊は思う。
 もちろんそれが、効率的で合理的だからと判断しているからだが。
 自宅までの道でも、森脇とは色々と話した。
 出身は仙台で、最初はやはりギターであったこと、そこからバンドのベースがいなくなって、ベースに転向したこと。
「ポール・マッカートニーがそんな感じなんだったっけ?」
「ビートルズも聴くのか」
「いや、古く聴こえても、ビートルズは聴いておかないとまずい」
「お前が言うなら、そうなんだろうな」
 森脇はそう、俊の主張を否定しない。

 仙台でもバンドを組んでいたらしいが、どうしてもメンバーが集まらないので、東京に出てきたこと。
 アトミック・ハートは四つ目のバンドであるということ。
「女が入ってるバンドっていうのは気にならなかったのか?」
「ボーカルだけ女性っていうのはあるしな。と言うか、彼女も無茶苦茶すごいけど、ギターの方が驚いた。高校一年生で、俺よりはるかに……上手いと言うよりは、凄い」
 なるほど、その判断まで出来るのか。
「アキは物心つく前から、言葉を話す前からギターを弾いてるから、キャリアだけなら上だと思う」
「どういう家庭だよ。俺でさえ親父のアコギに触るようになったの小学校高学年だぞ」
「アキの父親は、オカちゃ……岡町先生の元仲間だったからな」
「マジックアワーのか」
 そこはさすがに驚いたらしい。

 マジックアワーというのは、日没後に空の色が徐々にブルーから藍色になる時間帯を示す。
 事故が起こりやすい黄昏時でもあり、実際にマジックアワーのリーダーは、その時間帯の事故で死んでしまっている。
「マジックアワーのギタリストって、まだミュージシャンで色々とセッションしてるんだよな」
「ああ、だからアキもその影響が大きい」
「大きいか? 左利きが影響と言えば言えるかもしれないけど、彼女はなんていうかもっと、衝動的に弾いてる気がするんだけど」
「そりゃまだ進化の過程のギターと、完成に近いギターを比べたらそうだろ」
 暁はこのメンバーの中では、一番若い。
 だが楽器に触れている時間は、おそらく俊よりも長い。
 それは俊が、様々な楽器に浮気したり、EDMに触れているということも関係するのだが。

 基本的に暁の弾き方は、父親の弾き方である。
 そこから飛び出しているものもあるが。
 特にバーサーカーモードでは、完全に飛び出ている。
 そんなことを離している間に、スーパーで少し買い物をしてから、二人は俊の家に到着する。
「でけーな。親は何やってんだ?」
「父親は東条高志、母親はコンサートとかで世界中を飛び回ってる」
「TTの息子か! ……母親は、そうか……」
 今度こそ本当に、森脇は驚いたようである。
「今は俺一人で、週に三回ハウスキーパーが来てくれてるんだけどな」
 そして二人は、地下にある俊の生息域に踏み入った。



 明らかにここには、生活の匂いがする。
 ただレッスン用のスタジオになっているというのは、とてつもなく贅沢だ。
 移動の電車代を払ったとしても、スタジオを借りるよりは安いだろう。
 大学の、基本学生に無料のスタジオは別にして。
「くっそ~、恵まれてるなあ」
 その森脇の正直さは、俊には好ましいものであった。
「コーヒーと紅茶と緑茶、どれがいい?」
「どれが一番美味い?」
「俺は緑茶だな」
「じゃあ同じ物を」
 この暑い時期に、熱い緑茶を飲む。贅沢なことだ。

 森脇はスタジオの床に腰を下ろし、そこで周囲を見回す。
「一日中練習出来そうだな」
「実際のところは、最近は自分で音を出すより、作曲をしたりインプットの方が多いんだ」
「インプットは大切だけど、お前は結局どれが一番やりたいんだ? キーボード? プログラミング? それとも作曲?」
「そうだな……」
 このあたりで俊も、自分のスタンスをしっかりとするべきだろう。
「プロデューサーだ」
「……なるほど」
 森脇は納得できたらしい。

