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憑依
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柚月は、舞台の中央で静かに佇んでいた。
その瞳は底の知れぬ光を宿し、どこも見ていないようでありながら、その場にいるひとりひとりの心の奥底を覗き込むようでもあった。
口元には、薄く微笑みを浮かべている。
いつの間にか、うるさいほどだった蝉の声が聞こえなくなっていた。
代わりに、水の底に沈んだような静けさが満ちていく。
つい先程まで、蒸し暑かったのが嘘のように空気がひやりと澄んでいた。
――人ならざるものがそこにいる。
言葉にせずとも、誰もがそう悟っていた。
やがて、柚月の唇がゆっくりと動く。
『……愚かで可愛い白峰の子らよ』
声は確かに柚月の口から発せられているのに、明らかにいつもの彼女とは違う。
その奥に重なる響きは、母のように柔らかく慈愛に満ち、無垢な少女のようにも、どこか老獪な老婆のようにも聞こえた。
村人たちは息を呑み、身動きもできずに舞台を見つめていた。
――ただ一人、惣一を除いて。
惣一は、声もなく柚月を見つめていた。
つい先程まで、柚月の近くにいた子狐を思い浮かべる。
(――なぜ、こんなことを?)
惣一には、玉藻の真意がわからなかった。
だが、どうしようもなく胸騒ぎがした。
柚月――否、玉藻は、ふっと視線を伏せる。
沈黙が落ちた。
息をすることさえ、ためらわれるほどの静寂。
やがて、玉藻は、再び顔を上げた。
誰かの喉が、ごくり、と鳴った。
玉藻の顔から笑みがすぅ、と消える。
『正しき座にあらぬもの、この地に根を張れり。』
ある者は、ひぃ、と喉の奥から悲鳴を漏らす。
また別のものは、手を合わせ、震えながら玉藻を拝んだ。
怯えたように頭を垂れ、祝詞を唱えながら額をこすりつけるものもいた。
柚月の姿をした玉藻は、手に持った鈴を高く掲げた。
『恐れより生まれ、
嘆きより育ち、めぐりめぐって祀られる』
惣一は、知らず、立ち上がっていた。
『民草はてのひらの上、ころりころりと踊り惑う』
歌のような、予言のような言葉を紡ぎ、
――シャンッ
鈴の音を、ひとつ、鳴らした。
その瞬間、玉藻は目を閉じる。
張りつめていた気配が、すっとほどけた。
柚月の体が、ぐらりと傾ぐ。
その体を、いつの間にか舞台に上っていた惣一が受け止めた。
「柚月」
惣一は彼女に呼び掛ける。
腕の中の体は温かい。
規則正しい呼吸。
惣一はそれを見て、ほっと胸を息を吐いた。
―――ミーンミーン
――シャワシャワシャワ
―ジージージー
遠くで、蝉の声が戻ってくる。
顔を上げるとすぐ傍に、いつもの子狐の姿の玉藻が、ちょこんと座っていた。
惣一は柚月を抱いたまま、眉根を寄せて低く問う。
「……なぜ、柚月を使ったんだ?」
玉藻は、ただ細く目を眇めて言った。
「警告のためだよ。
柚月にはすまないと思ってる」
「……あなたは――」
言いかけて、惣一ははっと視線を落とした。
「…う」
腕の中で、柚月が小さく身じろぎをしたのだ。
「……柚月!」
顔を覗き込むと、柚月の睫毛がわずかに震える。
ゆっくりと、その瞳が開いた。
「……惣一?」
焦点の合わない目。
「大丈夫?気分は悪くない?」
惣一は、労わるように柚月に声をかけた。
柚月は、まだ夢の底にいるような顔で、惣一を見上げた。
「少し、気を失っただけさ」
玉藻は、軽い調子で言った。
その背後で、集会所がざわつき始める。
「い、いまのは……なんだ……?」
「お狐さまなのか……?!」
恐怖と混乱が、濁った波のように広がっていく。
その中で、小山内が、ぼそりと呟く。
「…やっぱり、呪われた子を招いたのがよくなかったんだ」
惣一は、小山内を見やる。
その仄暗い目は、惣一に向いていた。
柚月には、絶対に見せない表情だった。
小山内の言葉に、村人たちが、はっと顔を見合わせる。
「きっとそうだ!」
ぽつりぽつりと賛同の声が上がった。
「今からでも、きっとまだやり直せる」
数十人の村人たちの目が、一斉に惣一の方へと向いた。
じり、じり、と柚月を抱えたままの惣一に近づいてくる。
「…さすがに、まずいな」
惣一の口元には、いつもの笑みはなかった。
小山内を先頭に、村人たちが舞台の上に上がってこようと、階段に足をかけた。
――そのとき。
ちりん、
冷たい鈴の音が、一音。
皆が一斉に、音のした方を向いた。
騒めきが、わずかに揺らぐ。
「皆さま。どうか、お気を静めてください」
たおやかで凛とした、少女の声。
その瞬間、惣一の肩がぴくりと震えた。
ゆっくりと顔を上げ、声の主を見ると、目を見開く。
柚月は霞がかった意識の中で、
惣一がそんな表情をするのを、初めて見たと思った。
「……っ」
惣一の視線の先には、柚月よりも少し年下くらいの、華奢な少女が立っていた。
肩で切りそろえられた黒髪には、鈴のついた髪飾り。
そして、柚月と同じような巫女装束を身に纏っている。
その姿を見た瞬間、
柚月は、理由もなく背筋が冷えるのを感じた。
それはまるで、もうひとりの柚月が、そこに立っているかのようだった。
玉藻が、ほんのわずかに耳を伏せる。
柚月を支える惣一の手に、ぐっ、と力がこもった。
そして、
「―――雛、乃…」
惣一は、少女――彼の妹の名を、呼んだ。
その声は、かすかに震えていた。
その瞳は底の知れぬ光を宿し、どこも見ていないようでありながら、その場にいるひとりひとりの心の奥底を覗き込むようでもあった。
口元には、薄く微笑みを浮かべている。
いつの間にか、うるさいほどだった蝉の声が聞こえなくなっていた。
代わりに、水の底に沈んだような静けさが満ちていく。
つい先程まで、蒸し暑かったのが嘘のように空気がひやりと澄んでいた。
――人ならざるものがそこにいる。
言葉にせずとも、誰もがそう悟っていた。
やがて、柚月の唇がゆっくりと動く。
『……愚かで可愛い白峰の子らよ』
声は確かに柚月の口から発せられているのに、明らかにいつもの彼女とは違う。
その奥に重なる響きは、母のように柔らかく慈愛に満ち、無垢な少女のようにも、どこか老獪な老婆のようにも聞こえた。
村人たちは息を呑み、身動きもできずに舞台を見つめていた。
――ただ一人、惣一を除いて。
惣一は、声もなく柚月を見つめていた。
つい先程まで、柚月の近くにいた子狐を思い浮かべる。
(――なぜ、こんなことを?)
