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【第百十八話】薔薇色の町と、癒やしの足湯
しおりを挟む学者アレスターと別れてから、半日。俺たちの旅は、ついに一つの目的地へとたどり着いた。
最後の丘を越えた瞬間、俺たちの目の前に、その町は姿を現した。
「おお…!」
リディアが、思わず感嘆の声を漏らす。
アレスターが言っていた通り、町を構成する建物という建物が、夕暮れ前の柔らかな陽光を浴びて、美しい薔薇色に輝いていた。それは、ただ赤いだけではない。長い年月を経て角が取れ、温かみを帯びた、優しい色合い。聖域の、緑と土の色に慣れた目には、あまりにも幻想的で、胸を打つ光景だった。
町の門をくぐると、俺たちは、聖域とは全く違う、活気に満ちた『文明の香り』に包まれた。
パンが焼ける香ばしい匂い、家々の暖炉から立ち上る薪の香り、そして、この町の主産業であるレンガ工房から漂う、乾いた土と石炭の匂い。人々の話し声、子供たちのはしゃぐ声、どこかの工房から聞こえてくる、規則正しい槌の音。
その、生命力に満ちた喧騒の中で、リディアは一瞬たりとも気を緩めない。彼女の瞳は、もはや旅人ではなく、俺とシラタマを護衛する『聖域の守護騎士』そのものだ。荷車のそばを片時も離れず、すれ違う人々の視線や気配を、鋭く、しかし自然に探っている。
そして、その警戒の最大の対象は、もちろんシラタマに向けられる人々の視線だった。
「な、なんだ、あの白い獣は…!?」
「熊か?いや、魔獣か…?」
道行く人々が、驚きと、少しの恐怖を滲ませた目で、遠巻きに俺たちを眺める。町の衛兵が、緊張した面持ちで、ゆっくりとこちらへ近づいてきた、その時。
荷台の上で退屈していたシラタマが、ふぁ~、と、あまりにも平和で、大きすぎるあくびをした。そして、ころん、と仰向けに寝転がると、その真っ白で、もふもふのお腹を、無防備に、天に向けてかいかいと掻き始めたのだ。
その、あまりの無邪気さと、緊張感の欠片もない姿に、町の緊張は、ふっと、風船がしぼむように消え去った。衛兵も、子供たちも、その愛らしい姿に、思わず笑みをこぼす。俺は、この最高の『平和大使』の頭を、誇らしげに撫でてやるのだった。
俺たちは、町の人に道を尋ね、目的のパン屋へとたどり着いた。
店の名は、『陽だまりのパン屋』。その名の通り、薔薇色の壁に、温かいオレンジ色の扉がついた、素朴で、可愛らしい店だった。
扉を開けると、小麦の焼ける良い香りと共に、見覚えのある少女が、額に汗して、巨大なパン生地と格闘している姿があった。
「アニカさん!」
俺の声に、彼女は顔を上げ、小麦粉だらけの顔を、驚きと、そして満面の喜びに輝かせた。
その夜、俺たちはアニカの家族に温かく迎え入れられた。
だが、食事が終わる頃、俺は、アニカの笑顔の裏にある、深い疲労の色を見逃さなかった。彼女は、客のいない時を見計らって、椅子の下で、自分の足を、痛みをこらえるように、そっと揉んでいる。パン作りは、一日中立ちっぱなしの、過酷な重労働だ。
(このままじゃ、クロワッサンを教えるどころじゃないな…)
「アニカさん。最高のパンを作るには、まず、最高のパン職人が、最高の状態でなければなりません」
俺は、彼女の前に、一つの『儀式』を用意した。
俺が、この日のために召喚したのは、旅人の疲れを癒やすための、最高の知恵だった。
ポンッ!ポンッ!
【創造力:65/150 → 55/150】
俺が召喚したのは、Dランクの『折りたたみバケツ』と、同じくDランクの『入浴剤(森の香り)』。そして、Eランクの『軽石』。コストは合わせて10。
俺は、暖炉の火で沸かしたお湯をバケツに注ぎ、入浴剤を溶かす。ふわりと、聖域の森を思わせる、清涼感のある香りが立ち上った。
「さあ、どうぞ。靴を脱いで、足を入れてください」
「え…?あ、足を…お湯に…?」
アニカは、その、あまりにも予想外の提案に、戸惑いの表情を浮かべる。彼女の世界では、足の疲れは、ただ耐え忍ぶものだったのだ。
俺に促され、彼女が、おそるおそる、その疲れた足を湯の中へと沈めた、その瞬間。
「……ぁ……」
彼女の口から、吐息とも、安堵のため息ともつかない、か細い声が漏れた。
足の裏から、じんわりと、体の芯まで伝わっていく、優しい温かさ。立ち仕事でパンパンに張っていたふくらはぎの筋肉が、ゆっくりと、ゆっくりと、その緊張を解いていく。森の香りが、疲れた心を、優しく撫でるように癒やしていく。
俺は、軽石で、彼女の硬くなったかかとを、優しく、丁寧に擦ってあげた。
その、あまりにも穏やかで、そしてあまりにも優しい、初めての『足湯』という名の癒やしの儀式。
アニカの瞳から、ぽろり、ぽろりと、大粒の涙がこぼれ落ちた。
それは、悲しみの涙ではない。自分の体を、こんなにも優しく労ってもらったことへの、生まれて初めての感動の涙。そして、この温かさを知ってしまったら、もう、以前の自分には戻れないという、幸福な予感の涙だった。
その横で、リディアが、どこか羨ましそうな、そして少しだけ照れたような顔で、その光景をじっと見つめている。
「…ユキ殿。あなたの知恵は、厨房だけでなく、人の心と体まで、癒やしてしまうのだな」
翌朝。すっかり元気を取り戻したアニカが、生まれ変わったように晴れやかな顔で、俺たちの前に立った。
「ユキさん…!昨日は、本当にありがとうございました。私、準備万端です!」
彼女は、工房を指さし、目を輝かせて言った。
「さあ、教えてください!あの、伝説のクロワッサンの作り方を!」
薔薇色の町での、甘くて、温かい、最高のパン作り教室が、今、静かに幕を開けるのだった。
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