72 / 185
第七十二話『冬の森の呼び声と、雪渡りの知恵』
しおりを挟む『新たなる約束のカルボナーラ』を味わったあの日から、俺たちの拠点には、完成された穏やかな時間が流れていた。
季節は、冬。森は深い雪に覆われ、世界は白と、木々の影が落とす青だけの、静寂に満ちた水墨画へと姿を変えた。木々の枝には、まるで砂糖菓子のような綿雪が乗り、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。前世で見た、アスファルトを灰色に汚すだけの雪とは全く違う、神聖さすら感じる光景だ。
だが、俺たちの家の中は、これ以上ないほどの温かさと、豊かな香りに満ちていた。
朝、暖炉の火に薪をくべることから、俺たちの一日は始まる。乾燥しきった薪がパチパチと心地よくはぜる音、挽きたての小麦粉が焼ける香ばしい香り、そして手編みの靴下越しに伝わる、床板のひんやりとした感触。その全てが、俺たちの『日常』だった。
朝食には、ふわふわのパンケーキ。昼食には、温室で採れた冬野菜とベーコンの熱々スープ。そして、長い夜には、暖炉の前に集まり、自分たちが編んだショールにくるまりながら、リディアが読んでくれる英雄譚に耳を傾ける。
シラタマは雪遊びの達人になり、ヤギのメイ親子は暖炉のそばで草を食む。つちのこは神様の温室でぬくぬくと冬を越しているようだ。
全てが満ち足りていた。俺たちが、この森で、自分たちの手で作り上げた、完璧なスローライフ。
その、あまりにも穏やかで、完璧な静寂を破るように、それは、ある雪の夜に、初めて聞こえてきた。
暖炉の炎が落ち、俺たちが寝息を立て始めた、まさにその丑三つ時。森の全ての音が雪に吸い込まれ、世界が真空になったかのような錯覚に陥る、その一瞬。
―――グォオオオオオォォ…………ン……
それは、体の芯を、内側から震わせるような、深く、そして重い響きだった。
どこか物悲しく、そして、何かを探しているかのような、長く、長く尾を引く雄叫び。
「ユキ殿…!」
リディアが、即座に剣の柄に手をかける。俺も、暖炉のそばに立てかけてあった薪を、そっと手に取った。
だが、俺たちの警戒を解いたのは、シラタマの意外な反応だった。
彼は、敵意を示すどころか、ただ、じっと、音が聞こえてきた方角の壁を、食い入るように見つめている。そして、その喉の奥から、俺が今まで一度も聞いたことのない、か細く、そして問いかけるような声が漏れた。
「…きゅぅん…?」
その声には、驚きと、戸惑いと、そして、ほんの少しの、懐かしさのような感情が混じっているように聞こえた。
その夜を境に、雄叫びは、数日に一度、決まって風のない、静かな夜にだけ聞こえてくるようになった。
そして、俺たちの日常から、少しずつ色が失われていった。あれほど雪に大はしゃぎしていたシラタマが、空を見上げては、ため息をつくようになった。俺が作った好物のパンケーキにも、半分しか口をつけない日があった。夜中、寝床で「きゅぅん…」というか細い声で、誰かを呼ぶように鳴いていることも。
その、日に日に翳っていく相棒の姿に、俺たちは皆、胸を痛めていた。
「…ユキ殿。あの声の主を、確かめに行くべきではないか?」
ある朝、リディアが、眠れなかったのか、少し目の下に隈を作った顔で、真剣に提案した。
「シラタマが、あれほど気にするのだ。放置しておくのは、騎士としても、仲間としても、忍びない。私にも、守ると誓った民(仲間)の苦しむ顔を、黙って見過ごすことはできん」
彼女の言葉は、俺の迷いを断ち切るのに、十分すぎるほど力強いものだった。
だが、問題がある。この深い雪だ。一歩足を踏み出せば、腰まで埋まってしまう。
「大丈夫です。こういう時のために、人類が生み出した、偉大な知恵があるんですよ」
俺は、来るべき雪中行軍のために、特別な装備を作ることにした。
ポンッ!ポンッ!
【創造力:108/150 → 86/150】
俺が召喚したのは、Cランクの素材『園芸用の太いアルミ線』を数束と、Dランクの『丈夫な荷造り紐』。
俺たちは暖炉の前で、アルミ線を楕円形の輪になるように、慎重に曲げていく。リディアがその怪力で大まかな形を作り、俺がペンチで細部を調整する。彼女の力がなければ、この太い針金をこうも簡単には曲げられなかっただろう。俺の知恵がなければ、ただの力任せで正確な形にはならなかったはずだ。互いの長所を補い合う、最高の共同作業だった。
そして、完成したアルミのフレームに、荷造り紐を格子状に、きつく、きつく編み込んでいく。
数時間後。俺たちの前には、軽くて丈夫な、手作りの『かんじき(スノーシュー)』が、三組完成していた。俺の分、リディアの分、そして、シラタマの前足に合うように作った、可愛らしいミニチュアサイズのものだ。
俺は、完成したかんじきを手に、窓の外で静かに雪が舞う森を見つめるシラタマの元へ歩み寄った。
そして、その大きな背中を撫でながら、優しく語りかけた。
「シラタマ。あの声が、気になりますか?」
シラタマは、俺の顔をじっと見上げ、こくりと頷いた。その瞳には、不安と、そして、かすかな希望が揺れていた。
「分かりました。天気の良い日に、一緒に行きましょう。あの声の主が、誰なのか。あなたの仲間なのか、それとも…」
俺は、言葉を区切ると、彼の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「あなたの、家族なのかを、確かめに」
その言葉に、シラタマの黒い瞳が、大きく見開かれた。そして、彼は、俺の手に、自分の大きな頭を、ぐり、と一度だけ、強く押し付けてきた。言葉はいらない。『ありがとう』『信じている』という、彼の魂からの声が、確かに、俺の心に伝わってきた。
俺たちの、初めての冬の冒険が、今、静かに始まろうとしていた。
41
あなたにおすすめの小説
本の知識で、らくらく異世界生活? 〜チート過ぎて、逆にヤバい……けど、とっても役に立つ!〜
あーもんど
ファンタジー
異世界でも、本を読みたい!
