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九章 ステップアップ

142 芸術家と職人

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 ライブ終了後の打ち上げで、暁は一人沈んでいた。
 アルコールも摂取していないのに酔っ払っている千歳とは、対称的なものである。
 これの面倒を見るのは、車を運転するために、やはりアルコールを入れていない俊のみ。
 オーディエンスの反応を見る限りにおいては、充分にあれは成功であると言えた。
 だが暁が納得していないのである。

 求めるものが高すぎるというか、自分自身の納得が重要。
 そのあたり暁は、かなり俊と似ているかもしれない。
 だが同じ完璧主義者でも、俊は現実の前には妥協する。
 0.1を増やすよりも、1増やす場所があれば、そちらを優先するという程度であるが。
 全てに完璧を求めていれば、俊の作業内容は破綻してしまう。
 このあたりアーティストなどと言われながらも、資本主義社会で生きている限界かもしれない。

 俊は自分のことを、芸術家だとは思っていない。
 いや、突き詰めればこれも、芸術の域に達するのだろうが。
 己の作る楽曲は、全て職人の技で作っているもの。
 基本的にはインプットしたものからしか、アウトプットすることは出来ない。
 このアウトプットが、ぎりぎりまで満たしたインプットから生まれる。
 俊の自覚している自分の力というのは、そこまで追い込んでから出るものなのだ。

 そんな俊としては、フィーリングで生きている暁とは、目的地が同じであっても、アプローチの仕方が全く違う。
 常に全力で求める暁に対して、俊は失敗があることを当然と考える。
 全てのライブがどっかんどっかんと盛り上がるわけではないと、ある意味では諦めてしまっている。
 反省し、改善していかなければいけない。
 だが後悔というのは、次に進む足にまとわりついてくるものだ。
「どんなバンドだって、全てのライブが成功するわけじゃないだろ」
「分かってるけどさ」
 実際にノイズも、失敗ではなかった、というライブをこれまでにはやってきているのだ。

 だからこれは、暁個人の問題である。
 ノイズ自体は失敗に近くても、暁は全力で演奏をする。
 今日の場合はそれが、暁の力が足りなかったため、満足のいく領域に達しなかったのだ。
 だがライブ自体は盛り上がっていた。
「俊さん、あたしたちって、甘やかされてないかな?」
「甘やかす?」
 あたしたちの範囲と、誰が甘やかしているのかが分からず、俊はそのまま問い返す。
「これが最初の頃のステージだったら、お客さんも盛り上がらなかったと思うんだけど」
「……予定調和的に盛り上がったと?」
 なんとか考えて出した俊の言葉に、暁は頷いていた。

 ライブの出来などは関係ない。
 もはやノイズであるなら、勝手に盛り上がってくれる。
 こちらが与える以上に、向こうが返してくれていたのだ。
 その一方通行具合が、暁としては気持ちが悪かった。



 なんとなくではあるが、俊もかろうじて分かった。
「アイドルのライブが、まだ未熟でも盛り上がるっていう現象かな?」
「あ~、そういうのに近いかな」
 それは俊の言葉も、随分と辛辣なものである。

 日本のアイドルの場合、完成している必要がない。
 むしろまだ未完成のところから、成長していくストーリーが必要になる。
 俊としてははっきり知らないが、昭和のアイドルなどはわざと、下手に歌っていた者もいるという。
 今でもアイドルのライブなどだと、口パクがある程度は暗黙の了解である。
 もっともそれを言うなら、バンドであっても打ち込みでやっていて、弾いているフリだけをするというのが普通にある。
 ただあれは、小さいハコで出来るようなものではない。

 暁の不満から、俊は自分も懸念を感じ始めた。
 ノイズはある程度人気が出て、ファンから甘やかされているのか。
 ちょっと東京から離れても、横浜は充分に在京圏。
 準地元と言ってもいい場所なので、反応も暖かい。
 これがあの大阪であったりしたら、あまり盛り上げることは出来なかったのではないか。

 難しいというか、微妙な問題である。
 ライブの意義というものさえ、考えてしまうぐらいのものだ。
 完璧な演奏ではまだ足らない。
 想定を超えた演奏をして、まだ見ぬ領域へと引き上げる。
 そこまでやってやっと、ライブというのは成功だと思う。
 期待以上のものを与えられてこそ、次もまたと求めていくのだ。
 つまり演奏する側も、変化するか成長するか、続けていかなければいけない。

 口パクであろうがなんであろうが、オーディエンスを満足させるのが、エンターテイメントであろう。
 だがそれはアーティストではないし、ロックでもない。
 パンクはかろうじて含まれるかもしれないが。
 魂を燃焼させる、暁のギター。
 早く燃え尽きてしまいそうにも思えるが、逆に完全燃焼しなければ、満足もしないのだろう。

 ギターが違うだけで、そこまでパフォーマンスが変わるのか。
 かなりセッティングに時間をかけたので、リハではそれほど変わらないと思った。
 だが本番においては、やはりテンションが上がらなかったのだ。
「オーダーメイドのギターは大丈夫なのか?」
 一応一緒に行った俊ではあるが、細かいところは全て暁が話していたものだ。



 エレキギターの良し悪しというのは、本当に微妙なものなのである。
 言ってしまえば正確なだけの音なら、打ち込みの方がよほど分かりやすい。
 だが打ち込みの音が、そのステージの熱量に適切なものであるはずもない。
 ガンガンと歪ませていくのが、暁のギターである。
 女のクセにやたらとパワフル、などと言われたりもする。
 それが暁のギターなのである。

