狐月夜の終わりに

猫山はる

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クリームソーダ

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惣一の手の温もりを感じながら、柚月は小さく息をついた。
しばしの沈黙のあと、ふっと表情を緩めてボソリと呟く。

「……また、バイクで出かけたいです」

惣一が一瞬瞬きをし、口の端をわずかに吊り上げる。
「いいね。気分転換しよう」

重ねた手をそっと離す。
いつもの飄々とした調子に戻る惣一に、柚月も少しだけ笑った。

祖母はずっと柿の木の下で、二人の様子を見守っていた。

柚月は惣一に「少し待っていてください」と言い残し、惣一に麦茶の入ったコップを渡した。

しばらくすると、柚月はスカートからジーンズに着替えてきた。
それを見て、惣一が言った。
「バイクにはそっちのほうがいいね」
「そうでしょう」
柚月は縁側で座って待つ惣一を覗き込む。
その顔には、先ほどまでの後悔や悲しみと言った感情はなかった。
惣一は何も言わず柚月の目を見返す。
そして、柚月がゆっくりと言った。

「私を、エアコンのある場所に連れていきなさい」

惣一は「ははっ」と笑いながら柚月を見上げた。思わず吹き出したその顔は年相応の少年の笑顔だった。
「かしこまりました、お嬢さま」
恭しく頭を垂れる。
柚月はそれを見て満足気に頷いた。

***

バイクの後部座席に乗りながら、柚月は尋ねた。
「惣一は、お祖母ちゃんとどんな関係だったのですか」
「誤解を生む聞き方だな」
「お祖母ちゃんと仲良くしていたようなので」
惣一は「うーん」と顎をつまみ首をひねる。

「妹のことで、色々と相談に乗ってもらってたんだ」
ヘルメットを被りながら言った。
「妹さん?」
「うん、いつか会ってやってよ」
惣一の顔に影ができる。
柚月は頷き、それ以上は追求しなかった。


―――ブォオオン

豪快な音を立てて、バイクが発進した。
体に心地よい風が吹き抜ける。
纏わりつくような蝉の声を振り切るようにバイクは走った。
空は青く、どこまでも続いていた。
バイクに乗って空を見上げれば、閉塞的な村の環境なんて忘れられる。
「…きれい」
柚月は惣一の腰につかまりながら、吸い込まれそうなほど高い空を堪能していた。

15分ほど走った頃、バイクはこじんまりとしたカフェの前で止まった。

店を見ると、環は惣一に言った。
「ちゃんとエアコンがありそうですね」
くすりと惣一が笑う。
「ここ、うちの父さんがやってる店なんだ」
いつになく柔らかい声で言う。

店内に入ると涼しい風が頬を撫でた。
柚月は息をつく。


店内は木の香りとコーヒーの香りが充満しており、カウンターの向こうには空の洋酒の瓶やコーヒーミルなどこだわりの品が陳列されていた。
「すてきですね」
柚月は目を細め、カウンター越しに揺れる洋酒の瓶を眺めた。
そして、店主らしき中肉中背の男と目が合った。
どことなく面差しが惣一に似ている気がする。
男性は惣一に声をかけた。

「惣一、その子がより子さんのお孫さんか」
より子というは柚月の祖母の名前だ。
この男性はおそらく惣一の父親だろう。

「うん。エアコンがある店に行きたいって言われて連れてきたんだ」
惣一は柚月を父親に紹介した。

「こんにちは」
柚月は惣一の父に向かって、ぺこりと会釈した。
「より子さんのことは残念だったね…」
「…はい」
「うちの家はより子さんにお世話になったんだ。お金は取らないから、何でも頼んでいいよ」
柚月の表情がぱぁっと明るくなった。
その顔を見て、惣一と父親はくすりと笑った。

惣一が柚月のもとにメニューを持ってくる。
「クリームソーダ、おすすめだよ」


柚月は勧められた通り、クリームソーダを注文した。
惣一も同じものを飲んでいる。

エメラルド色の液体に、白いアイスクリームが沈んでいく。
やがて泡が静まり、甘い匂いがふわりと広がった。

「そういえば、今日は妹さんはいないのですか?」
柚月がふと疑問を口にすると、惣一はストローをいじりながら目を伏せる。

「……うん。ちょっとね」
いつもの飄々とした調子が消え、短い沈黙が落ちた。

妹の話になると、いつも口が重くなる。
柚月はグラスを覗き込み、アイスがとろけて白く濁っていく様子を見つめる。
「クリームソーダって、不思議ですね。飲み物なのに、デザートみたいで」

その言葉に惣一が顔を上げ、少し肩の力を抜いて笑った。
「だよね。溶けかけが一番おいしいんだ」
クリームソーダを飲み干すと、店の外は空が赤く染まり始めていた。
西の山の端に太陽が沈みかけ、村の道は長い影に覆われていく。

「そろそろ帰ります」
「送っていくよ」

店を出て、惣一がバイクのエンジンをかけようとした。
その時だった。

低い唸り声が、畦道の奥から響く。
振り返った柚月の目に、二つの光が浮かんでいた。

――野犬。

毛並みは汚れ、よだれを垂れ流し、あばら骨が浮き出ている。だがその眼だけは、異様にぎらついていた。

「っ……」
柚月が一歩後ずさる間もなく、獣は地を蹴って飛びかかってきた。

「下がって!」

その声は、いつもの惣一の調子ではなかった。
振り返った柚月が見たのは、薄闇の中で静かに細められた彼の目――冷たい刃物のような光。

次の瞬間、惣一が持っていた鞄で、犬を地面に叩きつけた。
柚月は息を呑み、声を失う。
なおも向かってこようとする野犬を、惣一が睨みつける。

すると―――
空気が、ずし、と重くなったような気がした。
野犬は何かにおびえたように甲高い悲鳴をあげ、一目散に逃げていった。

惣一は野犬が逃げた方向を見つめたまま、ゆっくりと言った。
「……この辺りは、ああいうのがよく出るんだ」

その顔に、昼間の笑みの名残はどこにもなかった。
野犬を叩き伏せた惣一は、じっと地面に目を落としていた。
その瞳からは怒りのような感情が読み取れた。

柚月は声を絞り出す。
心臓がばくばくと早鐘を打っていた。
「……あの犬、様子がおかしかったです」
まるで、狂犬病の犬のような異様な状態だった。

惣一は答えず、ただ黙って唇を引き結ぶ。
その横顔は、先ほどまでの冷たい光を残したままだ。

しばらくして、彼は吐き捨てるように言った。
「……あいつらだ」

「え?」
柚月が聞き返すより早く、惣一はバイクに跨り、短く告げた。

「乗って。早く家に帰ったほうがいい」
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