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二章

メレルという少女

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 ──わたしは一人、深い森の中にいた。
 

 あとで迎えに来るから。メレルは木の実でも探して遊んでいなさい。

 母は、そういって、わたしの元から去っていった。

 綺麗な金色の髪をした人だった。
 彼女の出自を考えれば当然のことだったのかもしれないが──、少なくともその色は、わたしの髪色には遺伝しなかった。
 わたしの髪は薄汚れた灰色だ。
 白でも黒でもなく、濁った灰色の髪。


 今思えばあのとき、わたしは捨てられたのだ。


 貧しい家庭だったし、魔族と人間の戦争も激しくなっていた。
 たぶん、幼いわたしを育てる余裕などなかったのだろう。

 父の顔は知らない。
 おそらく母もわたしを疎ましく思っていたようだったし、その理由はわたしがどんくさかったからだとか、貧弱な体だったからだとか、──きっと、それだけの理由ではなかったと思う。

 わたしには、人とエルフの血が流れている。

 ハーフエルフ。
 世間からそう呼ばれている珍しい存在であり、エルフの世界にとって、それは忌み子を表す言葉だ。

 人並みの魔力量に、人並みの体力。
 外見も人と変わらず、寿命も人と大きくは変わらない。
 それなのに体にはエルフの高質な血が流れている。

 誇りと血統を重んじる彼らにとっては、じつに気色の悪い存在に違いない。
 かってに産んでおいて酷い話だとは思う。
 だが、まあ、母には母なりの事情もあったのかもしれない。
 今ならそう思える。
 理解しようとは思わないけれど。

 ただ、あのときのわたしはまだ、呑気な幼い子どもだったし、わたしは頭が悪かったから。


 世界がわたしを拒絶しているなんて、本当に思いもしなかったのだ。



 気の向くままに歩みを進めた。
 入り口も出口も、どちらかわからなくなった。
 日も暮れた暗い森で、一寸先も見えなくなった。

 体力もあっという間に底をつき──、わたしはようやく辿り着いた大きな木の根元に、崩れるように座り込んだ。

 そして追い討ちのように。
 あたりに冷たい雨が降り始め、わたしの体を濡らし始めた頃。
 ──バカなわたしでも、ようやくその現実を察した。

 
 わたしは見放された。
 この世界に、わたしの居場所はなかったのだ。


 そう気づいたとき、なんだか妙に諦めがついた。
 
 このまま、ここで果ててもいいかもしれない。
 生き物から、ただのモノへと戻り。
 朽ちて、埋もれて、この木の養分にでもなれるのなら──。
 それは、少しでもわたしがこの世界に存在した意味になるのではないだろうか。

 大樹の幹に体をあずけ、身を委ねる。
 空を見上げた。
 雲を捕まえる網のような枝の隙間から、夜の空が見える。
 どんよりと暗いそれは、わたしの心情を表しているかのようだった。

 わたしはそのまま疲労と諦観に任せて──、重たいまぶたを、そっと閉じた。



 ──そのときだった。



「あらあら……、こんなところで何をしてるの。風邪を引いてしまうわよ」



 周囲の空気をふわりと和ませるような、不思議な声だった。

 顔をおこし、声の主を見上げる。

 美しい、綺麗な白色の髪の女性。
 母と同じくらいの年齢だろうか。
 くすんだ灰色のわたしの髪とは違う、一点の曇りのない白色の髪。
 綺麗な黒色の傘の下で、彼女の長い白髪は美しく輝いていた。

 羨ましいと思った。
 そして、恥ずかしいと思った。
 せめて、母のような美しい金色の髪であれば、そうは思わなかったかもしれない。
 わたしはわたしの薄汚れたような灰色の髪を隠すため、必死に両手で頭をかかえる。

 彼女はそんなわたしに、一度困ったように眉根をよせた。
 そして、その右手をゆっくりとこちらに寄せ、優しくそっと頭に触れ──、言った。


「綺麗な銀色の髪ね。あなたのお名前はなんていうの?」


 彼女は、わたしに優しくそう告げたのだ。

 なぜだろう。
 その言葉に息を呑んだ。

 わたしのくすんだ灰色の髪を、綺麗な銀色と述べたその言葉。
 なんだか彼女が、自分を受け入れてくれたような気がして。

 捨てられた虚しさと、拾われた喜び。
 相反する二つの感情に推し挟まれ──、……やがて、虚しさの方はどうでもよくなっていた。

「わたしは……、メレル……」
「メレルちゃんね。よければうちに来ないかしら。美味しい紅茶と甘いお菓子で、魔女のお茶会をしてみない?」

 優しげで、少し茶目っけのある彼女の言葉。
 不意に受けたその暖かさに──、堰き止め、押しとどめていたものが溢れ出す。

 両の目からこぼれ落ちる水滴の味を、今でも覚えている。

 そう、思えばあのとき。

 わたしは初めて。
 自分を見つめる者の目の前で、涙を流して泣いたのだ。
 
 