ミレイのそんな願いにより、生まれた“あらゆる文書を閲覧出来るタブレット”
ミレイとしては、『小説や漫画が読めればいい』くらいの感覚だったが、思ったよりチートみたいで?
異世界で知り合った仲間達の窮地を救うキッカケになったり、敵の情報が筒抜けになったりと大変優秀。
チートすぎるがゆえの弊害も多少あるものの、それを鑑みても一家に一台はほしい性能だ。
「────さてと、今日は何を読もうかな」
これはマイペースな主人公ミレイが、タブレット片手に異世界の暮らしを謳歌するお話。
◆小説家になろう様にて、先行公開中◆
◆恋愛要素は、ありません◆
【完結】剣の世界に憧れて上京した村人だけど兵士にも冒険者にもなれませんでした。
もる
ファンタジー
剣を扱う職に就こうと田舎から出て来た14歳の少年ユカタは兵役に志願するも断られ、冒険者になろうとするも、15歳の成人になるまでとお預けを食らってしまう。路頭に迷うユカタは生きる為に知恵を絞る。
異世界に転生したら?(改)
まさ
ファンタジー
事故で死んでしまった主人公のマサムネ(奥田 政宗)は41歳、独身、彼女無し、最近の楽しみと言えば、従兄弟から借りて読んだラノベにハマり、今ではアパートの部屋に数十冊の『転生』系小説、通称『ラノベ』がところ狭しと重なっていた。
そして今日も残業の帰り道、脳内で転生したら、あーしよ、こーしよと現実逃避よろしくで想像しながら歩いていた。
物語はまさに、その時に起きる!
横断歩道を歩き目的他のアパートまで、もうすぐ、、、だったのに居眠り運転のトラックに轢かれ、意識を失った。
そして再び意識を取り戻した時、目の前に女神がいた。
◇
5年前の作品の改稿板になります。
少し(?)年数があって文章がおかしい所があるかもですが、素人の作品。
生暖かい目で見て下されば幸いです。
異世界でのんびり暮らしたいけど、なかなか難しいです。
kakuyuki
ファンタジー
交通事故で死んでしまった、三日月 桜(みかづき さくら)は、何故か異世界に行くことになる。
桜は、目立たず生きることを決意したが・・・
初めての投稿なのでよろしくお願いします。
ようこそ異世界へ!うっかりから始まる異世界転生物語
Eunoi
ファンタジー
本来12人が異世界転生だったはずが、神様のうっかりで異世界転生に巻き込まれた主人公。
チート能力をもらえるかと思いきや、予定外だったため、チート能力なし。
その代わりに公爵家子息として異世界転生するも、まさかの没落→島流し。
さぁ、どん底から這い上がろうか
そして、少年は流刑地より、王政が当たり前の国家の中で、民主主義国家を樹立することとなる。
少年は英雄への道を歩き始めるのだった。
※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。
オバちゃんだからこそ ~45歳の異世界珍道中~
鉄 主水
ファンタジー
子育ても一段落した40過ぎの訳あり主婦、里子。
そんなオバちゃん主人公が、突然……異世界へ――。
そこで里子を待ち構えていたのは……今まで見たことのない奇抜な珍獣であった。
「何がどうして、なぜこうなった! でも……せっかくの異世界だ! 思いっ切り楽しんじゃうぞ!」
オバちゃんパワーとオタクパワーを武器に、オバちゃんは我が道を行く!
ラブはないけど……笑いあり、涙ありの異世界ドタバタ珍道中。
いざ……はじまり、はじまり……。
※この作品は、エブリスタ様、小説家になろう様でも投稿しています。
異世界勇者のトラック無双。トラック運転手はトラックを得て最強へと至る(トラックが)
愛飢男
ファンタジー
最強の攻撃、それ即ち超硬度超質量の物体が超高速で激突する衝撃力である。
ってことは……大型トラックだよね。
21歳大型免許取り立ての久里井戸玲央、彼が仕事を終えて寝て起きたらそこは異世界だった。
勇者として召喚されたがファンタジーな異世界でトラック運転手は伝わらなかったようでやんわりと追放されてしまう。
追放勇者を拾ったのは隣国の聖女、これから久里井戸くんはどうなってしまうのでしょうか?
異世界に転生したので幸せに暮らします、多分
かのこkanoko
ファンタジー
物心ついたら、異世界に転生していた事を思い出した。
前世の分も幸せに暮らします!
平成30年3月26日完結しました。
番外編、書くかもです。
5月9日、番外編追加しました。
小説家になろう様でも公開してます。
エブリスタ様でも公開してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる