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二章

大切なもの

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 それから、また一年ほどが過ぎた。

 わたしは曲がりなりにもエルフの血が混ざっているため、人間よりは数十年ほど長生きできるらしい。
 歳よりは幼く見えるのもそのせいね、と師匠は笑っていた。
 彼女が笑うと、わたしも嬉しくなる。
 本当に、師匠と出会えてよかったと、わたしは思った。

 
 ──その夜のことだった。

 うちに、来客が訪ねてきた。
 正確には、森で道に迷っていたところを師匠が助けたらしい。
 困っていそうだったからちょっと声をかけてみただけ、ということだっただが、思いのほか感謝されまくったようだった。

 べつに助けたってほどではないんだけどね、と山盛りのお礼の品の前で、彼女は苦笑いしていた。

 その客人は、旅人ということだった。

 綺麗な赤毛の女性と、背の高い黒髪の男。
 わたしは森に来てから外の人間を見たことがなかったので、気まずさに一歩引いて物陰から見守っていた。

 すると、赤毛の女性はクスリとおかしそうに笑い、「これあげる。甘くて美味しいの。わたしの大好物」といって、まん丸な飴玉をくれた。
 彼女のいうとおり、それはとても甘くて美味しかった。
 


 そしてその後、しばらく師匠たちは客間で何やら話合いにふけっていた。

 わたしは邪魔にならないよう、隅のほうでじっとしていた。
 なので、その話の内容がなんだったのかまではわからない。

 こちこちと壁の時計が時を刻む。

 最初は柔和に聞いていた師匠も、相手の真剣さにほだされたのか、最後のあたりはいつもよりずっと真面目な顔で話をしていた。

 やがて話が終わると、師匠はわたしを見て──、少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。

「メレルちゃん、話があるの。大事な話。聞いてくれる?」

 旅人の二人は気を遣って席を外したらしい。
 部屋の中にはわたしと師匠の二人きり。
 彼女は小さく俯き、言った。

「少し、ここを留守にすることになったわ。わたしは、あの人たちと旅に出る。半年か、一年か──、それとも、もっと長いかもしれない」

 いつも明るい師匠の声が、聞いたこともないくらいに沈んでいる。

 わたしも一緒に──、という言葉が喉まででかかった。

 だが、わたしはこの言葉と望みを、口から外に出さないように飲み込む。
 この数年で、わたしは少しだけ他人の感情がわかるようになった。
 わかるように、なってしまった。

