おっさん転生、相棒はもふもふ白熊。100均キャンプでスローライフはじめました。

はぶさん

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第一話『気がつけば森の中、スキルは『100円の知恵』』

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「……う……ん……」

アスファルトを叩く激しい雨の音で、意識が浮上した。
いや、違う。これは雨の音じゃない。もっと……木の葉が擦れるような、優しい音だ。
そして、鼻をつくのは排気ガスの匂いではなく、むせ返るような土と緑の濃い香り。

ゆっくりと瞼(まぶた)を開くと、視界いっぱいに、見たこともない巨大なシダ植物の葉が広がっていた。

「……は……?どこだ、ここ……?」

絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。
風間勇希(かざまゆうき)、38歳。体を起こそうとして、全身が泥のように重いことに気づく。まるで、三日三晩ぶっ続けで厨房に立った後のような、芯から焼き切れた疲労感。

「(そうだ、俺は……コンペの最終日だった……)」

途切れ途切れの記憶が蘇る。
大手スーパーのプライベートブランド惣菜の最終コンペ。クライアントの度重なる無茶な要求変更。締切直前、「もっと……こう、舌の上でフワッととろけるような……それでいてコストは変えずに」なんていう悪魔の囁き。
最後の記憶は、40時間以上まともに眠らず、試作のソースを混ぜるステンレスボウルの中で、自分の顔がぐにゃりと歪んだ光景だ。

「(……つまり、俺は……死んだ、のか……?過労で?)」

だとしたら、ここは天国か、地獄か。
改めて周囲を見渡す。そこは、鬱蒼とした森の中だった。天を突くような巨木が何本もそびえ立ち、昼間だというのに薄暗い。地面は苔むし、足元には自分の背丈ほどもある奇妙なキノコや、それ自体が淡い光を放つ不思議な花が咲いている。

「(ファンタジーかよ……)」

自分の服装は、よれよれのジャケットにスラックス。泥だらけの革靴。会社にいた時の格好のままだ。ポケットを探っても、スマホも財布も、鍵一本すら入っていない。

「はは……詰んでるな、これ……」

乾いた笑いが漏れる。
趣味のブッシュクラフトで得た知識が、頭の片隅で警鐘を鳴らしていた。
『水の確保が最優先。次に火。夜の森で体温を維持できなければ、数時間で死ぬぞ』

「(火……火だ。ライターか、マッチがあれば……)」

そう強く願った、その瞬間だった。
ふっと、頭の中に奇妙なウインドウが浮かび上がった。
それは、見慣れた100円ショップの商品棚の映像。頭の中に直接カタログが展開されているような感覚だ。

『使い捨てライター』『チャッカマン』『固形燃料』……

「(なんだ、これ……?疲労で見ている幻覚か……?)」

疑いながらも、藁にもすがる思いで、そのカタログの中から一番馴染みのある、あの赤い看板の店――ダ●ソーのレジ横によく置いてある『使い捨てライター』を、強く、強くイメージしてみる。
その形、色、プラスチックの感触まで、ありありと。

ポンッ。

間の抜けた、しかしはっきりとした音がして、目の前の苔の上に、それは転がっていた。
赤、青、黄色。コンビニでもよく見る、透明なボディの使い捨てライターが、一本。

「…………は?」

理解が追い付かない。
震える手でそれを拾い上げる。ひんやりとしたプラスチックの感触。カチッ、とホイールを回せば、シュボッ、と頼もしい音を立ててオレンジ色の炎が灯った。

「(本物だ……どうなってる……?)」

安堵と同時に、背筋を未知への恐怖が駆け上る。
もう一度だ。次は……そうだ、手を守るものがいる。

「(軍手……!滑り止めのイボイボがついてる、一番安いやつ!)」

再び、頭の中のカタログに意識を集中する。
ポンッ。
またしても、目の前に一組の軍手が現れた。

「(やっぱりだ……これが、俺の……能力……?)」

その能力の名を、ユウキはなぜか直感的に理解していた。
スキル、『100円の知恵』。

だが、安堵したのも束の間、ユウキはふらり、と目眩にも似た脱力感に襲われた。

「うっ……なんだ、急に……体が……」

頭の中に、先ほどはなかった表示が見える。
まるでスマートフォンのバッテリー表示のような、緑色のゲージ。それが、ほんの少しだけ――2、3ピクセル分ほど減っていた。

**【創造力:97/100】**

「(創造力……これが、コストか……!)」

ライターと軍手。どちらも100円で買えるものの中では、ごくありふれたものだ。体感としては、軽いジョギングを100mほどした後のような、心地よい疲労感。
これがもし尽きたら?この森で動けなくなることが、何を意味するのか。

「(……無駄遣いは、できないな)」

ユウキは気持ちを切り替え、ブッシュクラフトの知識を総動員する。
軍手をはめ、地面に落ちている枯れ葉や、乾燥した小枝をかき集める。ナイフ一本すらない状況だが、幸い、火種はある。
焚き火に火が移り、パチパチと音を立てて燃え広がるのを、ただじっと見つめていた。
炎の温かさが、心細い心をじんわりと溶かしていく。

(これから、どうなるんだろうな……)

空腹で腹の虫が鳴いた。最後に食べたのは、コンペの試作品の味気ないパスタだったか。
誰かのために、数字のために、評価のために作る料理は、もううんざりだった。

日が傾き始め、森の闇が急速に深まっていく。
得体のしれない獣の遠吠えが、遠くから響いてきた。
恐怖と、空腹と、途方もない孤独。
前世で失いかけていた、根源的な感情が、焚き火の炎に炙り出されていく。

その、時だった。

**ガサガサガサッ!!**

すぐ近くの茂みが、ありえないほど激しく揺れた。
反射的に身構えるユウキ。焚き火の光に照らされて、闇の中からぬっと姿を現したのは――

「(……うそ、だろ……)」

巨大な、猪だった。
牙猪(キバいのしし)、とでも呼ぶべきか。キャンプ場で出会うような愛らしいサイズではない。軽自動車ほどの巨体に、短剣のように鋭く湾曲した牙。血走った目が、爛々とこちらを睨みつけている。

グルルルルル……ッ!

低い唸り声を上げ、前足で地面を掻く。完全に、こちらを獲物として認識していた。

(終わった……!)

頭の中のゲージを確認する。残りは90以上ある。だが、こんな化け物を相手に、100均グッズで何ができる?ブルーシートか?フラフープか?
召喚できたとして、コストの高いAランクアイテムを出せば、動けなくなるほどの疲労が襲う。

思考が、恐怖で麻痺する。
キバいのししが、その巨体を低く沈めた。突進の予備動作だ。

死ぬ。
また、死ぬのか。

絶望がユウキの心を塗りつぶそうとした、その瞬間。
彼の脳裏に浮かんだのは、後悔でも、未練でもなく、フードコーディネーターとしての、あまりにも場違いな一言だった。

「(……あの肉、絶対うまいだろ……)」
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