転移、のち、転生 ~元勇者の逸般人~

草野猫彦

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1 俺の母ちゃんは姉ちゃんだった

 烈光が迸り、それに遅れて轟音と共に衝撃が走り抜け、既に崩壊していた城は、中心から爆風と熱量で原子の大きさにまで分解され、中央を除いてクレーター状になっていた。遠くの山脈にまでその力は及び、山を単なる地平線へと、豪快に地形を変えていた。
 そして爆発地点の中央に立つ生命体が二人。聖銀の鎧に身をよろい神殺しの神剣を持った勇者と、漆黒のローブを身にまとい、捻じ曲がった禍々しい槍を持った魔王。
 互いの武器は、互いの急所を貫いていた。

「見事だ…」

 わずかな差。そのわずかな差で、魔王の鉄壁の守りは破られ、神剣の力がその身を崩壊へと導く。
 支えを失った勇者はその場にくず折れて、自らの血だまりの中へ沈む。
 致命傷だ。しかも魔王の呪いのかかった武器での。最後の戦いに挑む前に置いてきた聖女の魔法を使っても、これは癒せないだろう。まあ、そもそも連れて来ていたら、魔王との戦いの余波で死んでいたろうが。
 最後の戦いにおいては、自分以外の全ては足手まといだった。
 だからこの選択は間違いではなかったのだ。

(なんだかな……)

 地球から召喚されて九年。魔王に滅ぼされかかった人間側に立ち、最初は流されるように、やがてはこの世界で守るべきものを見つけ、神々をも喰らう魔王に率いられた魔族と戦い続けた。その結果がこれだ。
 間もなく自分は死ぬ。大きな苦難と喜びと、憎しみと信頼と愛情と。様々な感情に翻弄された九年だった。
 戦友がいて、好敵手がいて、己を想ってくれる人がいて、濃密に流れた九年間だった。
 それが、今終わる。

 役目は果たした。この世界の誰に対しても、胸を張って誇れる。魔王は滅び、その軍団は半壊し、残党は魔王の統一された支配から脱し、組織的な脅威とはならないだろう。
 人間同士の争いや、魔王による破壊から復興するのにも時間はかかるだろう。しかし、それは勇者の仕事ではない。
 だから、この世界に思い残すことはない。たとえどれだけの大きな絆を感じた人々がいても。どれだけ想い合った者を残すとしても。

 だが、だからこそ思い残すことがある。

 地球へ帰りたかった。
 両親と祖父母と、ついでに姉と。友人たちにも伝えたいことがある。
(父さん……母さん……ごめん……。姉ちゃん……あんたのパンツを同級生に売りつけたのは俺です。死ぬ前に心の中で謝っておきます……)
 仲の良かった同じ趣味の友人たち。彼らは自分が異世界で勇者をしたと言ったら、どんな顔をするだろうか。
(誰も信じてくれない、か…)

 その時空間が歪み、彼の仲間たちが転移してきた。
 勇者の傷に悲鳴を上げて、どうにか治療しようとする聖女。だが魔王の呪いは強い。
 懸命に勇者の傷を癒そうとする少女。その頭に手をやろうとして、もはやその力すら残っていないことに気付く。

 悪くない。この死に方は、悪くない。
 だがそれでも、最後に口にしたのは未練であった。
「帰りたかったな…」
 その呟きと共に、勇者の呼吸は止まった。






 意識があった。
 暖かいまどろみの中で、ただ意識があり、それは徐々に人格や感情を取り戻していった。
(生きてる……)
 意識と無意識の間で、ただゆるやかな思考が流れる。記憶の波はゆるやかに打ち寄せ、彼を眠りに誘い、そして想い出を風化させる。

 それに抗ったのは、彼自身の意思だ。
 忘れてはいけない。強い想いがあった。泡のように溶けそうな記憶がつなぎ止められ、まるで夢の中であるかのような時の流れの中で、強い記憶が再生されていく。
(まだ生きてるのか……?)
 あの魔王との戦いの後、とても自分が生きているとは思えなかったが。
 それでも自分が自分であるという自覚があった。

 そして穏やかな空間が、やがて蠕動を始めた。
 己をその安全な場所から吐き出そうとする力。だがそれに抗ってもいけないと、本能が告げている。
 やがて呼吸が苦しくなり、肺の中に溜まった液体を吐き出したとき、初めて彼は叫び声を上げた。

「元気な男の子ですよ」
 しっかりと見えない視覚に対して、まだしも聴覚は確かだ。周囲に数名の人間がいる。
 自分の肉体をはっきりと感じて、その脆弱さに驚く。
(地球? 日本語?)
 いまだ未成熟な脳では、記憶や思考を辿ることは出来ない。
 だがおそらく、自分は転生したのだと想像出来た。
 しかもあれほど帰りたかった日本に。

