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雛乃
しおりを挟む妹――雛乃はこの村に来てからしばらくして、たびたび幻覚や幻聴に悩まされるようになった。
だんだんと笑わなくなり、
誰もいないはずの場所で、まるでそこに誰かがいるかのように、話すことが増えた。
時折、彼女が話す内容を聞いていると「お姉さま」や「お狐さま」といった単語が聞こえてくる。
雛乃は学校に通うのをやめ、自宅で療養していた。
引っ越しの少し前から日記をつけていたが、体調を崩してから続けることが難しくなったようだ。
そして一ヶ月ほど前、雛乃の病状は急に悪化した。
――ある日。
いよいよ入院させるべきかという話がでたとき、雛乃は「白い狐さまが呼んでいる」と言って、家を飛び出した。
忽然と姿を消した妹を、父と惣一の二人で探し歩いたが、一晩中探しても見つからなかった。
翌日、警察に向かおうとしたところで、電話が入った。
――ジリリリリリ
それは、別居している母からの電話だった。
父とは違い、母はもともとこの村の出身だ。
故に、村の風習に囚われていた。
母は言った。
――もう大丈夫よ、と。
その声は、どこか興奮していた。
妹のことは、これから母が預かると言うと一方的に電話を切った。
惣一と父が妹に会わせてほしいと言っても、玄関で追い返された。
それきり、妹には会えていない。
***
「雛乃―――、」
惣一は、突如現れた妹に声をかけようとしたようだ。
雛乃は、兄の視線に気づくと、ふっと微笑みを深める。
その笑顔を見て、惣一は言葉を飲み込んだ。
妹を見る目が、戸惑いに揺れている。
惣一が何に動揺しているのか、柚月にはわからない。
しかし、理由もなく背筋が冷えるのを感じた。
雛乃はいつの間にか、舞台の直ぐ側に来ていた。
足音が全くなかった。
髪につけた鈴がちりん、と揺れる。
村人は雛乃に道を空けた。
やがて柚月と惣一がいる舞台の上に上がってきた。
するすると、まるで蛇が這い寄るように。
彼女は、惣一の腕に支えられた柚月をその瞳に映すと、つう、と、ひとしずくの涙を流した。
「お姉様、ずっとお会いしたかった」
――ちりん。
大きな瞳は潤み、柔らかく慈しむような声はかすかに震えていた。
すっ、と柚月の頬に手を伸ばす。
触れた指先は、真夏なのに氷のように冷たかった。
「ああ……かわいそうな、お姉様」
ひどく悲しげな顔をする。
「知らないうちに、よくないものを抱えてしまわれたのですね」
その瞳は、確かに玉藻を捉えていた。
柚月と惣一以外で玉藻が見える者など、今まで一人もいなかった。
「ご安心ください。
――私が、祓って差し上げますから」
雛乃は無邪気に笑った。
「…!」
その表情を見て、柚月はぞくり、と背筋が粟立った。
この状況に似つかわしくない、無垢な笑顔だったからかもしれない。
そして、玉藻が見えている――その事実も、異様だった。
ふと、ある疑問が柚月の胸に浮かんでくる。
――彼女は、本当に人間なのだろうか。
柚月を支える惣一の腕に、ぐっと力がこもる。
惣一も何かを感じ取ったのだろう。
玉藻は黙っている。
耳だけが、わずかに伏せられた。
ざわ、と村人たちが色めき立つ。
「白のお狐様が……」
「やはり、先ほどのは偽物……?」
混乱と動揺の波が村人達を押し流しかけた。
その波を、すっと拾い上げたのは小山内だった。
ただ一人落ち着いた様子で、静かに言った。
「……白のお狐様は、新たな器を選ばれたのかもしれません」
一歩前へ。
小山内の手が、雛乃を指し示す。
全員の視線が雛乃に集まった。
雛乃は、静かにその視線を受け止める。
誰もが、続く彼女の言葉を待った。
――そして、
雛乃はゆっくりと頷く。
「白のお狐様は、ずっと……私のそばにいてくださいました」
両手を広げ、恍惚とした微笑みを浮かべる。
小山内は、すっと雛乃の横に並び立つ。
その目は雛乃に向いていた。
だが、彼女を見てはいなかった。
もっと奥――
彼女の中にいる何かを、見ているようだった。
そして、小山内の視線が、柚月と惣一へ向く。
冷えきった瞳だった。
悲しみ、憎しみ、憤り。
そういったものは何も残っていない、がらんどうの瞳。
小山内が静かに言い放った。
「ここにいるおふたりは、良くないものに取り憑かれてしまっているようです。
早急に禊のできる場所へ、移っていただくのがよろしいでしょう」
そして、村人に語りかける。
「皆さんにも、ご助力をお願いしたい。
――村のためにも」
その言葉に、空気が傾く。
“村のため”。
その言葉は村人達の耳に、甘く、よく馴染んだ。
――ちりん。
雛乃の髪飾りの音が響く。
「私がお狐さまの力で、憑き物を祓います」
雛乃が胸に手を当て、高らかに宣言した。
「哀れなおふたりを、悪しきものから解放してさしあげましょう」
―――おおお!!
村人たちが一斉に鬨の声が上げる。
中には手を合わせ、雛乃を拝む者もいた。
そして、数十もの目が、柚月と惣一に向けられる。
皆、小山内と雛乃の言葉を信じ切っているようだった。
「可哀想に」
「今、楽にしてやるからな…」
じりじりと村人たちが近寄ってくる。
小山内は、ただ静かに立っているだけだった。
それでも、村人たちは動いていた。
そこで気づく。
――小山内は、何もかも分かってやっているのだ。
もう、逃げ場がない。
柚月は息を呑む。
「……やられたな」
惣一の呟きは、柚月にだけ届いた。
「…人は、信じたいものしか信じないのさ」
柚月の傍らにいた玉藻が、遣る瀬無さそうに、ぼそりと呟いた。
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