惣一には、玉藻の真意がわからなかった。
だが、どうしようもなく胸騒ぎがした。
柚月――否、玉藻は、ふっと視線を伏せる。
沈黙が落ちた。
息をすることさえ、ためらわれるほどの静寂。
やがて、玉藻は、再び顔を上げた。
誰かの喉が、ごくり、と鳴った。
玉藻の顔から笑みがすぅ、と消える。
『正しき座にあらぬもの、この地に根を張れり。』
ある者は、ひぃ、と喉の奥から悲鳴を漏らす。
また別のものは、手を合わせ、震えながら玉藻を拝んだ。
怯えたように頭を垂れ、祝詞を唱えながら額をこすりつけるものもいた。
柚月の姿をした玉藻は、手に持った鈴を高く掲げた。
『恐れより生まれ、
嘆きより育ち、めぐりめぐって祀られる』
惣一は、知らず、立ち上がっていた。
『民草はてのひらの上、ころりころりと踊り惑う』
歌のような、予言のような言葉を紡ぎ、
――シャンッ
鈴の音を、ひとつ、鳴らした。
その瞬間、玉藻は目を閉じる。
張りつめていた気配が、すっとほどけた。
柚月の体が、ぐらりと傾ぐ。
その体を、いつの間にか舞台に上っていた惣一が受け止めた。
「柚月」
惣一は彼女に呼び掛ける。
腕の中の体は温かい。
規則正しい呼吸。
惣一はそれを見て、ほっと胸を息を吐いた。
―――ミーンミーン
――シャワシャワシャワ
―ジージージー
遠くで、蝉の声が戻ってくる。
顔を上げるとすぐ傍に、いつもの子狐の姿の玉藻が、ちょこんと座っていた。
惣一は柚月を抱いたまま、眉根を寄せて低く問う。
「……なぜ、柚月を使ったんだ?」
玉藻は、ただ細く目を眇めて言った。
「警告のためだよ。
柚月にはすまないと思ってる」
「……あなたは――」
言いかけて、惣一ははっと視線を落とした。
「…う」
腕の中で、柚月が小さく身じろぎをしたのだ。
「……柚月!」
顔を覗き込むと、柚月の睫毛がわずかに震える。
ゆっくりと、その瞳が開いた。
「……惣一?」
焦点の合わない目。
「大丈夫?気分は悪くない?」
惣一は、労わるように柚月に声をかけた。
柚月は、まだ夢の底にいるような顔で、惣一を見上げた。
「少し、気を失っただけさ」
玉藻は、軽い調子で言った。
その背後で、集会所がざわつき始める。
「い、いまのは……なんだ……?」
「お狐さまなのか……?!」
恐怖と混乱が、濁った波のように広がっていく。
その中で、小山内が、ぼそりと呟く。
「…やっぱり、呪われた子を招いたのがよくなかったんだ」
惣一は、小山内を見やる。
その仄暗い目は、惣一に向いていた。
柚月には、絶対に見せない表情だった。
小山内の言葉に、村人たちが、はっと顔を見合わせる。
「きっとそうだ!」
ぽつりぽつりと賛同の声が上がった。
「今からでも、きっとまだやり直せる」
数十人の村人たちの目が、一斉に惣一の方へと向いた。
じり、じり、と柚月を抱えたままの惣一に近づいてくる。
「…さすがに、まずいな」
惣一の口元には、いつもの笑みはなかった。
小山内を先頭に、村人たちが舞台の上に上がってこようと、階段に足をかけた。
――そのとき。
ちりん、
冷たい鈴の音が、一音。
皆が一斉に、音のした方を向いた。
騒めきが、わずかに揺らぐ。
「皆さま。どうか、お気を静めてください」
たおやかで凛とした、少女の声。
その瞬間、惣一の肩がぴくりと震えた。
ゆっくりと顔を上げ、声の主を見ると、目を見開く。
柚月は霞がかった意識の中で、
惣一がそんな表情をするのを、初めて見たと思った。
「……っ」
惣一の視線の先には、柚月よりも少し年下くらいの、華奢な少女が立っていた。
肩で切りそろえられた黒髪には、鈴のついた髪飾り。
そして、柚月と同じような巫女装束を身に纏っている。
その姿を見た瞬間、
柚月は、理由もなく背筋が冷えるのを感じた。
それはまるで、もうひとりの柚月が、そこに立っているかのようだった。
玉藻が、ほんのわずかに耳を伏せる。
柚月を支える惣一の手に、ぐっ、と力がこもった。
そして、
「―――雛、乃…」
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