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11章 タイアップ

189 歪な者

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 会場のホール四ヶ所で行われる、大規模のフェス。
 その参加ミュージシャンの数は、50組を超えていく。
 基本的には一組あたり、一時間も与えられていない時間。
 ここのところワンマンライブが多く、客が引けた後には汗だくで、体重を減らしているノイズのメンバーにとっては、ありがたい条件である。
「こういうフェスだと、新規ファンが獲得できていいんだよな」
 信吾は時間になるまで、俊と一緒に他のステージを回ったりしている。
 他には物見遊山で、千歳が同行していた。

 ノイズの結成から、一番成長したのが千歳である。
 それでいながら未だに、一番の伸び代を残しているのも千歳だ。
 つまりまだまだ、技術的に向上の余地があるというわけだが。
「竜道もメジャーに上がってきたもんなんだなあ」
 以前に西方にツアーに行った時、対バンを組んでくれたのが、大阪の竜道であった。
 いまだに本拠地は大阪に置きながらも、関東遠征を頻繁にしている竜道は、メジャーデビューを果たしている。

 ミュージシャンは東京に出てきて有名になることが多いが、バンドは比較的地元で地盤を築く余地がある。
 しかしそれも、大きな都市圏での話である。
 10万ほどしかいない町で、後に全国レベルで通用するようなメンバーが集まるか。
 それはあまり現実的ではないが、バンドであってもルックスで売るという手段はある。

 俊としては自分の主義ではないが、打ち込みでライブをやっているバンドなどを、完全否定するつもりはない。
 ミュージシャンではなくパフォーマー、エンターテイナーとしてならば、それは立派なアーティストだ。
 現代芸術の意味不明さなどを考えれば、音楽もルックス売りをして悪いわけではないだろう。
 こういう場合はまさに、ゴーストがつくわけだ。
 それに俊の場合は、母親から受け継いだ、それなりに高い顔面偏差値が存在する。
 だからといってルックス売りをしよう、と考えたことはない。



 名前はもう全て知っているようなバンドやミュージシャンが、このフェスには参加している。
 音源は聞いたことがあるが、生演奏は聞いたことがないな、というミュージシャンもそれなりにいる。
 俊は本質がコンポーザーであり、バンドで活動していた期間は短い。
 たださすがにバンドとして活動し始めてからは、他のバンドもよく聞く機会には恵まれている。

 彩もそうであるが、本当に音にこだわるミュージシャンと言うか、それこそアーティストと分類すべき人間の中には、フェスなどでこういったところに出てこない人間もいる。
 ホールやアリーナなどの、完全に音楽をするための場所でしか、ライブをしないというこだわりを持っているのだ。
 それはもちろん、本当に音響の問題もあるが、それ以上にそういうスタイルで売る、という戦略を持っていたりもする。
 音楽は音を聴くものであるはずだが、実際にはそれだけで終わるものではない。
 ライブバンドなどは視覚や聴覚、それに肌を刺す振動などがあって、総合芸術として成立する。

 何をもって一番とするのかは、人によるであろう。
 クラシックのオーケストラと、ロックバンドのライブを同列で評価するのは、軸が違うのであまりに乱暴だ。
 俊は母の影響で、オペラやバレエの公演を見に行ったこともあるが、あれは計算されたものである。
 どうやったらポップスの中に取り込めるか、と考えている時点で、俊の基準がどこにあるのかは分かるというものだ。
 クラシックは黒人音楽がアメリカで広がるまでは、欧州の絶対的な支配者であった。
 また黒人音楽と交じり合ったものとしては、ゴスペルなども存在している。

 音楽には本質的な部分では、そういった垣根は存在しない。
 だからこそジョン・レノンはイマジンのような歌詞を書いたのであろう。
 もっともイスラム教においては、音楽を禁止している派閥もある。
 中東での音楽による平和運動の挫折を考えれば、音楽を大乗仏教のように考えるのは無理があるのだ。

 本質的には音楽も、自分自身だけのためのものだ。
 それをどうやって、多くの人々に伝えていくか、それが重要なのだ。
 結局は世界に、自分をどう受け入れてもらうか。
 音楽をやらなければ、まともに生きられない人間というのは、間違いなく存在する。
 あるいは音楽をやるために、生まれてきたような人間なども。
 少なくとも月子は、音楽をやるしかない人間だし、暁もそうであろう。
 俊は自分で、あえて選択した人間だ。
 そういう分類をするのであれば、彩もまた音楽をやるしかなかった人間というか、芸能界で輝く以外にはなかった人間であろう。

 多くの人間は、不自由な現実に、従順に従属できるように出来ている。
 ただそれに我慢ならない、どうしようもない不良品が、人間にも紛れているのだ。
 それは泥の中のダイヤモンド。
 そういったスターを磨き上げていく中で、いくらでも代えの利く人間が、分不相応な欲望を持つことがある。
 俗物に消費されるようでは、スターとは言えない。
 少なくとも俊は、そういった点では慎重ではあった。
 今のところはその慎重さゆえに、成功の道を歩み続けている。
 だが今回の話は、上手くことを運ばなければ、致命傷になる可能性もあるのだ。



