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【第百六十一話】聖域の氷室と、冷やし中華はじめました
しおりを挟む初夏の眩しい日差しが、新設されたカフェテラスの遮光ネットを通り抜け、木漏れ日のように穏やかな光の模様をテーブルの上に描いていた。俺は、手作りの日時計がちょうど昼を示すのを眺めながら、ハーブの香りがする冷たいお茶を一口すする。
「…しかし、ユキ殿。王都の貴婦人たちが、我らの思い出の品を巡って戦争とは…俗世とは、げに恐ろしき場所よな」
リディアが、工房から聞こえてくる機織り機の軽やかな音に耳を傾けながら、呆れたように、しかしどこか楽しそうに呟いた。バロンさんから届いた、俺たちのアクセサリーが王都で引き起こしているという甘い狂想曲。それは、俺たちの日常に、くすりと笑える新しいスパイスを加えてくれていた。
「はは、まあ、それだけ俺たちの聖域の暮らしが魅力的だってことですよ」
俺がそう言って笑った、まさにその時だった。
「キュゥゥゥン…」
テラスの隅で丸くなっていたシラタマが、今にも泣き出しそうな、か細い声で腹を押さえている。どうやら、俺が目を離した隙に、昨日の残りの燻製肉を少しだけつまみ食いしてしまったらしい。初夏の陽気で、ほんの少しだけ、ほんの少しだけだが、その風味が落ちていたのを、彼の繊細な胃袋は見逃さなかったのだ。
「ああ、シラタマ、大丈夫ですか!?」
俺は慌てて駆け寄り、そのお腹を優しく撫でてやる。幸い、大したことはなさそうだ。だが、この一件は、フードコーディネーターとしての俺の心に、警鐘を鳴らすには十分すぎた。
(暖かいだけじゃない。この季節は、目に見えない敵との戦いの季節でもあるんだ…!)
俺は、心配そうにシラタマを覗き込むリディアに向かって、静かに、しかし力強く宣言した。
「リディアさん。夏の本格的な到来を前に、俺たちの食の安全保障体制を、次のステージへと引き上げます。聖域に、究極の『冷蔵設備』…**『氷室(ひむろ)』**を建設しましょう!」
「氷室…!?ですがユキ殿、この聖域には、冬を越した氷を貯めておく場所など…」
「ええ。だから、氷を使わずに、大地そのものの冷気を利用するんです。地面を深く掘り、地下の冷気を閉じ込める、天然の冷蔵庫ですよ!」
その、あまりにも壮大で、しかし科学的な計画に、リディアの瞳が輝いた。
プロジェクトの最初の、そして最大の難関は、穴掘りだ。だが、俺たちの聖域には、どんな土木工事も可能にする、最強の女神がいる。
「お任せを、ユキ殿!この大地に、我が騎士団の力を示す時が来たようだな!」
リディアは、まるで竜退治にでも向かうかのように、目を輝かせてシャベルを握りしめた。彼女の人間離れした怪力の前では、固い地面も、まるで柔らかな豆腐のようだ。ザク、ザク、と小気味よい音を立てて、みるみるうちに、大人が数人は入れるほどの、巨大な縦穴が姿を現していく。
穴掘りが進む間、俺は、この天然冷蔵庫の心臓部となる、断熱層の準備に取り掛かる。
「最高の冷蔵庫を作るには、最高の『断熱』…つまり、外の熱を遮断し、中の冷気を閉じ込める壁が必要です」
俺は、この聖域の技術の粋を集めた、ハイブリッド断熱材をDIYする。
まず、壁面に貼り、地下の冷気を外に逃がさないための反射断熱材。
**ポンッ!**
【創造力:150/150 → 122/150】
Bランクの防災グッズ**『アルミ保温シート』**。コストは28。以前、冬の陽だまりを作るためにレフ板として使ったが、今回は、その本来の性能を存分に発揮してもらう。
次に、氷室内の湿度をコントロールし、カビの発生を防ぐための、魔法の石。
**ポンッ!**
【創造力:122/150 → 97/150】
同じくBランクの**『タンクタイプの除湿剤』**。コストは25。
