おっさん転生、相棒はもふもふ白熊。100均キャンプでスローライフはじめました。

はぶさん

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【第百六十九話】王都の査定官と、瓶詰めの夏

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聖域の夏野菜カレーが、俺たちのささやかな勝利と明日への活力を祝う、温かい宴の終わりを告げた頃。丘の上に続く道の先に現れた、見知らぬ一台の馬車。そこから降り立ち、冷徹な目でこの聖域を値踏みするかのように調査を始めた、王都の文官風の男。
その存在は、俺たちの穏やかな日常に、これまでとは質の違う、静かで、しかし確かな緊張の波紋を広げていた。

「…斥候、か。だが、これまでのチンピラ共とは、明らかに種類が違うな」
リディアは、カレーをかき込むスプーンを持つその手を止め、音もなく立ち上がっていた。その瞳は、もはやただの食いしん坊な騎士ではない。いかなる脅威からもこの家を、この家族を守り抜くと誓った、真の守護騎士の顔だった。彼女の研ぎ澄まされた五感は、あの男が放つ、剣や殺気とは無縁の、しかし、より冷徹で、本質的な『脅威』の匂いを、確かに嗅ぎ取っていたのだ。

翌朝、俺はリディアを伴い、男が姿を現した森の入り口へと向かった。戦闘の準備ではない。俺たちの流儀で、この静かなる来訪者の『正体』を確かめるためだ。
男は、昨日と同じ場所に立っていた。手にした羊皮紙には、俺たちの聖域周辺の地形が、驚くほど正確に描き込まれている。彼は、時折、土を指でつまみ、その質を確かめ、あるいは、森の木々の種類や、その密集度を、まるで奴隷商人か鑑定家のような目で値踏みしている。
俺たちの接近に気づくと、男は慌てることなく、ゆっくりとこちらを振り返った。その顔には、感情というものが綺麗に抜け落ちたかのような、無機質な能面のような表情が張り付いている。

「――森の賢人、ユキ殿とお見受けする」
その声は、平坦で、抑揚がなく、まるで機械が言葉を発しているかのようだった。
「私は、王国の財務を預かる部署にて、未開拓資源の価値査定を任されている、レグルスと申す者。単刀直入に申し上げよう。この森、そして貴殿らが持つ『富』の源泉。その全てを、王国が管理した場合の、経済的価値を算定しに来た」

それは、あまりにも率直で、そしてあまりにも無慈悲な宣告だった。彼は、俺たちの暮らしを、ただの『資源』としか見ていない。この聖域の温かさも、仲間たちの笑顔も、彼にとっては、羊皮紙の上に記される、冷たい数字の羅列でしかなかった。
俺の隣で、リディアの纏う空気が、絶対零度まで下がるのが分かった。だが、俺は、その彼女の肩を、穏やかに手で制した。

「査定、ですか。結構なことです。ですが、レグル-ス殿。腹が減っては、正確な数字も弾き出せますまい。まずは、俺たちの『富』の、ほんの入り口だけでも、その舌で味わってみてはいかがかな?」
俺は、この冷徹な査定官を、聖域の中心…俺たちのダイニングテーブルへと招き入れた。

彼が最初に目にしたのは、工房の軒先に吊るされた、聖域の技術の結晶だった。
「これは…?」
「干し野菜ですよ。太陽の力だけで、野菜の旨味を、宝石のように凝縮させるんです」
ソーラーフードドライヤーから取り出したばかりの、深いルビー色に輝く干しトマト。レグルスは、その一片を指でつまみ、光にかざす。彼の鑑定家の目が、その小さな欠片に、どれほどの金銭的価値が眠っているかを、瞬時に弾き出し始めていた。
(ただの干し野菜ではない…色も、香りも、王都で流通している最高級品を遥かに凌駕している。これを粉末にし、貴族向けの高級香辛料として売り出せば…いや、軍用の携帯食糧として独占的に納入すれば、その価値は…!)

だが、俺が見せつける『富』は、それだけでは終わらない。
「夏は、太陽の恵みだけではありません。時に、その強すぎる光や、長雨から、恵みを『守る』知恵も必要になります」
俺は、この聖域の食文化に、新たなる革命をもたらす、究極の保存食…**『ピクルス』**作りを、彼の目の前で披露した。
シラタマ農園で採れたばかりの、瑞々しいキュウリやパプリカ。それを、翡翠の器に入れ、自家製のハーブビネガーと、聖域の香辛料、そして岩塩を合わせたピクルス液に漬け込む。
だが、本当の魔法は、ここからだ。

ポンッ!ポンッ!
【創造力:150/150 → 120/150】
※創造力は睡眠により全回復
俺が召喚したのは、Bランクの**『ガラスの密閉保存瓶』と、Dランクの『瓶の蓋を開けるオープナー』**。コストは合わせて30。
「レグルス殿。最高の保存食は、敵の侵入を許しません。その最大の敵は、目に見えない『空気』です」
俺は、野菜を詰めた瓶の口にゴムパッキンをはめ、金属の留め具で蓋を固く密閉してみせる。『真空』という、この世界にはまだ存在しない、絶対的な保存の概念。その、あまりにも画期的な技術を前に、レグルスは、初めてその能面のような表情を、微かに、しかし確かに歪ませた。