 音楽の世界には、新しい才能がどんどんと供給されてくる。
 それは質ではなく、ただ新しさというだけで、先を進むミュージシャンを追い越していくことがある。
 そこでしっかりと、追い越されずに加速出来るか。
 あるいは追い越されても、離されないかというあたりで、そのミュージシャンの格は決まる。

 このフェスにも何人か、あるいは何組か、ノイズよりも後発でありながら、メジャーとしての認知はノイズよりも高いというミュージシャンがいる。
「女声デュオか」
 俊が直接聴きたかった、そのユニットは信吾は初耳であったらしい。
 作曲や作詞、またアレンジなどの全てをやっていて、個性の違う二人が歌っているミステリアスピンク。
 ポップスな曲であるのだが、恐ろしく楽曲の質は高い。
 ただ音源で聴いていたものと、ライブで聴いたものは、かなり印象が違う。
 音源ほどの圧倒的な完成度は、このライブにおいてはない。
「思ったよりも、下手?」
「ミックスの腕がものすごく上手いんだろうな」
 それに声質自体は、耳に残るものである。

 つよつよボーカル二人を使っているという点では、ノイズと同じである。
 さらに似ている部分は、作曲と作詞をボカロPがやっているということだ。
 かつては俊よりもずっと、ボカロ界隈では有名であったボカロP。
 名前は「らせんP」であり、らせんと平仮名で呼ばれている。

 わずかだが面識はあったが、音楽以外の話はしたくない、という化物であった。
 俊が完全にゾーンに入っている状態を、常に維持しているような人間。
 年齢も俊より一つ上なだけであり、その歪な、才能と言うよりは音楽に対する執念は、俊でさえ恐れ、畏れたものである。
 ただコミュニケーション能力の問題から、メジャーシーンに出てくるとは思わなかった。
 作っていた曲も、ポップスなものでありながらも、どこか尖ったものが多すぎたのだ。

 ただそういう才能を、導くのがプロデューサーであるのだろう。
 芸術性というか音楽性というか、個性は間違いなくボカロで発表していた頃の方が上だ。
 もっともあの曲は、人間が歌うことを想定して作られたものではなかった。
 使う楽器にしても、ギター五本を同時に使うような、バンドでも成立しないもの。
 だからこそ打ち込みになっているのだが、それでもまだ商業に寄せてきている。

 俊が彼を、敵としては見なかったのは、その音楽が完全に、彼自身の中で完結してしまっていたからだ。
 確かに聴く人間が聴けば、とんでもないものだというのは分かる。
 だがそれは、売れてからやっと実験的な曲をやるのがアーティストであるのに対し、最初から自分のやりたいことばかりをしていた。
 そしてそれで満足していたのだから、その方向性を変えさせたプロデューサーというのはとんでもなく有能だ。
「下手だけど、耳に残るね」
 千歳もやはりそういう感想を残して、ミステリアスピンクの演奏を聴き終えた。



 ボカロPというのは、一人で全てをしてしまえる人間だ。
 逆に言うと、他人に合わせることが出来ないのであれば、全てを一人でやってしまうしかない。
 かつては俊もそれを考えたが、やはり音楽というのは、人間と人間のケミストリーから生まれる。
 らせんのやっていた、自分の中にひたすら深く潜っていくというのは、質は高くなるのかもしれないし、独自性も素晴らしいものになる。
 だが大衆性に大きく欠けることがあると、安心して油断していた。

 俊は音楽によって、成功することを目指している。
 だがらせんは、音楽を作ることにしか興味がないと思えた。
 その純度の高さは、俊よりもはるかに高い。
 それを上手く大衆性に乗せていくというのを、プロデューサーはよく納得させたものだ。
 またボーカルに関しても、完全にあれはまだ素材の段階だ。
 二人揃っていないと上手く力が発揮できないであろうというのも、プロデューサーが見出したのだとしたら、たいしたものである。

 らせんはあの二人のボーカルの能力に、縛られた作曲をしている。
 本当ならもっと合ったボーカルがいいだろうに、などとも思う。
 たとえばらせんと俊が一緒にやれば、月子と千歳の表現出来る範囲で、上手くまとまった楽曲を作ることが出来る。
 しかしらせんはそういった妥協を許さないがゆえに、凄い楽曲を作りながらも、メジャーデビューなど出来ないであろうと思われていたのだが。
(あとはkanonも、全然動きがないな)
 相変わらず作曲して演奏したものを、配信などはしている。
 あの完成度ならもう、即座にメジャーデビュー出来るだろう。

