異世界堕落生活

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第二章 パジャリブ動乱

第十五話:暴走する狂気

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 あまりに突然の提案に、ロスタビリ以外のメンバーは困惑した。

「……ラカを誘拐する?」
「そうだよ」
「誘拐してどうするって言うんだ?」
「金を要求するのさ。それ以外にあるか? ラカの命と引き換えなら、いくらでも引っ張れるぞ」
「それはそうだろうけど……」

 ラカの所属するラシャール教団は、パジャリブでもっとも多くの信者を持っている宗教団体だ。
 市民の実に八割が信者だ。教団のマスコット的存在であるラカの人気は、教団のトップである大司祭やパジャリブの市長よりも高いと言われている。
 もし、市長が金惜しさにラカを見殺しにしたとなれば、市民は黙っていないだろう。
 政治不信は、市が抱える慢性的な課題だ。そこにショッキングな問題が加われば、暴動へと発展しかねない。
 暴動を鎮圧するのは軍の仕事だが、ラシャール教の信者は軍の内部にも大勢いる。
 いざという時、ラカを見殺しにした市長を守るために、軍人たちは仕事をするだろうか?
 これらのことを考慮すれば、ラカが誘拐された場合、市長は莫大な身代金を払ってしまうだろう(どうせ税金だ)。
 だが……、

「ここには手癖の悪いやつがいくらでもいるぜ。大金持って帰ってきたら、寝てる間に全部盗まれちまうんじゃないかなぁ?」
「バカ、金があるのにスラムにいる気かよ」
「あ、そっかぁ。金さえあれば、どこにでも住めるんだ」
「東地区にだって住めるぜ。いや、さすがにパジャリブにいれば軍が黙っていねぇか。じゃあ、船に乗って外国へでも行こうじゃねぇか」
「外国……そっかぁ。パジャリブの外にも世界はあるんだよな。どんなとこなんだろ、行ってみたいなぁ」

 何人かの目の色が変わった。
 その日その日を生きることで精一杯の彼らにとって、パジャリブの外に出ることなど夢のまた夢だった。
 海の向こうや、何十日も歩いた先に別の国があることは知識として知っている。
 しかし、そこがどんなところなのか、詳しくは知らない。
 一生行くことなどないと思っていた。

「行けるぜ、ラカさえ誘拐すればな」
「うん、行きたい。でも、もしも失敗すれば、殺される」
「大丈夫、こっちには切り札があるんだ。これがあれば、軍だろうがなんだろうが、ちっとも怖かねぇ」

 ロスタビリは、切り札を仲間たちに見せた。

「これは……まさか」
「そう、そのまさかだ。ここ最近、どこでこいつを使うか考えてたんだが、どうもここらしい。ラカを助けにくる軍にこれを使ってみせれば、奴らももう強硬手段には出られない。オレたちの言うことを聞かなくちゃいけなくなる」

 切り札を見せた効果は絶大だった。
 酒とマウランの葉で気の大きくなった彼らの目には、切り札は勝利への約束手形にしか見えなかった。
 もはや勝利は目前にある。

「オレと一緒に金持ちになる奴はどいつだ? 一生ここで腹を空かして、病気になったら即終了の人生を歩む奴はどいつだ? どうせ命くらいしか失うもののないオレたちだ。その命だって、しょせんは軽い。オレたちにリスクなんてねぇんだ。成功すれば人生大逆転。失敗してもそれだけのことにすぎねぇ!」

 ロスタビリが立ち上がり、右手を天に突き上げると、残る全員も立ち上がり右手を天に突き上げた。


 そうと決まれば、いつまでも酒盛りなんかしていられない。
 彼らはナイフやハンマー、木の棒など、とにかく手当たり次第に武器を手にして飛び出した。

「ラカは今どこにいるんだ?」
「知らねぇよ」
「もしかしたら、スラムの中をうろついてるかもしれねぇ」

 彼らは手分けしてスラム街を探した。
 だが、ラカの姿はどこにもない。
 そこら辺にたむろしている連中に聞くと、どうもすでにスラム街の外に出ているらしい。

「なんだってラカ様を探してるんだ?」
「誘拐するんだよ」
「へぇ、おもしろそうだな」

 そのていどのやり取りで、ロスタビリたちの仲間に加わる者が何人もいた。
 彼らもまた、ここの生活に絶望と閉塞感を感じていた。
 ラカを誘拐するという突拍子もない話は、彼らに刺激と希望を与えた。
 スラム街の外で再集結し、ラカの行方を追う。
 毒入りの水を売っている女に話を聞くと、どうもとっくの昔に帰ってしまったらしい。