この、聖域の技術力のデモンストレーション。仲間たちの愛らしい活躍があった。
俺が、ピクルス液の味見をしていると、そのツンとした酸っぱい香りが気になったのか、シラ-タマが、大きな鼻先をボウルに突っ込んできた。そして、ぺろり、と一舐め!
「キュン!?」
次の瞬間、彼は、あまりの酸っぱさに、ブルブルブル!と、全身を激しく震わせた。その、あまりにもコミカルな姿に、これまで鉄仮面を貫いていたレグルスの口元から、ふっ、と、本人も気づかぬうちに、小さな笑いが漏れた。聖域の平和大使が、鉄壁の査定官の心の鎧に、最初の、そして最も効果的な亀裂を入れた瞬間だった。

その日の昼食は、聖域の『富』の、集大成だった。
食卓に並べられたのは、焼きたてのパンと、自家製チーズ、燻製肉。そして、主役は、『聖域の保存食アンティパストミスト(前菜盛り合わせ)』。
ソーラーフードドライヤーが生んだ、旨味の宝石である干しトマト。完成したばかりの、シャキシャキとした歯ごたえと、爽やかな酸味が夏の風のように駆け抜けるピクルス。そして、それらを繋ぐ、黄金色の自家製ハーブオイル。
レグルスは、その一皿を前に、言葉を失っていた。彼が知る保存食とは、ただ飢えを凌ぐための、塩辛く、味気ないものだったはずだ。だが、目の前にあるのは、どうだ。一つ一つが、王宮の晩-餐会で出されてもおかしくないほどの、完成された『料理』として、完璧な調和を保っている。
彼は、震える手で、フォークを口に運んだ。
次の瞬間、彼の、数字と計算だけで構築されていた、灰色の世界が、音を立てて崩れ落ちていく。

(…なんだ、これは…?美味い、という、たった一つの言葉だけでは、到底表現しきれん…!一つ一つの食材が、それぞれの物語を語り、そして、この一皿の上で、一つの壮大な叙事詩を奏でている…!これが…これが、この森の『富』の、正体だというのか…!?金貨では測れない。羊皮紙の上では計算できない。なんと、厄介で、そして、なんと…美しいのだ…!)

食事が終わる頃には、レグルスの顔から、能面のような無機質な表情は、完全に消え去っていた。代わりに浮かんでいたのは、自分の理解を遥かに超えた、未知の文明を前にした、一人の人間としての、純粋な『畏怖』と、そして抗いがたい『憧憬』だった。

彼が、聖域を去る時。俺は、餞別として、一つの小さな、しかし、何よりも重い『お土産』を手渡した。
それは、彼が目の前で見た、聖域の技術の結晶…美しくパッキングされた、色とりどりの**『瓶詰めのピクルス』**だった。
「レグルス殿。これが、俺たちの富です。金貨のように数えることはできませんが、この中には、夏の太陽と、仲間たちの笑い声が詰まっています。この『価値』が、あなたに分かりますかな?」

レグルスは、その、ずしりと重いガラス瓶を、まるで神託の石板でも受け取るかのように、恭しく受け取った。
彼は、何も言わなかった。ただ、一度だけ、深く、深く頭を下げると、馬車に乗り込み、来た時と同じように、静かに去っていった。
彼が王都へ持ち帰る報告書に、一体どんな『数字』が記されるのか。俺たちには、知る由もない。

リディアは、遠ざかっていく馬車を見送りながら、静かに、しかし、確かな重みを持って呟いた。
「…ユキ殿。あなたは、剣を交えることなく、ただ一皿の食事で、王都の査定官の『魂』を、完全に掌握してしまいましたね」
その言葉に、俺は、最高の笑顔で頷いた。
「ええ。最高の外交は、いつだって、最高の食卓の上で行われるものですから」

俺たちの聖域は、またしても、戦わずして、その豊かさと、不可侵性を見せつけた。
だが、レグルスが持ち帰った、このあまりにも甘美で、そしてあまりにも危険な『報告』が、王都に、そして息を潜めるマルス子爵に、どのような新しい欲望の火を灯すのか。
物語は、聖域の外で、より大きく、そしてより複雑なうねりを生み出しながら、次なる局面へと、静かに、しかし確実に、進んでいくのだった。

***

いつもお読みいただきありがとうございます!
聖域の『豊かさ』は、ついに王国の査定官をも虜にしてしまいました。しかし、この報告は、王都に吉報をもたらすのか、それとも新たな火種となるのか。そして、息を潜めるマルス子爵の次なる一手は?物語は、さらに大きな政治の舞台へと、その歩みを進めます。どうぞ、お楽しみに!
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