おっさん転生、相棒はもふもふ白熊。100均キャンプでスローライフはじめました。

はぶさん

文字の大きさ
171 / 185

【第百七十話】王都の報告書と、川の流れを変える日

しおりを挟む


聖域の穏やかな日常から遠く離れた、灰色の石壁に囲まれた王都。その一室で、財務省の査定官レグルスは、上質な羽根ペンを握りしめたまま、深く、長い溜息をついた。
彼の目の前には、書きかけの報告書と、彼が聖域から持ち帰った、唯一の物証…色とりどりの野菜が詰められた『瓶詰めのピクルス』が、窓から差し込む無機質な光を浴びて、まるでこの部屋にだけ不釣り合いな、異世界の宝石のように輝いている。
(…どう書けばいいのだ。あの森の価値は、金貨では測れん。あの暮らしの豊かさは、数字にならん。だが、報告書は、数字で書かねば、あの石頭どもには通じん…)

彼は、ペンを置き、意を決したように、その瓶の蓋を開けた。ふわりと立ち上る、ハーブと酢の、爽やかで、しかし複雑な香り。その香りを吸い込んだだけで、脳裏に、あの聖域の、あまりにも豊かで、穏やかな光景が鮮烈に蘇る。陽光の下で笑い合う、賢人と、騎士と、聖獣の姿が。
彼は、一本のキュウリを口に運んだ。
シャクリ、という軽快な音。次の瞬間、彼の、計算と数字だけで構築されていた灰色の世界が、鮮やかな味覚の衝撃で塗り替えられる。
(…そうだ。この味だ。金貨では決して買えぬ。武力では決して奪えぬ。ただ、彼の地で、あの者たちと共に生きることでしか、決して手に入らぬ、太陽と、時間と、そして笑い声の味が…!)

彼は、何かを振り切るように、羊皮紙に向き直った。そして、これまでとは全く違う、確信に満ちた、魂を込めた筆致で、報告書の結論を書き記し始めた。

その報告書は、王都の中枢に、二つの、全く異なる波紋を広げた。
アメリア王女の元に届けられたそれは、彼女に深い安堵と、そして聖域への、より一層の敬意を抱かせた。『かの地の真の価値は、金貨にて購入することも、武力にて強奪することも、不可能であると断言する。かの地は、我らが学ぶべき、未来の豊かさの雛形である』。レグルスの魂の叫びともいえるその一文は、彼女の聖域保護の決意を、揺るぎないものにした。

だが、マルス子爵の間者が盗み見た報告書は、その一部分だけが、彼の欲望を最大限に煽る形で、歪めて伝えられた。
『――森の奥には、天候に左右されず、軍用食料の概念を覆し、莫大な富を生む『魔法の保存技術』あり』
「…見つけたぞ」
子爵は、その報告を手に、爬虫類のような冷たい笑みを浮かべた。「賢人を力ずくで攫うのは下策。奴がどれほど賢くとも、その力の源泉たる森そのものを失えば、赤子同然。ならば、彼が自ら、その技術を差し出しに、我が足元へひざまずきに来る状況を作り出すまでよ」
彼の、病的なまでに歪んだ執着は、聖域と温かい繋がりを持つ、あの無垢な薔薇色の町…ロゼッタへと向けられた。

その数週間後。聖域には、一羽の、片方の翼を傷つけながらも必死に飛んできたコマドリが、力尽きるように舞い降りた。『アニマル・エクスプレス』からの、悲痛なSOSだった。
アニカからの手紙は、涙で滲んだのか、震える文字で綴られていた。

『ユキ師匠、助けてください!マルス子爵の手の者が、ロゼッタの町を流れる川の上流に、違法な堰(せき)を築き始めました!このままでは、パンを焼くための水車の動力が止まり、町のレンガ作りに必要な粘土も、水がなければ採れなくなってしまいます…!町の皆の笑顔が、日に日に消えていきます…!このままでは、町が、死んでしまいます…!』

その、あまりにも卑劣なやり方。罪のない町の人々を、その生活そのものを人質に取るという外道な戦術に、リディアの全身から、絶対零度の怒りが立ち上った。
「許せん…!民を盾に取るとは、貴族の風上にも置けぬ外道め!ユキ殿、直ちに兵(?)を挙げ、かの堰を破壊しに参る!あの男の喉元に、我が剣の正義を叩き込んでくれる!」
今にも駆け出しそうな彼女を、俺は静かに、しかし力強く制した。
「落ち着いてください、リディアさん。頭に血が上っては、相手の思う壺です。彼は、俺たちをこの聖域から引きずり出したいんですよ」