 だから、その言葉を告げてしまえば、きっと師匠は苦しい顔をする。
 それは嫌だ。
 師匠には笑っていてほしいし、彼女を苦しめたくはない。

 昔のように、もう少しだけ、思ったことを素直に言うことができていたなら──。
 彼女の答えも変わっていたのだろうか。
 
「ごめんね。メレルちゃん。あなたには、わたしがいなくなったあと、霊樹の花植えをお願いしたいの。急がなくていいわ。焦らず、ゆっくりとでいいから」
 
 彼女は、いつもよりそっとわたしを抱きしめる。

「わたしの仕事、全部任せちゃうことになってごめん。……お願いできる?」

「……わかった。任せて」

 即答した。
 これ以上考えていたら、わたしはきっと、自分の本当の望みを口にしてしまう。
 それはダメだ。
 彼女に悲しい顔をさせるのだけは、絶対にダメだ。


 
 師匠は、ありがとう、と泣きそうな顔で笑っていた。



 次の日──、師匠は客人たちと三人で、森から旅立って行った。

 少し落ち着いたら、森の外にも興味をもってみるといいわ。きっとあなたを受け入れてくれる人ができるから。

 旅立つ直前に言われた言葉。
 
 こんなわたしにも──。
 いつか、そんな存在ができるときが来るのだろうか。

 わたしはいまだに、よくわからない。



************************



 そして、わたしは霊樹に花を植え続けた。


 半年が経ち、一年が経ち──。

 十年が経とうとした頃、わたしは年を数えるのをやめた。

 一人になった寂しさもあったかもしれない。
 焦らず、ゆっくりとでいい。
 そう告げた、師匠の言葉。
 
 ある日。
 その声がどんな声だったかすら、記憶の彼方に曖昧になってきていることに気づき──、わたしは皮肉にも、『焦り』という感情を知った。


 わたしは生まれて初めて師匠の言いつけをやぶった。
 寝食を惜しみ、身を削って、魔術の研究と制作に没頭した。


 毎日、薬をつくり、花を育て、霊樹へと植える。


 なぜあんなにも、むきになってしまったのか。
 わたしにも、正直わからない。

 ただ、わたしの中に根拠のない縛りのような──、祈りにも似た感情があった。
 
 それは本当に、ただの意味のない妄想だ。
 

 もし。
 もし、わたしが浄化の魔術を完成させ、霊樹と森を救うことができたなら──。
 そのときは、きっと師匠が笑顔で戻ってくる──。


 いつからか、わたしはそんな漠然とした幻覚に囚われてしまったのだ。


 わたしは、今日も一人で花を植える。

 でも、心のどこかではわかっている。
 彼女はきっと、もう戻らない。


 わたしはまた、世界から見放されたのだ。
 


*************************




「─────!?」


 がばりと、ベッドから跳ね起きる。
 同時に頭がくらりとして、わたしは片腕で身体を支えた。

 窓の外は暗い。
 少し開いた窓からは、深夜の風の匂いがした。

 ──夢を、見ていた気がする。

 いったい何をしていたんだっけ。
 夢の中と現実の記憶が曖昧だ。
 
 わたしは、薬を作って、花を植えて──。

 いや、これはいつもの変わらぬ日々の記憶。
 今日は、そう、いつもと違う記憶があったはずだ。

 たしか、霊樹に花を植えて、魔獣に襲われて。でもリーシャが助けてくれて、防御魔法を使って、それで──。

 今の自分の状況を見るに、おそらくそのまま倒れたのだろう。
 思っていた以上に、わたしの体にはガタがきていたらしい。

「……そうだ、リーシャとニナは──」


 そこまで言いかけたとき──、わたしはベッドの横でつっぷして眠っている、二人の人影に気づいた。

 猫耳をはやし、いつもむすっとしている黒髪の少女。
 綺麗な赤毛の、やたら人懐こい少女。

 この家には珍しい客人。
 十年変わらなかったわたしの生活に、突如わりこんできた二人の旅人だ。


 ニナという赤毛の少女が、「うーん……」と寝ぼけ眼で顔を起こす。

「──あれ……、わたし寝ちゃって……」

 赤毛の少女は、眠たげに目を擦る。
 そして、わたしが目覚めたことに気づくと──、これ以上ないくらい目を丸くし、隣で寝ている猫耳少女の頭を引っ叩いた。

 猫耳少女は「んに゛ゃっ!?」と悲鳴をあげ、がばりと眠たげな顔を起こす。


 わたしは、ようやく、自分が彼女たちに助けられたことに気づいた。
 方法はわからないが、おそらく重体だったわたしを助けるために、彼女たちもそれなりに無茶をしたに違いない。


「ありがとう──」

 そう、わたしがお礼を言い終わるよりも早く。



「良かった……!助かって、ほんとに良かった……!!」

 ニナの両腕が、ぎゅっとわたしの頭を抱きしめた。

 温かい。
 そして、少し息苦しい、懐かしい感覚だ。
 その両腕の暖かさに──、

 ……わたしは、ふと、師匠の腕の中の暖かさを思い出した。


「そうか……。良かった。……まだ、残ってた」

 わたしは、ちゃんと師匠のぬくもりを覚えている。
 
 彼女と過ごした大切な記憶は、ちゃんとわたしの身体が覚えているのだ。
 だから、見放されたのではない。
 母に捨てられたときとは違う。
 わたしには残されたものが、まだたくさん残っている。

 それに──。

 たぶん、彼女との思い出と同じくらい、大切なものもできてしまったから。

 二人の嬉しそうな顔を見て、わたしも思わず頬を緩める。
 わたしは気持ちを顔に出すのが苦手だから、きっと二人は気づかないのだろう。
 
 ますます締まりが強まっていく腕の中で、わたしはその温もりに身を任せるのだった。

 




 ──うん?
 あれ……?
 なんだか腕がどんどん強く締まっていくような……。


「……に、ニナ、……ちょっと……腕…………、息、苦じい……」
「うぅ、メレル、メレルぅ!!良かったよぉ……!!」
「あの、ニナさん……、メレルまた死にそうなんでほどほどに……」
「も………、ダメ………」


「あああ、ごめんメレルぅ!」と悲鳴をあげるニナの温かい腕の中で、わたしの意識は気持ちよくブラックアウトしていくのだった。


 
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