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【第百二十八話】王都への返答と、賢者の対価
しおりを挟む「…賢人殿。その暮らしを…王都に持ち帰ることは、可能だろうか?」
王都の騎士、セラフィナが放った言葉。それは、もはや調査や尋問ではない。一つの世界の中心が、俺たちの、この小さな森の聖域に向かって、教えを乞う、敬意に満ちた『懇願』だった。
だが、その言葉を聞いた瞬間、俺の心の中に、とうの昔に死んだはずの『風間勇希』の記憶が、鮮烈に蘇った。
(王都へ…?冗談じゃない…!)
クライアントの無理難題、終わりのない会議、数字と締め切りに追われるだけの、魂のすり減るような毎日。俺は、その果てに、一度死んだのだ。この穏やかで、温かい聖域は、俺が全てを捨てて、ようやく手に入れた、二度目の人生そのもの。それを、自ら手放せというのか。
俺の表情に浮かんだ、一瞬の、しかし明確な拒絶の色を、リディアは見逃さなかった。
俺が口を開くより早く、彼女は、セラフィナに向かって、静かに、しかしきっぱりと言った。
「セラフィナ殿。ユキ殿は、王都へは行かぬ」
その声には、聖域の守護騎士としての、揺るぎない意志が宿っていた。
「だが、この聖域の豊かさが、王都の民の助けになるというのならば…話は別だ。私は、飢えと寒さに苦しむ兵士たちの顔を知っている。一杯の温かいスープが、どれほど人の心を救うかを、この身で知った。…ユキ殿の知恵は、この森の中だけで、留めておくべきものではない」
彼女は、俺の目を見て、最高の笑顔で言った。
「我らの聖域は、もはや、ただ守られるだけの弱い城ではない。その温かさを、外の世界へと、少しだけおすそ分けできるほどに、強くなったのだからな」
その、あまりにも温かく、そしてあまりにも力強い信頼の言葉。俺の心の壁が、音を立てて崩れていく。
「…分かりました」
俺は、深く息を吐き、そして、決意の顔を上げた。
「協力しましょう。ただし、俺には俺のやり方がある。三つの『対価』を、呑んでいただきたい」
俺が提示した条件に、セラフィナとトーマスは、息をのんだ。
一つ、俺は王都へは行かない。学びたい者は、この聖域へ来ること。
二つ、最初のプロジェクトは、貴族のためではない。王都で最も貧しい地区の、孤児院の食生活を改善すること。
そして三つ、俺の名は『賢人』ではない。ただの、風間勇希――ユキとして、裏方に徹すること。
富も、名誉も、地位も求めない。ただ、手の届く範囲の、か弱い者たちを救うことだけを望む。その、あまりにも聖人的で、しかし、何よりも人間的な条件。
セラフィナは、深く、深く、頭を下げた。
「…賢人殿の、その高潔なる魂、しかと拝見した。その条件、我が主君に代わり、必ずや、呑ませてみせよう」
書記官トーマスが、その歴史的な合意を、震える手で羊皮紙に書き記していく。
そして、全ての条文が書き終えられた、その時。俺は、最後の『契約』の儀式を執り行った。
ポンッ!ポンッ!
【創造力:39/150 → 37/150】
俺が召喚したのは、Eランクの文房具、『クリップボード』と『ボールペン』。そして、『付箋』。コストは合わせて2。
「セラフィナ様。これが、俺の『印章』です」
俺は、荘厳な羊皮紙の契約書を、そのあまりにもチープなプラスチックの板で挟む。そして、ボールペンで、付箋の上に、子供でも分かるような、平易な文字を書き付けた。
『最初の仕事:孤児院の厨房と、貯水槽の現地調査』
俺は、その黄色い小さな紙片を、契約書の末尾に、ぴたりと貼り付けた。
「壮大な約束よりも、明日やるべき、小さな一歩を。それが、俺のやり方なんですよ」
その、あまりにも合理的で、あまりにも異世界的な契約の作法。セラフィナとトーマスは、自分たちが今、歴史が生まれる瞬間に立ち会っていることを、肌で感じていた。
翌朝。王都の使者たちは、旅立っていった。
彼らの背負う鞄の中には、王都の運命を左右するかもしれない契約書と、書記官トーマスの、生涯の宝物となるであろうシャープペンシルが、大切に仕舞われている。
彼らを見送りながら、リディアは、どこか遠い目をして、俺に言った。
「…ユキ殿。あなたの『お節介』は、ついに、一つの国の在り方さえも、変えてしまうやもしれんな」
その言葉に、俺は、ただ苦笑いを浮かべるだけだった。
俺たちの、穏やかだったはずの聖域。それが、今、この世界の、新しい歴史を紡ぎ始める、小さな、しかし、何よりも温かい『教室』になろうとしていた。
春の風が、まだ見ぬ『生徒』たちの足音を、運んでくるような気がした。
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