俺は、この緊迫した状況を打開するための、思考の時間を稼ぐ。そして、頭脳をフル回転させるためには、最高の栄養が必要だ。
「まずは、腹ごしらえを。最高のデザートが、最高の答えを導き出してくれますよ」
俺が、この張り詰めた空気を和らげるために用意したのは、夏の暑さと、頭脳労働の疲れを、ひんやりと癒やす**『自家製フルーツゼリー寄せ』**だった。
聖域で採れた色とりどりのベリーや、黄金色の桃に似た果物を、俺たちが作った翡翠の器に、まるで花のブーケのように美しく並べていく。
そこに、Eランクの**『アガー』**と、先日作った蜂蜜酒《ミード》をほんの少し加えた、特製のゼリー液を流し込み、氷室でキンキンに冷やし固める。
数時間後、テーブルの上に現れたのは、もはやただのデザートではなかった。初夏の陽光を浴びて、キラキラと輝く、まるで食べられる宝石箱。
ひんやりとしたスプーンを口に運ぶ。ぷるり、とした食感。そして、舌の上で、すぅっと溶けていく、優しい甘さと、果物の瑞々しい生命力。その、あまりにも清らかで、美しい味わいが、怒りと焦りで燃え上がっていたリディアの心を、穏やかな湖のように、静かに、優しく鎮めていく。
その甘い静寂の中、シラタマが、ゼリーの中の赤いベリーが気に入ったのか、器用にそれだけを選んで食べては、俺に「もっとくれ」とねだっている。最高の癒やしだ。

デザートを食べ終え、冷静さを取り戻した一同。俺は、レオが残してくれた、より詳細な地図を、ダイニングテーブルの上に広げた。
「リディアさん。力で堰を破壊すれば、向こうの思う壺です。また新しい堰を作られるだけ。戦うべきは、堰そのものではありません。彼らが堰を作らざるを得なくなった、『理由』そのものを、俺たちの手で、この世界から消し去ってやるんです」
俺は、マルス子爵が堰き止めた川の、さらに上流…聖域のすぐ近くを流れる、誰も知らない小さな支流を、指でなぞった。
「この川の流れを、俺たちの手で変えてしまいましょう。ロゼッタの町に、マルス子爵の手の及ばぬ、新しい『命の水』を届けるんです。彼の築いた、悪意の塊であるあの堰を、ただの無意味な石積みに変えてやるんですよ」

聖域史上、最も壮大で、最も野心的な土木工事…**『治水・利水プロジェクト』**の幕開けだった。
それは、もはやただの防衛戦ではない。自然の地形そのものを、俺たちの手で、希望の形へと作り変える、神の領域への挑戦。
リディアは、その、あまりにも大胆で、しかし、どこまでもユキらしい、優しさに満ちた反撃計画に、息をのんだ。そして、やがて、その口元に、不敵な、そして最高の笑顔を浮かべた。
「…承知した。ユキ殿。川の流れを変えるなど、まさしく神の御業。ならば、我が剣と、この肉体、神の槌として、存分に振らわせていただきましょう!」

俺たちの聖域は、マルス子爵の悪意に対し、力ではなく、より大きな『恵み』で応えることを選んだ。
次なる戦いの舞台は、血生臭い戦場ではない。新しい川が生まれ、たくさんの笑顔が咲き誇る、創造の大地そのものだ。
初夏の風が、これから始まる、途方もない大工事の始まりを告げるかのように、地図の上を、力強く、そして優しく吹き抜けていった。

***

いつもお読みいただきありがとうございます!
ついに始まった、マルス子爵との本格的な知恵比べ。ユキは、川の流れさえも変えてしまうのか?聖域の力が、ついに自然の理をも動かす、壮大なプロジェクトが始まります。この途方もない挑戦に、一体どんな100均グッズが活躍するのか。次回の展開に、どうぞご期待ください!
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