 まどろみは続く。思考するにも脳が未熟で、精神の働きも弱い。
 生誕の祝福を受ける中、彼はまた眠りの中へと落ちていった。



 おそらく、三ヶ月は経過したのだろう。
 その間に思考ははっきりし、目もおおよそ見えるようになり、周囲の状況を確認することも出来るようになった。
「悠斗は本当に手がかからないわね」
「賢い子なんだな。……あの子の子供の頃に良く似てる」
「そうね。目元のあたりなんかそっくり」
「お父さん、お母さん、言っちゃ何だけと、悠斗の方がずっとハンサムよ」
「いや、やはり流斗に似ておる」
「そうねえ、お爺さんにも似てるわねえ」

 今目の前にいて彼、菅原悠斗という名の赤ん坊を見ているのは五人。
 母とその両親。そしてさらに祖父の両親。流斗はその五人に、見覚えがあった。
 もちろん赤ん坊の頃からよく見ているのだが、生まれる前から見覚えがあった。
 かなり年月の経過で見た目は変わっているが、五人は間違いなく、前世の両親と姉、そして祖父母であった。
 それに気付いたとき、姉のおっぱいで授乳していることにかなりの葛藤を覚えたが……粉ミルクだけだと栄養が偏るであろうと大人の判断で諦めた。
 オムツを替えてもらうのは、それに比べればマシであった。

 しかし、前世では姉で、今世では母親。
 頭の上がらなかった人物が、さらに強大化している。
 子供の頃、プロレス技の実験台にされた記憶は風化していない。電気アンマやジャイアントスイングの練習台になったのは悲惨な記憶。姉によるバックを取ってからのチョークへの移行は芸術的ですらあった。
 おおよそ大学ぐらいまで、悠斗は姉の奴隷であったのだ。それは暴力とかどうとかではなく、ただ姉という存在はそういうものであったからだ。
 弟が姉に逆らえないのは世界の常識である。

 それにしても、あの姉がよくもここまで穏やかな母親になったものである。
 悠斗が転生者の常として、素晴らしく育てやすい赤ん坊であったことも確かだが、とても同じ人間だとは思えない。
 人間として成長したのか、それとも弟と息子では扱いが違うのか。おそらくは後者だろうが。
 まだお座りも出来ない悠斗は、そっと溜め息をつくのである。

「ただいま~」
「お帰り~」
 姉の旦那、つまり悠斗の父が帰ってきた。実はこの父親、婿養子である。
 前世で悠斗がいなくなった後、両親の子供は姉一人になった。父は次男であったこともあるため、菅原の籍に入ったのだ。
 妻の両親、さらに祖父母と同居する旦那は、おおらかでかつ気遣いも出来る人だ。
 ただ帰宅したとき、やたらと悠斗のほっぺにキスしてくるのは困ったものだが。
 あううう~と声を出して抵抗しようにも、赤ん坊の筋力ではそれは不可能。
 転生した勇者は出来るだけ早く、力をつけることを決意した。



 そして実は、前世の力を思い出すと、地球でも魔法が使えることに気が付いた。
 地球に魔法などなかったはずだが、ひょっとしたらアニメやマンガのように、社会の裏で動く陰陽師や退魔士でもいたのかもしれない。そんなものが実際にいたら、戦争なり技術発展なりで活用されそうではあるが。
 体を動かせない悠斗は、ただ思考するしかない。そしてその思考の中に、魔法の行使が含まれる。
(まずは測定)
 両親や祖父母の、言うなればステータスを数値化する魔法である。もっともゲームのように、能力が分かれて数値化される便利なものではない。
 一番簡単なのは、魔力の計測だ。魔力の容量だけは、数値化こそ出来なくてもはっきりと大小が分かる。
 あとはおおよその戦闘力だろうか。肉体的な頑健さや筋力などを、なんとなく総合的に比較出来る。
 とりあえず、姉であった今の母は、父よりも強いのが分かった。

 あちらの世界に比べると、地球の人間はあまりにも脆弱だ。母はかなりの例外だ。
 もっとも向こうの世界でも、戦える人間を除く一般人は、こちらの世界の平均と変わらないのかもしれないが。
 あちらの世界の熟練の戦士たちは、明らかに地球の常識を超えた力を持っていた。その中の頂点が、悠斗であったわけだが。
(解析……は意味がないか)
 向こうの世界で戦いの日々を送る中、まず第一に必要だったのは、敵の能力を見抜くことであった。
 測定で魔力を測り、解析と分析で特殊能力や偽装された能力を看破する。術理魔法と呼ばれていた分野だ。
 戦闘に長けていた悠斗であるが、これも重視していた。
 敵が出来ることを知っているのと知らないのとでは、対応が全く違うこととなる。仲間には特にそれに長けた魔導師もいたが、前線で孤立して戦うこともあった悠斗が、絶対に身につけなければいけない魔法であった。

