おっさん転生、相棒はもふもふ白熊。100均キャンプでスローライフはじめました。

はぶさん

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【第百五十一話】 王都の灰色と、商人の切り札

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その日、行商人バロンの背中には、これまでのどの商いとも違う、心地よい重圧と、歴史の歯車を回しているという確かな興奮が満ちていた。荷車の奥深く、幾重にも緩衝材で包まれた桐箱の中には、ただの商品ではない、一つの世界の未来が眠っている。彼は、聖域の未来を託された『使者』だった。

数日後、彼の目の前に、王都の巨大な城門が、まるで灰色の巨人のようにそびえ立った。聖域の、生命力に満ちた緑とは対照的な、高く、冷たい石の壁。城門をくぐると、そこは喧騒と活気の渦だったが、人々の顔には聖域で見たような穏やかさはなく、どこか疲労と競争の色が濃い。バロンは、自分が全く違う理(ことわり)で動く世界に来たことを、その肌で感じていた。

彼の最初の目的地は、王城の巨大な厨房。長年の行商で培ったコネと、鼻薬としての上質な香辛料を使い、彼は厨房の末席で働く旧知の料理人との接触に成功した。
厨房は、巨大で、効率的で、しかしどこか喜びの感じられない、殺伐とした空気に満ちていた。料理人たちは、国王の食事という絶対的なプレッシャーと、厳しい序列の中で、まるで機械の歯車のように、無表情で働いている。

「――これは、友からの預かり物でしてね。ほんの味見だけでも、いかがですかな?」

バロンは、旧知の料理人に、おもむろに桐箱から取り出した『燻製醤油』の小瓶を差し出した。料理人は、その得体の知れない黒い液体を訝しみながらも、パンの切れ端に一滴だけ垂らし、無感動に口へ運んだ。

次の瞬間、彼の料理人としての、これまでの二十年が、根底から覆された。

「な、なんだこれは!?塩でもない、魚醤でもない…!この、鼻腔を脳天まで突き抜ける香ばしさと、舌の上に永遠に残り続けるかのような、深く、深い旨味の奔流は…!?」

彼の、魂からの叫び声。それは、静寂な厨房に、熱い波紋のように広がった。一人、また一人と料理人たちが集まってくる。やがて、その騒ぎは厨房の頂点に君臨する、白髪の宮廷料理長の耳にまで届いた。
料理長は、皇帝のような威厳をまとった、プライドの高い頑固な老人だった。彼はバロンを「得体の知れない行商人め」と侮蔑の視線で見下すが、部下が差し出した、醤油が一滴だけ染みたパンを口にした瞬間、その鉄仮面のような表情が、初めて凍り付いた。

「…この液体、どこで手に入れた」

その声は、威厳ではなく、未知の味に対する、職人としての純粋な『畏怖』に震えていた。
バロンは、ただにやりと笑い、「森の友からの、ささやかな贈り物ですよ」とだけ答え、多くを語らずに厨房を後にした。彼の蒔いた一滴の『謎』は、今頃、王都最高の料理人たちの間で、熱病のように議論されていることだろう。

次に彼が向かったのは、賢人会議のメンバーの一人であり、王都一の美食家として知られる、老公爵の壮麗な屋敷だった。
ここでも、彼は次の爆弾を投下する。桐箱から取り出したのは、二ヶ月の時を経て、旨味の宝石を宿した**『熟成チーズ』**。
老公爵は、その一片を味わい、あまりの美味さに言葉を失い、ただ震える手で、傍らの侍従に最高のワインを持ってくるよう、かすれた声で命じるのが精一杯だった。

「…このチーズには、わしの知るどんな国の、どんなチーズにもない、『物語』がある。一体、どこの神が、これを作ったというのだ…」

バロンが恭しく残していった『Sanctuary』のラベルと、そこに押された、可愛らしいシラタマの肉球ロゴ。それが、数日後に開かれる賢人会議で、マルス子爵の権利書が議題に上る際の、最も強力な『伏線』となることを、まだ誰も知らなかった。

その日の夜、バロンは王都の安宿で、一人祝杯をあげていた。彼がばらまいた『味』という名の種は、今頃、王都の中枢で、静かに、しかし確実に、人々の心を蝕み、常識を揺るがし始めているだろう。

一方、その頃、マルス子爵の屋敷では、子爵本人が、偽造した完璧な権利書を手に、ほくそ笑んでいた。
「賢人会議など、ただの形式よ。あの森は、間もなく我が手中に落ちる。あの忌々しい女騎士も、白熊の魔獣も、まとめて我がコレクションに加えてくれるわ…」

しかし、彼の知らないところで、王都の食卓では、一つの静かな革命が、確かに始まっていた。宮廷料理長は、あの醤油の味を再現しようと、夜通し厨房で苦悩し、老公爵は、あのチーズに合う最高のワインを探し求め、王都中の酒蔵をひっくり返させている。
聖域の『豊かさ』は、もはやただの噂ではない。王都の権力者たちの舌の上に、抗いがたい『現実』として、そして抗いがたい『渇望』として、確かに刻み込まれたのだ。

バロンは、窓の外の、眠らない王都の灰色の夜景を見つめながら、にやりと、商人の顔で笑った。
「さて、賢人様。あんたの物語、最高の形で舞台に上げてやったぜ。ここからが、本当のショーの始まりだ」

物語は、ついに王都を舞台にした、壮大な情報戦・文化戦へと、その幕を本格的に上げるのだった。

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