98 / 185
第九十七話『森の噂と、最初の来訪者』
しおりを挟む春本番を迎えた、穏やかな畑仕事。バロンがくれた鉄製の農具のおかげで、作業はこれまで以上に捗っている。温室の野菜は元気に育ち、ヤギのメイ親子は若草を食み、全てが完璧な日常。
しかし、俺は、森の空気に、ほんの僅かな『不協和音』を感じ取っていた。
それは、本当に些細な変化だ。獣が枝を踏む、乾いた音とは違う。もっと粘り気のある、人間がぬかるみに足を取られ、慌てて木の枝を掴むような、不自然な音。そして、風に乗って運ばれてくる匂い。森の土や若葉の香りではない、都会の路地裏を思わせる、汗と、鉄と、そして、微かな『恐怖』の匂い。
(気のせいか…?)
俺は、鍬を動かす手を止め、じっと森の奥を見つめた。
その変化を、誰よりも早く、そして明確に捉えたのが、シラタマだった。
彼は、畑の土を掘り返して遊んでいたのを、ふと、ぴたりと止めた。そして、森の奥の一点に向かって、その黒い鼻を、くんくんと激しく震わせ始める。やがて、その喉の奥から、低く、地を這うような唸り声が漏れた。
それは、キバいのししと対峙した時のような、剥き出しの敵意ではない。自分の縄張りに、招かれざる者が迷い込んだことを告げる、冷静で、そして威厳に満ちた『警告』。
「どうした、シラタマ?」
俺が声をかけても、シラタマは警戒を解かない。そのただならぬ様子に、リディアも鍬を置き、静かに剣の柄に手をかけた。俺たちの間に、言葉はなくとも、完璧な連携が生まれていた。
俺たちは、シラタマが警戒する方角を、リディアを先頭に、慎重に調査しに向かった。
すると、森の開けた場所で、倒れている二人の人影を発見した。旅人風の、若い男女の二人組。男の方は足を怪我しており、女の方は、疲労困憊で気を失いかけている。彼らは、森の奥で道に迷い、数日間さまよった末、ついに力尽きてしまったのだ。
俺は、彼らが敵意を持つ存在ではないと判断し、すぐに救護活動を開始した。
「リディアさん、まず傷口を洗浄します。下手に薬草を詰めるより、清潔にすることが最優先です」
俺は、スキルで、いくつかの医療品を召喚した。
ポンッ!ポンッ!
【創造力:118/150 → 100/150】
Dランクの『コンタクトレンズ用の生理食塩水』と『消毒用のウェットティッシュ』。Cランクの『幅広のガーゼと包帯セット』。コストは合わせて18。
「ユキ殿、それは…?」
「涙と同じ塩分濃度の、世界で一番体に優しい水です。これなら、傷口を刺激せずに、汚れだけを洗い流せます」
俺は、その清潔な水で、男の傷口を丁寧に洗い流していく。そして、『毛抜き』で、傷口に深く入り込んだ、木の棘や土を、ミリ単位の精度で、慎重に取り除いていく。その、外科医のように淀みない手つきに、リディアは息をのむ。
仕上げに、消毒用のウェットティッシュで傷の周りを清め、幅広のガーゼと包帯で、完璧な処置を施す。ついさっきまで、土と膿にまみれていた傷口は、驚くほど清潔な姿を取り戻していた。
「…町の医者よりも、遥かに手際が良いな」
リディアの、心からの感嘆の呟きが、静かな森に響いた。
俺たちは、二人を拠点に運び、手厚い看病を始めた。
意識を取り戻した女性(エルナと名乗った)が、俺の作った野菜スープを、涙を流しながら飲み干した。
そして、彼女は、壁際に寄りかかって眠るシラタマの姿を見て、震える声で尋ねた。
「あの…もしかして、あなたが…?」
彼女が語り始めたのは、俺たちが知る由もない、俺たちの『伝説』だった。
「旅の商人たちの間で、噂になっているんです。『この森の奥には、どんな傷も癒やす薬草を知り、一杯の麺料理で、人の魂さえも救済する、聖人のような男が住んでいる』と。『その傍らには、聖域を守る、白銀の神獣が常に寄り添っている』…って。まさか、本物だったなんて…!」
バロンがどれだけ隠そうとも、あの『魔法の麺』の噂は、尾ひれどころか、翼と角まで生えて、全く違う形の『伝説』として、すでに冒険者たちの間に広まり始めていたのだ。
俺は、その大げさな噂に苦笑いを浮かべながらも、彼らを助けたことを後悔しなかった。
しかし、リディアは、より厳しい目で、未来を見据えていた。
彼女は、窓の外の、どこまでも穏やかな森を見つめながら、静かに、しかし、確かな重みを持って、俺に言った。
「ユキ殿。あなたの優しさと、その料理は、人を救う力がある。だが、その力は、時に、招かれざる客をも呼び寄せるだろう」
彼女の言葉は、俺たちの穏やかな聖域が、否応なく、外の世界との関わりを持たざるを得なくなる、新しい時代の『扉』が、静かに開かれたことを、予感させていた。
28
あなたにおすすめの小説
本の知識で、らくらく異世界生活? 〜チート過ぎて、逆にヤバい……けど、とっても役に立つ!〜
あーもんど
ファンタジー
異世界でも、本を読みたい!
