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猫かぶりのススメ

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 私の名前はエリザベラ・ライーバル。

 今をときめくライーバル侯爵家に産まれて十年。娘に甘い両親から溺愛されて、蝶よ花よと育てられてきた。

 王家と三公爵家に次ぐ高い身分。艷やかな藤色の巻毛と葡萄色の大きな瞳という人目を引く容姿。頭もよく、手先も器用、運動神経も中々。令嬢として求められるものはほとんど持っていると言えるだろう。

 家庭教師たちからは優秀だと褒められて、お客様からは可愛いと絶賛される日々。王子の婚約者は私で決まりだろうなんて言われることさえあって、自分の人生バラ色だと疑ってもみなかった。

 『世界で一番恵まれた女の子』だったはずの私の人生が変わってしまったきっかけは、十歳のお披露目パーティーだった。


  *  *  *


 パーティー当日、まだ控え室にいるうちから私はひどく緊張していた。
 纏っているのは、この日のために特別に作らせたドレス。私に似合うようにと、何度も何度もお母様と話し合ってデザインを決めたこだわりの品だ。

 このドレスは、裾部分に葡萄色のグラデーションのついた生地が何枚も重なっていて、まるでフリル咲きの大輪の花みたいに見える。胸元にあしらわれた同じく葡萄色の花のコサージュも華やかだ。

 いつもだったら浮足立って、お父様やお母様に何度も見せて回っただろうけれど、私の心は晴れない。

 貴族の子供にとって慣例の十歳のお披露目パーティーは、貴族社会へのデビューであると同時に、評価の場でもあるのだ。
 ここで大きな失敗をすれば、婚約の申し込みが来なくなったり、お茶会に誘われなくなったりしてしまう。

 しかも、令嬢の場合は十五歳のデビュタントで素敵な婚約者にエスコートされるのが理想と言われているのに、この十歳のお披露目以降は挽回の機会もない。


 つい、せっかくのドレスを握りしめてしまい、慌ててそっと手を開いた。指先が冷たくなっているような感覚に自分が緊張しているのだと気付く。

 この日のために、ずっとずっと努力してきた。

 幼い頃からの礼儀作法のレッスンも直前にはかなり厳しいものになっていたし、挨拶の内容も教師や親を交えて何回も吟味した。いろいろな話題についていけるように、勉強や情報収集も寝る間を惜しんで行ってきた。

 大丈夫。私はもう立派な淑女だもの。

 自分の心に言い聞かせていると、ノックの音に続いて扉が開き、お父様が部屋に入ってきた。
 いよいよだわ。忙しなく鳴る胸の鼓動がなんとか治まるように祈りながら、お父様に続いて控え室を出た。


 会場へとつながる扉を通して、パーティー会場の喧騒が伝わってくる。大きく息を吸って心を落ち着けると、お父様のエスコートで会場に入る。

 目の前にはシャンデリアが煌めき、私たちの入場と同時に、高らかにファンファーレが鳴り響く。階段下にある大広間からは、きらびやかな衣装の人々が私達を見上げている。

 えっ、何これ?

 会場に入るなり覚えた違和感に、私は目を見開いた。
 何もかもが完璧で、おかしいところなどあるはずがない。なのに、この違和感は何だろう。

「今宵は我が娘のためにお集まり下さり、感謝しております。我が娘、エリザベラ・ライーバルです」

 お父様の挨拶の声がなぜか遠くぼんやりと聞こえる。続いて、会場から盛大な拍手が湧き上がる。
 お父様が誘うように振り返り、本来ならここで、私が挨拶を始めるはずだった。嫌になるほど繰り返した挨拶に出遅れたことで、お父様が僅かに眉根を寄せたけど、私はそれどころではない。

 所々に見える原色の頭。その周りを地味色の人垣が取り巻いている。赤とか青とか緑の髪ってなかなか攻めているわよね? よくよく考えれば私の藤色の髪もなかなかインパクトが強いんじゃないかしら?
 お父様もお母様も紫系の髪をしていたから疑問に思ったこともなかったけれど、私達以外に紫色の髪をした人はいないの……?

 お父様が慌てた様子で、私に挨拶をするように促した。それをきっかけになんとか気持ちを切り替えて、挨拶だけはこなしたけれど、一度覚えた違和感は広がっていくばかり。
 パーティー中もまったく会話に集中できず、私の中で謎の概念がぐるぐると渦巻いていた。

 そもそも貴族ってなに? 今どき、貴族制度ってどういうことよ? しかも成人が十五歳って早くない?

 待って! 私の中にあるこの『常識』は何なの!?

 夜が更けてパーティーが終わっても、小さな違和感はどんどん重なって。ベッドの中で、ふと『違う世界に転生したんじゃないか』と思った途端、私の頭の中に記憶の奔流が巻き起こっていった。



 前世の自分は、いわゆる干物女子だった。

 仕事はきちんと。だけど、家ではぐうたらに。

 仕事終わりにコンビニに寄って、その日のお酒とおつまみを選んで家に帰る。窮屈なハイヒールや堅苦しいスーツを脱いでしまえば、狭いお部屋も天国だ。

 そこは誰にも手が出せない私だけのお城。そこでのんびりお酒を飲みながら、撮りためていたお笑い番組やドラマを観るのが私の一番の楽しみだった。


 侯爵令嬢としての十年をその倍以上の長さの前世の記憶が上書きしていく。
 結局、私は知恵熱で三日も寝込み、意識がしっかりした頃にはこれまでとすっかり価値観が変わってしまっていた。

 それでも私は、数日の間、なんとかこれまでどおり令嬢らしく過ごそうと頑張った。本当に……、本当に頑張ったのだ。

 貴族女性にとって、完璧な所作やマナーは最低限必要なものだ。それは仕事で社交を取り仕切るときはもちろん、私生活でも求められる。現に私も、これまでお母様がだらりとくつろいだところなど見たことがない。

 まだ十歳の私でさえ、家の中でくつろぐときでさえ姿勢を崩さないよう厳しくしつけられている。前世のようなだらけた生活など、ありえないのだ。


 それなのに何をしていても令嬢らしくない願望がちらついてしまう。

 優雅なティータイムよりも、ポテトチップスを食べながらテレビが観たい。

 前世の自分には逆立ちしたって出せない金額のドレスもストレッチの効いたジャージには敵わない。
 ジャージはすごい。シワにならないし、外出着も部屋着も兼ねられる最高に機能的な服だ。

 だめだと思いつつあぐらがかきたいし、たまにはソファに寝そべりたい。
 お料理だって、肩肘張ったいつもの高級料理より、使用人たちの食べる賄いの方が気になってしまう。

 令嬢生活は、常に窮屈で楽しみもなく、心が満たされない。
 これまで当たり前だった美しい日々が、我慢の日々に変わっていく。

 このままだと、きっと私もどこかにお嫁に行くか婿を取って、お母様のように一生気を張って生きることになる。
 こんな気持ちで一生過ごすのは苦しい。そんな将来、絶望的だ。

 この数日、お父様やお母様のためと思って頑張ったけれど、こんな生活を一生は続けられない。

 せめて、男か庶民に産まれていればもう少し自由に生きられたのに。
 家庭教師の授業で聞いたかんじだと、庶民の暮らしもそこまで悪くなさそうだし、いっそ庶民として暮らしたい。
 本来、私はぐうたらなのだ。そんな私が侯爵令嬢なんてありえない。
 
 たとえ勘当されることになっても、私は自由に生きたい。
 模範のような小さな淑女は卒業します。ごめんなさい、お父様、お母様。


 手始めに私は、空き時間に自室を抜け出して、厨房に入り浸るようになった。そこはなんとなく、前世の実家のような騒がしさがあって居心地がよい。
 最初は萎縮されてしまったけれど、次第に味見をさせてもらったり、話しかけたりしてもらえるようにもなった。

 中でも、料理長のダンには同じくらいのお孫さんがいるらしく、来てはいけないと言いながらも目の奥が笑っている。そして、特別に私の好みに合わせたデザートを作ってくれるのだ。

 当然、家庭教師たちは眦を吊り上げ、悲鳴にも近い声で私を咎めるけれどそんなことは気にしない。
 授業でやるべきことはすべてこなしている。それ以外の時間くらい、私の好きにさせてほしい。


 私の所業は、すぐに両親に伝わった。私の豹変ぶりに二人はひどく慌てて、どうにか私を更生させようと手を尽くしてくれた。
 だけど、残念ながらそんなのムダに決まっている。だってこちらはとうに大人の分別があるのだもの。

 最終的に、お互いの妥協点として、お父様の出す課題を毎回クリアさえすれば、家の中では自由に過ごすことが認められた。当然、外や他人の前では猫をかぶって淑女として過ごすことも条件だ。

 私だってお父様やお母様を困らせたいわけじゃない。

「やっぱりTPOは大切よね」

 つぶやく私にお父様は顔をしかめ、お母様は額に手を当てふらりとよろめいた。
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