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11章 タイアップ

186 失われし過去の日

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 ノイズの音楽というのは、俊一人で作っているわけではない。
 確かにメロディラインやコード進行などの、大枠は俊が作っている。
 しかしギターリフやベースにドラムと、それぞれのパートからアイデアを出してもらって、最終的には作成しているのだ。
 作曲と作詞は、わずかに作曲が先行するが、作詞のイメージに合わせて、後から曲のアレンジを変えることもある。
 俊がノイズの将来を考えていく上で、いつかは分裂するのでは、と心配してしまうのは、常に金銭的な問題からだ。
 メロディーやコード進行までしっかり作ってくるのは、暁が一番多い。
 根本的に蓄積された音楽が、一番多いからであろうか。

 ヒップホップのDJが昔の曲からサンプリングしてくるように、60年代から80年代ぐらいまでの洋楽が、一番現在の音楽の原型となっているのか。
 そう考えると月子が三味線のじょんがら節から、霹靂の刻などを作り上げたのも必然性があるのかもしれない。
 個人の心の底には、音楽の原型というものがある。
 日本人の場合は、平気で外の文化も取り込んでしまうところがあるが。

 彩の話については、ノイズ全体に関わることだけに、他のメンバーにも話す必要があった。
「そういうのって、先に根回しとかが来るもんなんじゃないんですか?」
 信吾のごく当然の疑問に、阿部もため息をつく。
「そのはずなんだけど……個人的な立場で来たのかも」
 俊はメンバー以外にも、ごくわずかな人間に対しては、彩と異腹の兄弟であることを知らせている。
 阿部なども同じレコード会社の系列なだけに、変な交流を計画しないよう、険悪な状況にあることまで含めて、話してあるのだ。

 それなのに、彩は来た。
 二日目のステージが全部終わって、ノイズのメンバーが一番疲弊しているタイミングで。
 もっともあちらは本当に忙しいので、このタイミングでしか機会がなかったというのも嘘ではないのかもしれない。
「わたしたちの演奏は聴いたのかな?」
 月子としてはそこが気になっているが、俊としてはそこにまで考えが及ばなかった。

 なんだかんだ言いながらも、彩の音楽センスは優れている。
 周囲にいるのは全てが一流のミュージシャンで、それと比較して果たしてどう思えたのか。
 もちろん満足する出来でないのなら、わざわざあんな提案はしてこなかっただろうが。
「協力はしないということでいいのか?」
「当然だろ」
 栄二の問いに対して、俊としては明確に答える。
 だが阿部の方は、少し気にしていたらしい。



 ノイズの人気をここからさらに高めていく方法。
 それには宣伝が重要となってくる。
 既に知っている人間は、もうノイズのことを知っている。
 だが本格的に一般層に知れ渡るためには、まだ足りないのだ。 
 普段は音楽を聞かないような人間でも、聞いたことがあるなと思わせる。
 それぐらいに拡散していないと、本当に売れているとはいいにくい。

 広告と宣伝を使っていく、昔ながらのスタイルは、ある程度効果的である。
 既に土台となる人気を作っているだけに、いよいよ本腰を入れて売りに来たか、と思ってもくれるだろう。
 ショート動画でバズっていても、それは若者の一部の文化として、消費されているだけなのだ。
 もちろんアニメタイアップを外国のアニメーションと行い、そして今もまたタイアップのコンペに出している。
 これが通ったならば、かなりの知名度の拡散にはなるだろう。

 だがそれと、ゴーストで曲を提供するというのは、完全に別の話だ。
 阿部からすると既に金をかけている彩は、この先もしばらくは売っていかなければいけないと、レコード会社や事務所が判断していることは分かる。
 しかしノイズにしても、自力でここまで上がってきている。
 確かにミュージシャン側に有利な契約を結ぼうという、小賢しいやつらではある。
 それでもここまで認知度を高めてしまえば、売った方が得なのだ。

 彩の力に頼るまでもなく、ノイズはもう売れる。
 数字だけを見てみるならば、ここが金をかけるタイミングの一つだと言える。
 アニメタイアップの件に関しても、事務所の力というのは確かに存在する。
 アメリカで先にアニメーションのOPとして使われるという話題は、起爆剤としては充分なものだ。
 今がノイズを本格的に売る時だ。
 それは事務所もレコード会社も分かっているが、ミュージシャン自身が露出に対して、あまり協力的ではない。
 正確に言えば向こうのイメージに合わせていく、という意識が弱いわけだが。

 俊は父の成功と没落を知っている。
 正確には生まれたときには既に、全盛期は終わっていたのだが。
 ただ母はそんな中で、充分な選択をしていたと思われる。
 お嬢様育ちであった母が、そういった動き出来たのは、ちょっと今の俊から見ても不思議ではある。
 ただ結果として、父の元で自然と学び、そして母に引き取られたことによって、今の俊があるのは分かっている。

 事務所などはともかく、レコード会社は大きな組織だ。
 下手におだてられてしまっても、内実は長期的な己の利益だけを考える。
 それはそれで当たり前のことで、ミュージシャン側もそれをどう利用するか、事務所が考えてくれなければいけない。
 もっともその事務所にしても、ミュージシャンと一蓮托生というわけではない。
「普通に楽曲提供するぐらいならいいんだけどな。彩なら作詞は出来るだろ」
「ゴーストをするのはやっぱり嫌い?」
「どうでもいい曲なら、やってもいいけどなあ」
 俊は完璧主義者の側面を持っているが、まずは終わらせることも重視している。
 クオリティとスケジュールのどちらを重視するか、どうしても選ばなければいけないなら、スケジュールの方を重視するのだ。