 朝倉のバンドから抜けて、幾つかのバンドのヘルプもした。
 その中でボカロPとしての活動を多くしていた。
 それなのにまた、ユニットからバンドへと戻ろうとしている。
 月子を使って、自分の音楽を届けようとした。
 だがそれでは足りないと思ってしまったのだ。
「それで、そろそろ俺の値踏みは済んだか?」
「そうだな。問題というか懸念点は幾つかあるんだが、男女混合バンドの場合、まず問題になるのが恋愛騒動だな」
「なるほどな」
 森脇もそれは理解しているらしい。

「少し真面目な話だが」
 そう前置きをして、森脇は話し出した。
「俊は恋愛ってしたことあるか?」
「……一応あるな。ひどい恋愛に、雑な恋愛だけど」
「俺はない」
 森脇の表情には嘘がない。
「俺は普通に性欲はあるし、たとえば家族や親戚、あと友人にも愛情を感じることはあるけど、恋愛感情を感じることがないんだ」
「同性愛というわけでもなく?」
「そっちは完全にないな。女友達と寝ることは出来るけど、それが恋愛に至らない」
「バンド内でそういう関係になると困るんだけど」
「だからバンド外で発散するから、そこは信用してくれていい」



 性的なマイノリティの問題は、昨今はオープンになってきている。
 むしろそこをオープンにしてこそ、というリベラルな空気がアメリカにはある。
 ただ俊の感じるそのオープンさは、なんだか不自然なものなのだ。
 ゲイがゲイと主張しなければいけないというのは、窮屈なものであると思う。
 ただ日本の芸能界には、性的なマイノリティが、裏方にも相当にいる。
 俊自身は自分のことを、おそらくストレートだとは思っているが。

 森脇の場合は、正直なところ分かりやすい。
 性欲はあって、それを解消するのに相手を必要とする。
 ただそこから愛情を抱かないというわけだ。
 やれればそれでいい、というのは一般的な男としては、分かりやすいものだ。
 おそらく女性に比べると男は、恋愛関係のないセックスに抵抗がない。
 森脇の場合は、完全に恋愛関係が必要ないため、まさにセフレなどがいれば充分、というものなのだろう。

 俊はこういう時、デリケートな問題と承知の上で、色々と尋ねたくなる。
「そういう性志向があると、子供を持ちたいとかは思うのか?」
「子供……そもそも家庭を築くのに、恋愛感情は必要かな? むしろない方が変な嫉妬や期待もなくて、上手くいきそうな気がするんだが」
「どうなんだろうな。まあうちの女性メンバーに手を出さないなら、それは問題ないんだが」
「と言うか、アキの方はともかく月子は、お前のことが好きなんじゃないか?」
「アキも月子も、俺のことは好きだろうさ。でもそれは恋愛感情じゃないと思う」
「そうか。それで結論は出たか?」
「今日は無理だな。おそらく明日か、数日中には出る」
「何か考えることはあるのか?」
「いや、考える範囲では、お前を取れという結論は出てる」
 それは間違いのないことだ。
 しかし論理的な考えだけで、これは決めない方がいいだろう。

 森脇は不思議そうな顔をしたが、俊は説明をしようとはしない。
「俺もただ待っているわけにもいかないんだが……」
「そうだな、三日待って連絡がなければ、縁がなかったと思ってくれ」
「その日数に何か意味があるとは思えないんだが、まあリーダーの意見には従おう」
「もし組むことになれば、リーダーの意見なんかには従わなくていいけどね」
 リーダーはいても、それは全てに従わなければいけないというわけではない。
 それでは単に、ヘルプのスタッフがずっと続いていくだけ、ということになるのだから。

 俊は思ったとおり、その日の明け方に夢を見た。
 予想していた夢と、半分ほどは合っていた。
 だが予想のまま、というのとは違った。
(どういうことだ?)
 夢はインスピレーションの結果だと、俊は思っている。
 実際に月子と暁は、それに従って組んできた。
 俊はその日、そのことについて、長く考えることになった。
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