*********************


 その女性は、魔術師だった。


 この森を拠点にし、魔獣から森を守る魔術を研究しているらしい。

 子どもにはその話の内容は理解しづらかったが、わたしは必死に彼女の手伝いをし、彼女の仕事を覚え、合間に彼女からいろいろな魔術を教わった。

 幸い、エルフの血のおかげか、それなりに魔術の才能はあったらしい。

 魔力量こそ人並みなものの。
 わたしは他人より、多様な魔術を行使することができるようになった。


 
 彼女の家にやっかいになり始めてから、ひと月ほど経った頃──。

 わたしは彼女に面と向かい、以前から考えていたことを口にした。

「……師匠。そろそろわたしに、師匠が研究してる浄化の魔術を教えて欲しい。わたしが手伝えるようになれば、師匠の負担を減らせる」

 その言葉に、彼女はきょとんとした顔で目を丸くした。
 そして、ふっと柔らかな表情で微笑みを浮かべると、わたしのおでこをちょんと突いた。

「もう、メレルちゃん。わたしのことはルチアちゃんって呼んでっていつも言ってるでしょ?」
「それは無理」
「じゃあママでもいいわよ?」
「それはもっと無理」

 なんでよぉ、と泣き崩れる彼女。

 不快な思いをさせただろうか。
 べつに、嫌というわけではないのだ。
 それを、ちゃんと彼女に伝えなければならない。

「師匠のことは大好き。でもその呼び方は、……なんだか、ちょっと照れるので」
「はぅっ!メレルちゃんの素直になんでも言っちゃう性格、ほんとに可愛いくて素敵だわ……」

 わしゃわしゃと抱きついてくる師匠に、わたしはなすがままに揉みくちゃにされる。

 師匠は、よくわたしに抱きついてくる。
 わたしの頭を両腕で包み、ぎゅっと、力をいれるのだ。
 抱きしめられたわたしは、彼女の胸の中で奇妙な安心感に包まれる。
 良い花の香りがして、思わず頬が緩まった。


 だが──。
 
 今回はいつもと少しだけ違う気がする。
 彼女の両腕の力が、いつもより少しだけ強い。
 だからわたしは、少しだけ息苦しかった。
 



「──でもね、メレルちゃん。だからこそわたしは、あなたに浄化の魔術を教えたくないの。わたしの仕事を、手伝うなんて行って欲しくないの」

 師匠の声が、頭の上から聞こえる。
 優しく、諭すような声だ。
 だが、彼女はいまだ理由を告げていない。
 言ってくれなければ、鈍いわたしは理解できないのに。

「………どうして?……もしかして、わたしがハーフエルフだから?魔力量もたいしたことないし、師匠に認められていないから──」




「──違うっ!」




 わたしは思わずびくりとして、肩を震わせる。

 彼女に拾われてから、彼女が声を荒げたことなど一度もなかった。
 こんなふうに大声を出すことなど、一度もなかったからだ。
 
 彼女は、はっとしたように、「ごめんなさい……」と言って再びわたしを抱きしめた。

「メレル。あなたの魔術の才はとても優秀よ。それに、ハーフエルフがどうとか、そんなの全然関係ない。あなたは本当に優しくて、素晴らしい子」

 そう言って、彼女はわたしを抱きしめる両腕に力を込める。

「でも、この魔術は、魔力消費も体の負担も特別に大きいわ。下手をすれば命にかかわる。だから、あなたに無茶をしてほしくない。万が一もあって欲しくない。大事なあなたに、危険な魔術を使わせたくないの」

 ごめんね、と再び彼女は言った。
 いくら感情に鈍いわたしでも、彼女がわたしを大事に思ってくれていることは理解できる。
 でも、それでも──。

「なら、よけいにその魔術を教えて欲しい」
「どうして……」

 師匠の言葉が、曇りを帯びる。

 彼女は、わたしの否定の言葉に傷ついただろうか。
 我儘な子だと怒るだろうか。
 言うことを聞けないわたしを、呆れた目で見つめるのだろうか。

 それでもわたしは、やっぱり言わなくてはならない。
 わたしは正直に伝えることしか、繋がり方を知らないのだ。


 師匠の腕の中で、わたしは呟くように声を絞り出す。

「だって──、わたしも、師匠と同じだから。わたしだって、大事な師匠に、危険な魔術を使って欲しくない」
「…………っ」

 彼女が息を呑むのを感じた。
 わたしは彼女の腕の温もりを感じながら、口を開く。

「一人は、とても心配。でも、二人なら大丈夫。きっと今より良い方法を見つけられると思うから」

「メレルちゃん……」

 彼女の腕が、痛いくらいに、きつく、きつくわたしを抱きしめる。
 師匠の表情は、抱きしめられているわたしからは見えない。
 怒っているのか、悲しんでいるのか。

 それとも──。


 彼女は、それ以上何も反論はしなかった。
 ただ、黙ってわたしを抱きしめ、魔術師として最初の心得を、静かに、一つずつ教えてくれた。

 わたしは真剣に、彼女の声を、温もりを、心に刻む。

 そう。そのときから──。
 わたしは晴れて、彼女の正式な弟子となったのだ。




 それからは、勉強と実践の日々が続いた。

 今まで以上に必死に魔術を学び、独学でも知識を増やした。
 魔力量も前よりは少し伸び、寝る間も惜しんで師匠の魔術研究に付き合った。

 師匠はわたしののめり込みようを少し心配していたが、わたしはとても充実していた。
 なにより、彼女の力になれることが嬉しかったのだ。
 

 ──そして、一年後。

 浄化の魔術薬は、師匠とわたしの改良により、新型として完成した。
 薬の注入に花を介することで、大規模で安定した術の構築も可能になった。
 薬の精製方も、昔より効率があがった。
 使用する血液や魔力も少量になった。
 
 今までより格段に安全で安心な精製法だ。
 毎日連続で薬を精製するような、バカな無茶をしなければだが。




 そして──。

 最後に、卒業試験も兼ねて、わたしがその薬を一人だけで精製し、それを成功させたとき。

 師匠は、泣いていた。

 悲しいのかと尋ねると──、その反対だと、今度は泣きながら笑われた。
 そのときの彼女の温かい涙を、わたしは死ぬまで忘れることはない。

 いつかこの命が終わるときが来て、魂と体が土に帰ったとしても──、

 わたしは絶対に忘れることはない。

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