 最初の段階でスケジュールが遅れると、その後の全てに影響が出てくる。
 そこで失う金と、そして信用というものが、こういった業界では重要なことなのだ。
「ただ楽曲を提供するにしても、ノイズのサリエリだと問題かな」
 普通に本名でやっても、それは構わないかな、と思っている。
 実際に俊がサリエリであるというのは、多くの人が知っている。
 もちろんサリエリを知っていて、その本名が渡辺俊であるということは、あまり知られていないのだが。



 彩の周りには、優秀なコンポーザーもいて、アレンジも上手いであろう。
 だが音楽著作権というのはあくまで、作曲者に入るものだ。
 確かに俊の中には、彩に向いた楽曲というのが存在する。
 そもそも俊の最初の作曲の動機というのは、彩が歌ったらどういうものになるのか、から発しているのだ。

 ある程度のハスキーボイスから生まれる、彩の甘い歌声。
 それに向いた曲を意識していたため、高音のミクさんに歌わせるには、微妙な曲を作ってしまったものだ。
 むしろ原点に帰れば、彩に向いた曲が生まれるのは当然のことだ。
(あんな裏切りをされなければな)
 父の曲を剽窃したことは、別に今さら怒ってはいない。
 完成された名曲などではなく、それぞれの断片を、上手くつないだのが彩の才能であったのだ。
 音楽に関する教育は、俊よりもずっと少ない経験しかない。
 ルックスも歌唱力も、そしてカリスマもあったが、それでもまだ足らなかった。

 母に隠れて、何度も会っていたのだ。
 確かに最初は姉だと知らされていなかったが、関係は悪くなかった。
 むしろ俊にとっては、もっとも身近なお姉さんですらあったのだ。
 その信頼を壊して、ズタズタにしたのは彩の方だ。
 あれほどのショックを受けたのは、両親の離婚よりも、父の死よりも、さらに大きなものであったかもしれない。

 結局は渡せなかった、彩のための楽曲。
 これを今の俊の能力で少し手直しすれば、一曲ならず数曲、提供できるものはあるのだ。
 ただそのためには、お互いの確執をどうにかしなければいけない。
 少なくとも彩の謝罪があってほしいが、そう考えるのは子供の感覚なのか。

 お互いの利益のために、恨みを捨てることは、俊には難しい。
 だがノイズのためならば、どうにか出来なくはない。
 ただそういったことを、あっさりと解決するには対話が足りない。
 それに今は年末の年越しフェスのために、練習が必要である。



 夏のフェスでかなりの成功を収めたノイズは、年末四日間に行われるこのフェスの中でも、最終日に出演することになっている。
 季節的に当然ながら、野外でのステージではない。
 千葉県幕張で行われるこのフェスは、四つのステージを使って行われる。
 その中でも5000人規模は入るステージで、ノイズは演奏を行う。
 もっとも出場するアーティストは数十組にもなるので、それほど長い時間を配分されているわけではない。
 一時間弱のステージであるので、この間のワンマンライブなどとは違い、最初から最後まで、一気に飛ばしていける。
 そのための練習も、しっかりと行っていた。

 そんな中、俊のスマートフォンには、未登録の番号からの着信が残っていた。
 おおよそ誰かは分かっていたものの、俊は折り返して電話をする。
 あちらも忙しいとは分かっていたので、出ることはないかもと思っていた。
 だが上手いタイミングで、つながってしまったらしい。

『俊?』
「ああ」
『会える?』
「こうやってわざわざ、事務所を通さずに連絡してくるのは、そっちも知られたくはないのか?」
『お互いに知られたくはないでしょ。それに貴方がここまで上がってきたなら、私たちの関係も整理して改善しておいた方がいいと思わない?』
「よくも言えたなとは思うけど、ある程度は同意するよ」
 阿部から教えてもらった、ノイズを売っていくための方針。
 今の契約条件であっても、ノイズがしっかりと売れてくれるなら、それは確かに問題がない。
 だが稼ぎ頭に近い彩が、変に圧力でもかけてくるなら、少し無駄な時間がかかってしまうかもしれない。

 もっともこれまで、そんな妨害は入ってこなかった。
 そもそも彩も、俊に圧力をかけるような、そんな暇なことはしていられなかったのだが。
 阿部が新しくインディーズ系列の事務所を作ってまで、ノイズと契約しようとした。
 その時点でもう、彩が圧力をかけることなどは出来なかった。
 もっとも日本の音楽業界には、確かにフィクサー的な人間がいる。
 彩が本当に、俊を潰したいと考えるのならば、そちらから手を加えることは出来たのだ。

 だがそんなことはしたくはなかった。
 別に彩自身は、俊に対して憎しみも恨みもない。
 むしろ自分の方が、俊に対してひどいことをしている。
 いや、あれはひどいことであったのかどうか、彩にははっきりとは言えないが。
 少なくとも俊を潰すために、大物にお願いするほど、彩は俊に負の感情を抱いていない。
 抱くとしたらその父親に対してであるが、勝手に子供を産んだ母が、一番悪いのだろうとも思う。
 それでも産んでくれなければ、今の自分はここにいないのだが。
『お互いに、冷静に話し合いたいの』
「それが本当に成立するなら、俺も文句はないよ」
 そして二人は、スケジュールを確認して会うことにした。
 年越しフェスの二日前のことであった。
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