DIYと異世界建築生活〜ギャル娘たちとパパの腰袋チート

みーくん
ファンタジー
気づいたら異世界に飛ばされていた、おっさん大工。 唯一の武器は、腰につけた工具袋—— …って、これ中身無限!?釘も木材もコンクリも出てくるんだけど!? 戸惑いながらも、拾った(?)ギャル魔法少女や謎の娘たちと家づくりを始めたおっさん。 土木工事からリゾート開発、果てはダンジョン探索まで!? 「異世界に家がないなら、建てればいいじゃない」 今日もおっさんはハンマー片手に、愛とユーモアと魔法で暮らしをDIY! 建築×育児×チート×ギャル “腰袋チート”で異世界を住みよく変える、大人の冒険がここに始まる! 腰活(こしかつっ!)よろしくお願いします

異世界に転生したら?(改)

まさ
ファンタジー
事故で死んでしまった主人公のマサムネ(奥田 政宗)は41歳、独身、彼女無し、最近の楽しみと言えば、従兄弟から借りて読んだラノベにハマり、今ではアパートの部屋に数十冊の『転生』系小説、通称『ラノベ』がところ狭しと重なっていた。 そして今日も残業の帰り道、脳内で転生したら、あーしよ、こーしよと現実逃避よろしくで想像しながら歩いていた。 物語はまさに、その時に起きる! 横断歩道を歩き目的他のアパートまで、もうすぐ、、、だったのに居眠り運転のトラックに轢かれ、意識を失った。 そして再び意識を取り戻した時、目の前に女神がいた。 ◇ 5年前の作品の改稿板になります。 少し(?)年数があって文章がおかしい所があるかもですが、素人の作品。 生暖かい目で見て下されば幸いです。

精霊さんと一緒にスローライフ ~異世界でも現代知識とチートな精霊さんがいれば安心です~

ファンタジー
かわいい精霊さんと送る、スローライフ。 異世界に送り込まれたおっさんは、精霊さんと手を取り、スローライフをおくる。 夢は優しい国づくり。 『くに、つくりますか?』 『あめのぬぼこ、ぐるぐる』 『みぎまわりか、ひだりまわりか。それがもんだいなの』 いや、それはもう過ぎてますから。

ようこそ異世界へ!うっかりから始まる異世界転生物語

Eunoi
ファンタジー
本来12人が異世界転生だったはずが、神様のうっかりで異世界転生に巻き込まれた主人公。 チート能力をもらえるかと思いきや、予定外だったため、チート能力なし。 その代わりに公爵家子息として異世界転生するも、まさかの没落→島流し。 さぁ、どん底から這い上がろうか そして、少年は流刑地より、王政が当たり前の国家の中で、民主主義国家を樹立することとなる。 少年は英雄への道を歩き始めるのだった。 ※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。

町工場の専務が異世界に転生しました。辺境伯の嫡男として生きて行きます!

トリガー
ファンタジー
町工場の専務が女神の力で異世界に転生します。剣や魔法を使い成長していく異世界ファンタジー

子育てスキルで異世界生活 ~かわいい子供たち(人外含む)と楽しく暮らしてます~

九頭七尾
ファンタジー
 子供を庇って死んだアラサー女子の私、新川沙織。  女神様が異世界に転生させてくれるというので、ダメもとで願ってみた。 「働かないで毎日毎日ただただ可愛い子供と遊んでのんびり暮らしたい」 「その願い叶えて差し上げましょう!」 「えっ、いいの?」  転生特典として与えられたのは〈子育て〉スキル。それは子供がどんどん集まってきて、どんどん私に懐き、どんどん成長していくというもので――。 「いやいやさすがに育ち過ぎでしょ!?」  思ってたよりちょっと性能がぶっ壊れてるけど、お陰で楽しく暮らしてます。

高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません

下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。 横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。 偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。 すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。 兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。 この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。 しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。

小さいぼくは最強魔術師一族!目指せ!もふもふスローライフ!

ひより のどか
ファンタジー
ねぇたまと、妹と、もふもふな家族と幸せに暮らしていたフィリー。そんな日常が崩れ去った。 一見、まだ小さな子どもたち。実は国が支配したがる程の大きな力を持っていて? 主人公フィリーは、実は違う世界で生きた記憶を持っていて?前世の記憶を活かして魔法の世界で代活躍? 「ねぇたまたちは、ぼくがまもりゅのら!」 『わふっ』 もふもふな家族も一緒にたくましく楽しく生きてくぞ!

処理中です...