そして、床に敷き、食材を地面から離して風通しを良くするための、最後の仕上げ。
**ポンッ!**
【創造力:97/150 → 92/150】
Dランクの**『すのこ』**。コストは5。
この、聖域初の大型インフラ工事。仲間たちの愛らしい活躍があった。
リディアが掘り出した、巨大な土の山。それが、お腹の調子がすっかり良くなったシラタマにとって、最高の遊び場にならないはずがなかった。彼は、その山の頂上から、何度も、何度も、歓声を上げて滑り降りては、全身を土まみれにしていた。最高の現場監督(兼・癒やし担当)だ。
そして、俺たちが掘った穴の壁が、雨で崩れないように、つちのこが、その壁にそっと小さな手を触れる。すると、まるで神様の祝福のように、その部分の土だけが、コンクリートのように固く、そして滑らかになるのだ。神様による、完璧な『防水・補強工事』だった。
数日後、ついに俺たちの氷室が完成した。
梯子を降りて、その内部に足を踏み入れた一同は、息をのんだ。外のじっとりとした生暖かい空気とは全く違う、ひんやりと、そしてからりとした、清浄な空気がそこにはあった。壁に貼られたアルミシートが、ランタンの光を反射して、まるで未来の基地のようにキラキラと輝いている。
「すごい…!外は夏なのに、ここはまるで、秋の早朝のようだ…!」
リディアが、感嘆の声を上げる。
この、歴史的な発明の成功を祝して、俺は、最高の『ご褒美』を用意した。
俺が挑戦するのは、この新しい氷室の力を最大限に活かした、究極の夏の麺料理…**『冷やし中華』**だった。
自動粉挽き所で製麺した中華麺を茹で、氷室でキンキンに冷やしておく。タレは、自家製の燻製醤油とハーブビネガーをベースに、ほんの少しのごま油を加えた、甘酸っぱい特製ダレだ。
具材は、シラタマ農園で採れたばかりの、瑞々しいキュウリと完熟トマト。森の卵で作った美しい錦糸卵、そして、燻製小屋で熟成させた、最高のチャーシュー(燻製キバいのしし肉)。それらを、翡翠の器に美しく盛り付け、最後に、氷室で冷やしておいた特製ダレを、たっぷりと回しかける。
一同は、その、生まれて初めて見る、色とりどりで、涼やかな麺料理を前に、ゴクリと喉を鳴らした。
一口、麺をすする。
キン、と歯にしみるほどの冷たさ。噛みしめると、驚くほどのコシ。そして、甘酸っぱいタレと、様々な具材の味が、口の中で、最高のハーモニーを奏でる。
「う…うまい!冷たいのに、こんなに美味い麺料理があったとは…!?」
「キュイイイイイイイイイイッ!!」
リディアの驚愕の声と、シラタマの魂の雄叫びが、聖域の初夏の空に響き渡った。
一同は、完成したばかりのカフェテラスで、氷室が生み出した、最高の涼を味わっていた。
リディアは、冷たい翡翠の器を、愛おしそうに撫でながら、俺に言った。
「ユキ殿の知恵は、火を操り、水を操り、そして、ついに夏そのものを、支配下に置いたのだな…」
その言葉に、俺は、最高の笑顔で頷いた。
俺たちが手に入れたのは、ただの冷蔵庫ではない。どんな季節でさえも、最高の豊かさに変えてしまう、揺るぎない知恵と、仲間との絆。
聖域の夏は、また一つ、かけがえのない、冷たくて美味しい宝物を手に入れたのだった。
丘の上の監視塔から、ふと、森の入り口へと続く道に目をやると、これまで見たことのない、王家の旗を掲げた一団が、測量用の杭を打ち始めているのが、小さく、しかし確かに見えた。
俺たちの聖域と、外の世界を繋ぐ道が、今、作られようとしていた。
俺たちの、穏やかで、満ち足りた夏に、新しい風が吹こうとしている。その、確かな予感を、初夏のそよ風だけが、知っているかのようだった。
いつもお読みいただきありがとうございます!
次回、王都との道が繋がり、聖域に新しい『出会い』が訪れる…かもしれません。どうぞ、お楽しみに!
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