 芸術性と大衆性と、として時代性へのマッチング。
 らせんが一つの方向に尖りすぎているのとは逆に、kanonは全てが優れた楽曲を発表している。
 ボーカリストとしての歌唱力も、おそらくまだ若いであろうが、月子にも千歳にもない個性を持っている。
 音楽は一人では出来ない。いや、やるだけなら一人でも出来るのか。
 だが商品、あるいは作品としてパッケージするためには、多くの人間の手が必要となる。
 らせんがそれを受け入れたのを、妥協とは思わない。
 実際に完成度はまだまだだが、俊には思いつかないフレーズなどを使ってくるのだ。

 ボカロP出身としてのコンポーザーは、TOKIWAが今の段階では、一番だと多くの人が言うだろう。
 だが俊はその背中がもう見えているし、らせんが上手く最適なポイントで楽曲を作れるようになれば、一気に売れてくる可能性もある。
 わざわざ彼のような人間を、発掘してデビューさせたプロデューサーが、そこで失敗をするとは思わないからだ。
「来年は俺たちも飛躍しないと、追い抜かされていくな」
 本当は音楽の世界などというのは、どちらが上か下かなどというのは、売上ぐらいでしか比べることは出来ない。
 それも単純に、人間が勝手に作った、資本主義の中で一番分かりやすい尺度だ。

 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは商業的な成功をすることなく解散したが、後の音楽に与えた影響は大きなものであった。
 三万枚しかアルバムは売れなかったが、その三万人全員がバンドを始めた、などと言われるような唯一性を持っていたのだ。
 実際にボカロPの中の売れっ子には、らせんの影響を明らかに受けているという者も多い。
 そもそも俊でさえ、音楽的な影響と言うよりは、方向性の影響は受けている。
 こんなものを作っていても売れないな、という反面教師としても考えていたが。



 らせんの恐ろしいところは、同じタイプの曲をまるで作らなかったことだ。
 最初の数曲だけは、誰かのステレオタイプをなぞったものであった。
 だが何かにたどり着いた後は、ひたすら違う方向性の音楽を作り続けた。
 だからこそ固定ファンが増えなかった、というのはあるだろう。

 あの人の、ああいうタイプの曲が聴きたい。
 そう思って求めるファンのことを、ばっさりと切り捨てたのだ。
 アーティストとしては完全に、常に変化を続けるというらせんは正しい。
 しかし一般的な人間は、自分を満たしてくれる何かを、ある程度求めて聴きに行くのだ。
 らせんの場合はそれぞれの曲にファンがいるが、らせん個人のファンは同業者ばかりという、とんでもない化物であった。
 それが段々と、大衆を巻き込むことが可能になってきているのではないか。

 ただ、やるならばもっと、先に曲を大量にためておいて、人気を不動のものとしてから、実験的な方向に進んだほうが良かっただろう。
 ビートルズは度々、他のバンドと比較されるが、レコーディングバンドになってから実験的な曲が多くなっていった。
 それでいながら大衆的な曲も作れるあたり、本当に怪物バンドというか、ジョンとポールの二人が特におかしかったのだが。
 
 他にも多くのミュージシャンのステージを巡っていった。
 とりあえず一番の収穫は、まだらせんのユニットが、成長途中というか商品になっていないと確信できたことだ。
 いくら音源としては素晴らしくても、あれなら口パクで音源を流しておいた方がいい。
 おそらくらせんの要求するレベルに、二人はライブでは到達しないのだ。
 何度も繰り返し行えるレコーディングとは、やはりライブは違う。

 もっとネットでの人気を確固としてから、ライブでも通用するまで鍛えて出てくるべきであった。
 ただ宣伝という意味だけでも、実際のライブで聴いたら下手だという、マイナスの評価が広がるばかりであろう。
 それ以外はおおよそ、俊の中に刺激を与える、ミュージシャンの音楽が続いていた。
 俊たちはトリの前で、ヘッドライナーはブラックマンタだ。
 このままそのステージを見ていくつもりでいる。
「なんだか、女のボーカルの強いのが、たくさん出てきてる気がするな」
 信吾はそう言ったが、確かに目立ったところでは、そうであるかもしれない。
 もっとも前から人気を持続させているバンドなどには、普通に男声ボーカルのバンドもたくさんいるが。

 ボカロPが女声ボーカルとユニットを組む、というのが一つのパターンとしては成立しているのだろう。
 元々ボーカロイドというのは、ほとんどが女声のものでもあるのだし。
 男の声を使うなら、最初から自分で歌ってしまう、というボカロPもいるだろう。
 もっともそれは、音痴の俊には絶対に出来ないことだが。
「お帰り~。どうだった?」
「やっぱり人がすごいな。屋内型のフェスとしては最大規模だし」
 セッティングが変更されていって、ノイズの出番となる。
 おおよそ50分ほどの、最初から飛ばしても構わないぐらいの時間。
「さあ、行こうか」
 盛り上がり続ける各ステージの中で、その熱量の中に、ノイズのメンバーも飛び込んでいくのであった。
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