ミレイのそんな願いにより、生まれた“あらゆる文書を閲覧出来るタブレット”
ミレイとしては、『小説や漫画が読めればいい』くらいの感覚だったが、思ったよりチートみたいで?
異世界で知り合った仲間達の窮地を救うキッカケになったり、敵の情報が筒抜けになったりと大変優秀。
チートすぎるがゆえの弊害も多少あるものの、それを鑑みても一家に一台はほしい性能だ。
「────さてと、今日は何を読もうかな」
これはマイペースな主人公ミレイが、タブレット片手に異世界の暮らしを謳歌するお話。
◆小説家になろう様にて、先行公開中◆
◆恋愛要素は、ありません◆
【完結】剣の世界に憧れて上京した村人だけど兵士にも冒険者にもなれませんでした。
もる
ファンタジー
剣を扱う職に就こうと田舎から出て来た14歳の少年ユカタは兵役に志願するも断られ、冒険者になろうとするも、15歳の成人になるまでとお預けを食らってしまう。路頭に迷うユカタは生きる為に知恵を絞る。
異世界に転生したら?(改)
まさ
ファンタジー
事故で死んでしまった主人公のマサムネ(奥田 政宗)は41歳、独身、彼女無し、最近の楽しみと言えば、従兄弟から借りて読んだラノベにハマり、今ではアパートの部屋に数十冊の『転生』系小説、通称『ラノベ』がところ狭しと重なっていた。
そして今日も残業の帰り道、脳内で転生したら、あーしよ、こーしよと現実逃避よろしくで想像しながら歩いていた。
物語はまさに、その時に起きる!
横断歩道を歩き目的他のアパートまで、もうすぐ、、、だったのに居眠り運転のトラックに轢かれ、意識を失った。
そして再び意識を取り戻した時、目の前に女神がいた。
◇
5年前の作品の改稿板になります。
少し(?)年数があって文章がおかしい所があるかもですが、素人の作品。
生暖かい目で見て下されば幸いです。
異世界でのんびり暮らしたいけど、なかなか難しいです。
kakuyuki
ファンタジー
交通事故で死んでしまった、三日月 桜(みかづき さくら)は、何故か異世界に行くことになる。
桜は、目立たず生きることを決意したが・・・
初めての投稿なのでよろしくお願いします。
ようこそ異世界へ!うっかりから始まる異世界転生物語
Eunoi
ファンタジー
本来12人が異世界転生だったはずが、神様のうっかりで異世界転生に巻き込まれた主人公。
チート能力をもらえるかと思いきや、予定外だったため、チート能力なし。
その代わりに公爵家子息として異世界転生するも、まさかの没落→島流し。
さぁ、どん底から這い上がろうか
そして、少年は流刑地より、王政が当たり前の国家の中で、民主主義国家を樹立することとなる。
少年は英雄への道を歩き始めるのだった。
※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。
オバちゃんだからこそ ~45歳の異世界珍道中~
鉄 主水
ファンタジー
子育ても一段落した40過ぎの訳あり主婦、里子。
そんなオバちゃん主人公が、突然……異世界へ――。
そこで里子を待ち構えていたのは……今まで見たことのない奇抜な珍獣であった。
「何がどうして、なぜこうなった! でも……せっかくの異世界だ! 思いっ切り楽しんじゃうぞ!」
オバちゃんパワーとオタクパワーを武器に、オバちゃんは我が道を行く!
ラブはないけど……笑いあり、涙ありの異世界ドタバタ珍道中。
いざ……はじまり、はじまり……。
※この作品は、エブリスタ様、小説家になろう様でも投稿しています。
異世界勇者のトラック無双。トラック運転手はトラックを得て最強へと至る(トラックが)
愛飢男
ファンタジー
最強の攻撃、それ即ち超硬度超質量の物体が超高速で激突する衝撃力である。
ってことは……大型トラックだよね。
21歳大型免許取り立ての久里井戸玲央、彼が仕事を終えて寝て起きたらそこは異世界だった。
勇者として召喚されたがファンタジーな異世界でトラック運転手は伝わらなかったようでやんわりと追放されてしまう。
追放勇者を拾ったのは隣国の聖女、これから久里井戸くんはどうなってしまうのでしょうか?
異世界に転生したので幸せに暮らします、多分
かのこkanoko
ファンタジー
物心ついたら、異世界に転生していた事を思い出した。
前世の分も幸せに暮らします!
平成30年3月26日完結しました。
番外編、書くかもです。
5月9日、番外編追加しました。
小説家になろう様でも公開してます。
エブリスタ様でも公開してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる