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あの娘のスクール水着を盗んだ
しおりを挟む玄関のドアを開けるなり、無理やりに足を抜こうとしてうまく脱げない靴に苛立つ。
気持ちばかりが逸ってしまい、相互の側面を強くこすり合わせたことでぐにゃぐにゃとたわみ歪むスニーカーが自分の姿と重なって見えた。
その瞬間、カッとなって指をつっこみ、荒々しく押し下げるとやっと忌々しい拘束から解放された。
そのままわき目もふらずどたどたと音を立てて二階の自分の部屋へと一直線に向かう。
この時間は両親ともいない、家にいるのは自分だけだということは意識すらしていない。
今の気持ちそのものの音を立てて開けたドアがもっと大きな音を立てながらまた閉しまった。
初秋の午後、西日が差し始めた閉じた空間を蒸し暑さと自分の荒々しい息の音だけが満たしている。
昂ぶっている。
冷静でいられるはずがない。
そのまま立ちすくみ、落ち着くのを待っていても。
どくんどくんと脈打つ心臓の鼓動はどこまでも早くなっていくような気がした。
もう我慢が出来なくなったから、肩にかけていた学生鞄の蓋を開けて手を突っ込むと。
……ある。
非日常そのものの感触が伝わり、これが夢ではないことをおしえてくれる。
握ってすぐにバッと目の前のベッドの上に放り投げた。
見慣れた柄の布団の上に弱弱しくよじれしなびた姿を晒しているそれは。
僕がずっと大好きだったあの娘(こ)のスクール水着に他ならなかった。
………
あの時、僕が体調不良で保健室で寝ていなければ。
病がちで早退することが常態だった僕がそのまま帰るのを保健室の先生が許可しなければ。
帰り支度をしようと教室に戻ったときに、臨時の全校集会のために学校中の人間が体育館に集まっていなければ。
こんなことは絶対にしなかったんだ。
お昼休みの直後、本来は5時間目が始まっているはずの教室には誰もいなかった。
わずかな物音さえしない、しんとした静けさ。
それはこの場所だけでなく、隣り合う教室も含めた周囲数十メートルの範囲内に誰の存在もないことが齎しているのは間違いなかった。
僕が知る、教室を取り巻くどんな状況とも違う。
現実性を欠いた白昼夢のような非日常が支配していた。
眩暈。
体調の悪さも手伝って益々その雰囲気に飲まれそうになる。
だからどれだけ足が重くても、なんとか教室の入り口から自分の席へと歩を進めることに努めた。
そして僕にとってはとても長く苦しい僅かな時間を経て机へとたどり着き。
やっとの思いでろくに使っていない教科書と筆記用具を鞄に突っ込み始めたその時に。
斜め前にある、あの娘の机とそこにかかっているおしゃれなプールバックが目にはいったんだ。
その瞬間。
鮮やかな明色のプールバックとその隙間から覗く紺色の布地、茶色と灰色の教室という背景色で構成される色彩の光景が網膜に焼きついたそのときに。
魅入られたように固まってしまった。
ずっと好きだった。
向こうからはどうとも思われていないことなんてわかってる。
ただのクラスメート。
それでもごく稀に接触があるたびに燃え上がり。
ありきたりで何の変哲も無いやりとりの中に無限の夢想を重ねてたんだ。
どうしようもない気持ちにずっと焦がされて。
毎日のように想い想われる関係になることを夢見てたんだ。
そんな憧れの女の子、その人が日頃使っている机と椅子。
そこにかかる綺麗なプールバックと紺色の水着。
そして静寂が証明する非日常が僕の中で混沌と混ざり合い。
一つの衝動が結実した。
なんの躊躇いもなく手を伸ばすと。
音も無く抜き取り。
静かに自分の鞄へと押し込んだ。
………
出したときのままの姿で布団の上のスクール水着は微動だにしない。
午前中の授業で使ったばかりのそれは、確かな湿り気と塩素の香り、全体がしわしわとよじれて頼りない。
あの娘が着ているときと比べると、全然別の物体のようだった。