 普段は完全に正確に、リードギターとしての役目を果たす。
 本来の曲のギターよりも、ヘヴィなサウンドを聴かせてくるのだ。
 ノってくると髪ゴムを外し、そのギターの音でオーディセンを貫いていく。
 Tシャツを脱ぐと客を躍らせて、自分も姿勢を変えてより音が重く、パワフルになっていく。
 そのうち水着のトップスも外してしまうのではないかと、俊は時々心配になったりするのだが。

 酔っ払った男二人はバンの後ろに乗せて、一人酔っていない俊が運転をする。
 おそらくこの後の埼玉と千葉も、こんな感じになるのだろう。
 月子は普通に飲んでいたが、自分の酒量をちゃんと弁えていたらしい。
 ただ、彼女はまだ20歳までに、少し時間があったはずだが。
 そこまで頭は固くない俊である。
 薬物でもないのであれば、警察のお世話になることもない。

 次の週末はまず、埼玉の250人のキャパでライブをする。
 構成としては今日と同じような感じで、地元のバンド二つと対バンを組む。
 ようやく物販のCDについても、売れ残りが出てきた。
 300人のキャパに500枚を持っていって、50枚が残ったというのだから、それでも充分な話である。
「う~ん、最初は嬉しかったけど、ライブ一回ごとに買ってくれる人は減っていくんだよね」
 素直に金銭欲がある千歳は、そんな難しい顔をする。
 もっとも彼女の場合は、両親の生命保険や遺族年金もあるため、実は切迫した状況にはないのだ。

 ライブの出演料やチケット販売で、ちゃんと利益が出るようになっているのが大きい。
 貧乏バンドはまず、その段階で躓くからである。
 バンドで稼ぐのではなく、バンドをやるためにバイトをする。
 練習にあまり時間が取れない、という負のループに入ってしまっているバンドは多いのだ。
 その点でノイズは、発起した段階で、大きなアドバンテージがあった。
 無料で使えるレッスンスタジオという点で、他のバンドにはない利点がある。

 一般的なメジャーバンドであると、メンバーに社宅のような感じで、マンションなどを用意することもある。
 そこでもノイズは俊の家があるため、圧倒的に有利なのだ。
 他のバンドが、アルバイトなどをして、バンド活動や生活費を稼ぐ時間、ノイズは練習や作曲などについやすることが出来る。
 ただ環境が悪いからこそ、生まれてくる音楽というのもある。
 下積みが長いバンドというのは、活躍期間も長い、などと言われたりするのだ。



 国内には大規模フェスが、およそ二つある。
 三つと数えてもいいが、八月に行われるものに、ノイズは照準を合わせている。
 参加出来るかどうかというのは、まだ分かっていない。
 もっとも決まっている面子は、既に決まっているらしいが。

 ギャラの折り合いがつかなかったりして、けっこう直前で出場するバンドは変わったりする。
 それでもこのあたりで候補になっておかないと、さすがに厳しい。
 出来れば1000人以上の規模のハコを、ワンマンで埋めたという実績がほしいところだ。
 ただそういう音楽性とか実績とかだけでは、参加が決められないのも確かである。

 結局は金の動きが、選ばれるバンドを決めていく。
 協賛企業があったりすると、そこのCMにタイアップした音楽を提供していると、おおよそは選ばれることになる。
 そのあたりはもう、資本主義社会なので仕方がない。
 だが金の流ればかりではなく、小さめのステージではあるが、実力のある若手枠というのは確保されているものだ。
 そこでもある程度は、コネクションや事務所の力で、どうにかなるものなのだが。

 今の事務所はメジャーレーベルから、無理やりインディーズを作り出したものである。
 それでも金をかけることなく、ちゃんと物販やライブなどで利益を出しているので、お荷物なバンドにはなっていない。
 ただせっかくならば、もっと金をかけた上で、大きく売っていきたいというのが正直なところだろう。
 俊はその宣伝や広告に対して、懐疑的なのでメジャー扱いはされていない。

 300人規模のハコまでは、対バンしているものの全て埋めてきている。
 去年もストレンジでワンマンをやり、300人規模のハコを完全に埋めた。
 さらに一段階上のステージとなると、一気に金がかかるようになる。
 少し変な話になるかもしれないが、300人規模までのライブ専用のハコの方が、ローディーを必要としなかったり、演出も少なかったりで、儲かることが多いのだ。
 極端な話をすれば、東京ドームでコンサートをするなら、チケットは全部売れて当然、グッズも大量に売れて当然、その上で二日連続か午前午後の二公演をしなければ、経費の方が高くなる。

 そのあたりフェスであると、ステージなどの準備は主催者が基本のところはやってくれている。
 他のバンドやミュージシャンを目当てにやってきた客を、自分のファンへと引き抜くことも出来る。
 ノイズはまだ、メジャーな媒体では紹介されていない。
 せいぜいがインフルエンサーの紹介か、雑誌での取材程度。
 また実力自体はあると思うが、大規模なハコでワンマンをやるノウハウもない。
 それはさすがに、事務所の力を借りることになるのだが。
(デビューから一年ぐらいで夏の大規模フェスは、やっぱり難しかったかな)
 そうは思うが、今のノイズは勢いがある。
 どこかでもう一つ、弾けるところはないかと、考えながらハンドルを握る俊であった。
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