 他には類似したもので、鑑定という魔法もあった。
 呪われた道具や罠の詳細を調べるもので、迷宮や敵の砦に侵入するときは、やはり必須の魔法であった。
 さらに感知という魔法もあり、これは近づいてくる敵や、設置された罠に気付くという魔法である。
 勇者と言うと戦闘力に特化した存在だと想われがちだが、実際の冒険においては、その手の技能に長けた仲間がいても、やはり自身も備えておかなければいけない魔法だった。
 何しろあちらの世界は、街を出るとすぐに魔物が出るような、物騒な世の中だったもので。
 魔王が死んだのでそれも変わるだろうし、日本が平和すぎるという面もあるが。

 それにしても、悠斗は己の現状によって、一つの真理が証明されたのではないかと思った。
 記憶や人格は、どこに宿るのかという問題である。
 記憶は当然脳にあり、感情や人格といったものも脳にある。一部は神経系にもあるとされていた科学知識であるが、それでは悠斗の現状が説明出来ない。あちらの世界では地球と違って、転生して記憶を持っている人間というのは普通にいたし。

 やはり霊や魂といったものは存在するのだろう。あちらの世界には死霊術というものがあったが、死体や骸骨に宿るのが生前の人物であるとは証明されていなかった。仲間の一人にも死霊使いの専門家が一人いた。
 戦闘を最優先にしていた日々であったが、おそらくああいった研究も戦後には発展するだろう。
 転生によって脳に無理やり記憶や人格を移植したのにしても、それを媒介するためにはやはり霊や魂といった存在が必要なはずだ。そして赤子の脳に成人の記憶や経験が詰められるかと言えば、それは難しいだろう。
(そういえば脳ごと頭を破壊しても、再生してくる魔族はいたもんな)
 吸血鬼としか言いようのないあの種族は、なんと体を霧に変える個体まで存在したのだ。
 神聖魔法や光系統魔法で倒せたが、地球の科学知識に則って考えれば、明らかにおかしい。
 これはまだまだ考察の必要があるだろう。幸い今の自分は赤ん坊だ。考えるだけなら時間はいくらでもある。
 それに……しょせんはもう、過ぎ去ったことだ。

 実は悠斗には、前世において勇者として持っていた加護まである。
 それは病気や毒の無効化。筋力などの成長限界突破。他にもまあ、常人とは全くいえないことが色々と……。
 この力を行使すれば、悠斗はどんなスポーツでも世界の頂点を取れるだろうし、重ねて魔法を使えば色々と後ろ暗いことさえ出来てしまう。
 核兵器などの放射線に関しては対処の必要があるだろうが、もう少し肉体が成長して魔法を制御出来るようになれば、米軍基地の一つや二つは落としてみせる。
 ホワイトハウスに単身乗り込んで、大統領を撲殺するのも容易だろう。



 だが今すべきは親孝行……今では祖父母孝行と曽祖父母孝行になってしまうが、それをすべきであろう。
 ある日突然に息子が消えたというのは、親にとっては筆舌に尽くしがたいものがあったろう。自分でも割と両親に面倒をかけない良い子ちゃんであった自覚はあるので、余計にその欠落感は大きかったに違いない。
(でも姉ちゃん……母ちゃんには油断はしないぞ)
 まさに魂の奥にまで刻まれた姉への恐怖は、赤子になった悠斗にも残っている。
 その点だけを気を付ければ、今度こそは平穏な一生を送れるだろう。地球でも異世界でも縁がなかった、女性とのお付き合いもしてみたい。……決してモテなかったからではなく、向こうでは特に、そんな余裕がなかっただけだ。
 それに若干の経験がなかったわけではない。向こうの世界では勇者はそれなりにモテたのだ。
 ……まあ、厄介なやつにモテていたとも言える。

 平穏無事な人生。それをつまらないものと考える人もいるだろう。だが悠斗はもう、既に一回世界を救ってしまったのだ。歴史上の偉人や成功者になろうとは思わない。ただ家族は大切にしたい。
 そんな悠斗は、ベビーベッドに寝かされながら、食事をしている家族たちの様子を見ている。
 平穏だ。これこそ安らぎと言えるものだろう。

 テレビをつけてニュースを流しながら和やかな食事をする家族。
 それを見る悠斗の目は、修羅場を潜り続けた老いた戦士のように優しい。

『次のニュースです。今日の昼、鹿児島県で新種の猿と思われる動物が発見されました』
 そのニュースを見るまでは。

 画面に映されたのは、確かに猿に似た生物だった。
 しかしあるいは、猿よりも人間に近いかもしれない。
 そして緑色の、腰に布を巻いたその存在を、悠斗は良く知っていた。
『この生物は観光中の登山客の列に襲い掛かり、男性の登山者が持っていたピッケルで退治されましたが、何人かの重軽傷者が出ています』
 緑色の猿に、家族は目を向けている。猿と言っても、強いて言うならそれに近いというだけだ。だが悠斗ならその存在を、簡単な固有名で片付けただろう。
(あれは……ゴブリンだ)
 小さな角を持つ緑の皮膚をした、あちらの世界では最も身近で厄介な存在。
 異世界にいた魔族と、それは酷似していた。
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