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【第百三十六話】王都からの使者と、甘い外交
しおりを挟む聖域に『アニマル・-エクスプレス』という名の、温かい心の郵便局が開局してから、数週間が過ぎた。
春は深まり、初夏の陽気が森を包む。俺たちの日常は、ロゼッタの町のアニカから届く、パンの焼ける香りがする返事を心待ちにするという、新しい楽しみで彩られていた。
だが、その穏やかな日常は、ある晴れた日の午後、丘の上の監視塔から放たれる、これまでで最も鋭く、そして緊迫した光の矢によって、破られることとなる。
キラリ、キラリ、キラリ。
三度の、短い閃光。それは、リディアと俺の間で決められた、最上級の警戒信号。
――『敵影、多数。武装』。
聖域の入り口に俺たちが駆けつけた時、そこにいたのは、予想だにしなかった一団だった。
先頭に立つのは、王都の騎士セラフィナ。その隣には、書記官トーマス。だが、彼らの後ろには、王家の紋章が刻まれた豪奢な馬車と、それを護衛する数名の屈強な騎士たちが控えていた。その、あまりにも物々しく、そして場違いな光景に、リディアは音もなく剣の柄に手をかける。
「セラフィナ殿。これは、一体…?」
リディアの問いに、セラフィナはどこか申し訳なさそうな、そして諦めたような顔で、深く溜息をついた。
「…すまない。私の報告書が、どうやら、少しばかり『正直』すぎたらしい」
彼女が提出した、『賢者の知恵は国家戦略級の価値あり』という報告書。それは、王都の中枢に、俺たちが想像していた以上の、巨大な波紋を広げていたのだ。
特に、その報告に強い興味を示したのが、病に伏せる国王に代わり、実質的にこの国を動かしているという、若干二十歳の若き王女、アメリア殿下だった。
『その者が持つという、富でも軍事力でもない、新しい豊かさ。それを、この目で見届けたい』
そう言って、彼女は、護衛も最小限に、この森まで自ら足を運んできたのだという。
馬車の扉が、ゆっくりと開かれる。
中から現れたのは、豪奢なドレスではなく、動きやすい質素な旅装に身を包んだ、しかし、その全身から隠しきれない気品と、強い意志の光を放つ、美しい少女だった。
「――貴方が、森の賢人ですね?」
凛とした、しかしどこか好奇心に満ちた声。
俺は、この聖域の運命を左右するかもしれない、最初の『外交』の舞台に立つこととなった。
だが、俺の武器は、剣でも、魔法でもない。
「ようこそ、俺たちの聖域へ、アメリア殿下。長旅、お疲れだったでしょう。まずは、お茶の時間にいたしましょう」
俺は、この国の最高権力者を前に、いつもと変わぬ『もてなし』という名の鎧を纏う。
この、あまりにも重要な外交のテーブルを彩るため、俺は、聖域の甘味の最高傑作を用意した。
俺が挑戦するのは、繊細な温度管理と、寸分の狂いもない計量が求められる、究極の焼き菓子…**『マカロン』**だった。
ポンッ!
【創造力:150/150 → 145/150】
※創造力は睡眠により全回復
俺が召喚したのは、Dランクの製菓用品、『粉ふるい器』。コストは5。
アーモンドの粉と粉糖を、シルクのようにきめ細かくふるっていく。その、あまりにも繊細で、平和な作業。セラフィナは、これから外交が始まるとは到底思えぬ、その光景に、もはや驚きを通り越し、呆れに近い感情を抱いていた。
ポンッ!
【創造力:145/150 → 141/150】
次に、Dランクの『ハンドミキサー(手動タイプ)』。コストは4。
卵白を、雲のように、そして真珠のような輝きを放つ、完璧なメレンゲへと泡立てていく。
その、あまりにも美しい職人技を、馬車の窓から覗いていたアメリア王女の瞳が、キラキラと輝きを増していくのが、俺には見えていた。
この、聖域初の外交交渉。仲間たちも、それぞれの形で、その舞台を盛り上げていた。
俺がマカロン生地を絞り出していると、その甘い香りに誘われて、シラタマが工房にやってきた。彼は、王女や騎士たちを前にしても、物怖じすることなく、アメリア王女の足元に、どすん、とその巨体を預け、安心しきったように、すぅすぅと寝息を立て始めたのだ。その、あまりの無邪気さと、もふもふの破壊力に、鉄の仮面を被っていたはずの護衛の騎士たちの口元が、ふっと和らいだ。最高の『平和大使』の仕事だった。
そして、マカロンに挟むクリームに悩んでいた、その時。いつの間にか現れたつちのこが、聖域でしか育たない、薔薇のような、高貴な香りを放つ、一輪の赤い花を、そっと差し出してくれたのだ。神様からの、最高の『フレーバー』の贈り物だった。
焼き上がったマカロンは、奇跡のようだった。
表面はサクッと、中はしっとり。つちのこがくれた花のクリームが、口の中で、春の庭園のように、華やかに香る。
翡翠の器に並べられた、パステルカラーの、まるで宝石のような焼き菓子。
アメリア王女は、その一つを、おそるおそる、しかし、好奇心に満ちた指先でつまみ、一口。
次の瞬間、彼女の、これまで決して表情を崩さなかったはずの顔が、驚きと、そして、少女のような純粋な喜びに、花が綻ぶように輝いた。
「…美味しい…!これが、あなたが言う、豊かさ…なのですね…」
その、あまりにも無垢な笑顔。
俺は、確信した。彼女は、敵ではない。ただ、自分の国の未来を、民の幸福を、心の底から案じている、若く、真面目な、一人の為政者なのだと。
俺は、最高の笑顔で言った。
「ええ。ですが、これはまだ入り口に過ぎませんよ、殿下。この聖域には、あなたの国を、もっと、ずっと豊かにする『宝物』が、まだまだ眠っていますから」
俺たちの、ほんのささやかな日常。それが、今、一つの国の未来そのものを動かす、甘くて、温かい『外交』のテーブルへと、変わろうとしていた。
春の風が、まだ見ぬ王都の未来の香りを、運んでくるような気がした。
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