熱く煮えたぎったままの頭でまぶしいほどに目がくらんだあの姿を思い出す。
見学していたプールサイドから覗いていた。
水中で身を翻し、プールの端にある梯子へと向かうあの娘。
物体が液体をまとって動くとき特有の滑らかな表面運動をみせながらパイプを握る手に力を込めて自らを引き上げる。
やがて全身を水面から出したら、濡れた健康的でしなやかな身体を惜しまずに晒す。
その瑞々しい弾力に富んだ造形を伸縮性を発揮してぴっちりと適度に張り詰めて包み込む紺色の水着。
艶々の光沢と皺一つない均一な様が柔らかくて滑らかなその感触をありありと僕の中に作り出す。
触らずともわかる生々しい肌触りがみるみる構築されていく感覚に支配され。
何時しか盗み見るというよりも、周囲の目も憚らずひたすら凝視してしまっていた、あの日差しの強い夏のひととき。
そのイメージをはっきりと思い浮かべ。
とうとうその感触を確めるために手を伸ばした。
捩れていたのを引き伸ばして形を整えてゆっくりと両手で触れる。
何よりも憧れ心を焦がしたあの娘の身体。
確かな存在感を示していた胸、細身ながらも柔らかそうな太股の根元に息づいていた女性の部分。
それらが直接接触していた場所を震える手のひらで撫でていく。
やがてそのまま頭を下げていき、鼻先があたり頬が埋まる、顔が全て包まれる。
湿った薬品臭と滑らかな肌触り、記憶の中の姿とその感覚を一致させた瞬間。
僕の中の何かが爆ぜた。
それは抑えきれない暴力的で荒々しい原初の衝動だった。
………
湧き上がる衝動のままに身体を動かしつづけて。
やがて最も強く激しい欲求のピークが物理的な放出現象を経て解放されると、しばらくはどくんどくんという耳の中から生まれる音と生々しい自分自身の匂いに包まれる。
それも徐々に熱を失うように身体中に溜め込まれたエネルギーが発散していき、やがてはその残滓だけになってしまえば、後には放心だけが残った。
キーンという遠い耳鳴り。
冷えた身体と汗のべたつき。
すでに慣れてしまった鼻は匂いを認識していない。
そのままどれだけ時間が経ったろうか。
外は完全に日が落ちて真っ暗。
その闇の中でぽっかりと開いた穴に何かが少しづつ流れ込んできて。
ぼんやりと空隙が満たされていくのを感じていた。
それはいつしかみっちりと満ちていき僅かに残った隙間さえも埋め尽くすと。
やがては溢れこぼれだしてきた。
口中に広がる不愉快な刺激。
それは……。
後悔と恐怖だった。
もう僕はあの娘と恋する資格すら失ってしまった。
自ら失恋を選んでしまった。
たとえこれからどれほど前向きな事態が続き幸運に恵まれ、己を高めあの娘に並び立とうとも。
もう自分の中に刻まれたこの卑怯者の烙印は消すことはできない。
あの娘に知られることがなくても、万が一想い想われる仲になろうとも常にこの罪を背負い続け後ろめたい気持ちでいなければならない。
そしてたとえ一時的に忘れることができても、何かの折に突発的にこの記憶は呪いのように蘇り。
僕はもうあの娘を想う資格などないことを囁き続けるんだ。
音一つない静寂だけだったはずが、いつしか自分の嗚咽が流れ出していた。
目の前にある汚されきった罪の証をもう見ることも触れることも恐ろしくなり。
視界に入らぬように顔を覆う。
ああ、僕は今。
ありえたかも知れないもう一人の自分と永遠の別離をしたのだ。
相変わらず舌を苛む不快な苦味。
この味こそが。
自分自身で道を選んで決断し、その結果に責任を負うということの辛さ苦しさ途方も無い重さなのだと理解した。
そしてそれは年齢や成熟など関係なく、目に見える大きさや派手派手しさ、にぎやかさなどとは全く無縁にいつでもどんなときでもひょっこりと何気ない顔でたった一度の選択肢、取り返しがつかない岐路を突きつけるのだ。
この全身を包む悪寒と喪失感、これこそが。
輝かしく眩い可能性を自ら摘んだ代償なのだと僕はしった。
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