「おいおい、どうするんだ? これじゃ誘拐できない」
「酒なんか飲んでグズグズしてるからだ」
「そうだそうだ、墓場で誘拐すればよかったんだ」

 口々に不満が出てきた。
 酒を飲みながら決めた誘拐なのだから、酒を飲んだ云々、墓場云々という意見はまったく筋違いなのだが、彼らはそれをおかしいと思わない。まだ酔っているし、今もマウランの葉を噛んでいる。
 スラム街で一番の体格と度胸で彼らのリーダーとして君臨してきたロスタビリだったが、このままでは、群れの頂点から引き摺り下ろされそうな勢いだった。
 窮地に追い詰められたロスタビリの頭に、またしてもとんでもないアイデアが浮かんだ。

「教団の神殿を襲おう」
「無茶だ。何百人も人がいるんだぜ?」
「全員を相手にする必要はない。ラカでも大司祭でも、人質にすればいいんだ。そうすりゃ、残りはどうにでもできる。神殿の中には、きっとお宝がたんまりあるぜ。身代金よりよっぽど儲かるはずだ」

 ここまできたらやるしかない、と最後に付け加えると、全員がうなずいた。
 ここまでもなにも、まだどこもまでもきていないということにツッこむ者はいなかった。
 彼らの頭にあったのは、大金を掴んで豪遊することと、ラシャールのお偉いさんや軍の幹部に一泡吹かせることだけだった。
 神殿を襲うなんてより爽快じゃないか。ぐらいにしか思わなかった。

「だけど、この人数でどうやって神殿に入る? 武器を持ってるんだ。入口で止められるぜ」
「それは……」

 ロスタビリの目に、一台の馬車が映った。
 それは、御者だけが残って、主の帰りを待っている馬車だった。
 ロスタビリは、軍のエンブレムがついていることから、それがニャーラの馬車であることに気づいた。

「あれを襲え!」

 号令をかけると、スラムの男たちは、一斉に馬車に向かって駆け出した。
 驚いた御者は馬車を捨てて逃げ出そうとしたが、すぐに捕まってしまった。
 御者は激しく殴られ、執拗に蹴られ、無残に頭を割られて死んだ。
 御者の身ぐるみを剥がし、馬車の中を物色すると、ロスタビリが欲しかった物が出てきた。

「なんだそれは?」
「軍の通行証だ」
「それがあるとどうなるんだ?」
「ラシャール教団の敷地内にだって自由に入れる。教団と軍は仲良しだからな。検問なんてしねぇはずだ」

 一味のうち、一人が御者のふりをして、残りは馬車の中にぎゅうぎゅう詰めに隠れることにした。ニャーラの馬車は箱型で、外からは中が見えない。隠れるにはうってつけの構造だった。
 御者の役はロスタビリがやることにした。


 彼は馬車を走らせ、ラシャール教団の神殿へと向かった。
 神殿は、一辺一キロ超の正方形の敷地の中に建っている。
 神殿そのものの大きさは、長い部分で二百メートルほど。地上五階、地下三階まである巨大な建物だ。
 その内部については、ほとんど知られていない。
 一般の信者が出入りできるのは、正門から続く街道とその周辺の庭園。それに一階の聖堂部分だけだからだ。
 その他の部分について、神殿で働く者たちから情報が漏れることもない。秘密を知ることを自慢気に語るような者は、神殿の職に就くことはできないのだ。
 立ち入りできない部分は神秘のベールに包まれている。
 唯一の例外として、五階にあるバルコニーと、そこに繋がる部屋だけはなんとなく知られている。
 年に数度、大司祭がバルコニーに立ち、庭園に集まった信者たちに説教をする。バルコニーの向こうが、大司祭の部屋だと言われている。
 それ以外の部分は、本当に謎となっている。
 まったくの情報なしに権威ある場所に侵入し、そこのトップを人質にしようなどとは正気の沙汰ではない。
 幸か不幸か、彼らの中に、正気の者は一人もいなかった。
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