おっさん転生、相棒はもふもふ白熊。100均キャンプでスローライフはじめました。

はぶさん

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【第百七十四話】王都の熱狂と、聖域の夏休み

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行商人バロンの荷車が王都の巨大な城門をくぐった時、彼はもはやただの行商人ではなかった。その背には、辺境の森の穏やかな日常と、そこに暮らす仲間たちの未来が懸かっている。彼は、聖域の豊かさを世界に示す、たった一人の『使者』であり、マルス子爵という巨大な悪意に経済という名の戦いを挑む、勇敢なる『戦士』だった。

彼の最初の戦場は、埃っぽい市場ではなかった。長年の行商で培ったコネを最大限に活かし、彼が確保したのは、王都の貴族街の一角にある、小さな、しかし格式高いサロンの一室。彼は、聖域から託された『ガラスの宝石』を闇雲に売りさばくのではなく、王都で最も影響力を持つ貴婦人たち…すなわち、流行と評判という、目に見えない権力を支配する者たちだけを招待し、一夜限りの『お披露目会』を開催したのだ。

その夜、サロンは、むせ返るような香水の香りと、欲望の熱気に包まれていた。
ロウソクの柔らかな光に照らし出されたベルベットの布の上に、聖域のガラス宝石が、まるで夜空からこぼれ落ちた星屑のように、静かな、しかし圧倒的な輝きを放っている。

「皆様。今宵お目にかけますのは、ただの宝飾品ではございません。これは、遥か東の森、白銀の聖獣に見守られし『聖域』にて、賢人の知恵と、大地の精霊の祝福を受けて生まれた、『物語』そのものでございます」

バロンは、もはやただの商人ではなかった。彼は、聴衆の心を鷲掴みにする、一流の語り部だった。彼は、一つ一つのアクセサリーを手に取り、その背景にある物語を、情感豊かに語り始めた。
「こちらの、緋色の糸が封じ込められた一品は、『守護騎士の誓い』。かの地を守る、気高き女騎士の、揺るぎなき忠誠心の現れでございます。そしてこちらの、決して枯れることのない勿忘草が咲く一品は、『精霊の涙』…。これを身に着ける者は、森の祝福を受け、永遠の美しさを約束されると、かの賢人は申しておりました」

その、あまりにも詩的で、ロマンティックな物語。それは、ただのガラスのアクセサリーに、王都のどんな宝石よりも高価で、そして抗いがたい『付加価値』を与えた。
貴婦人たちの瞳は、もはやただの好奇心ではなく、その物語の登場人物になりたいという、熱狂的な『渇望』に染まっていた。

やがて始まった、競売形式の販売会。それは、もはや商談ではなかった。美しき女たちの、誇りと見栄を懸けた、静かで、しかし熾烈な『戦争』だった。
「わたくしが金貨五百枚を!」
「ほほ、将軍の奥様。その程度で聖域の物語が手に入るとお思い?わたくしは、八百枚!」

その熱狂の渦の中心に、マルス子爵の妻、イザベラがいた。彼女は、夫の権威を笠に、この新しい流行の頂点に立とうと、扇の影で高慢な笑みを浮かべていた。だが、彼女が最後に狙いを定めた、ひときわ美しい『精霊の涙』は、アメリア王女の覚えもめでたい老公爵の奥様に、彼女の提示額の倍以上となる金貨二千枚という、常軌を逸した価格で、あっさりと競り落とされてしまった。
「そ、そんな…!あの田舎公爵の嫁ごときが、この私に…!」
公衆の面前で、完璧なまでの敗北を喫したイザベラの顔は、怒りと屈辱に赤く染まっていた。聖域の、たった一つの小さなガラス玉が、マルス子爵の権威に、王都の社交界という最も華やかな舞台で、最初の、そして最も効果的な泥を塗った瞬間だった。

その頃、聖域では。
俺たちは、そんな王都での熱狂など知る由もなく、夏の訪れがもたらした、ささやかで、しかし非常に厄介な『敵』との戦いに、頭を悩ませていた。
「むぅ…!この、耳元で不愉快な羽音を立てる、卑劣な吸血の輩め…!我が安眠を妨げる罪、万死に値するぞ!」
リディアが、頬をぴしゃりと叩きながら、本気で悔しそうな声を上げる。夏の夜の招かれざる客…蚊の襲来だ。
「はは、剣では倒せませんよ、その敵は。こういう時は、煙でいぶすのが一番です。それも、ただの煙じゃない。最高の香りで、俺たちの聖域を守る『結界』を張るんですよ」

俺は、この小さな敵を、聖域ならではの、豊かで、心地よい香りで撃退する。日本の夏の風物詩…**『手作り蚊取り線香』**だ。

ポンッ!ポンッ!
【創造力:118/150 → 112/150】
俺が召喚したのは、Dランクの**『除虫菊の粉』**と、Eランクの**『お香立て』**。コストは合わせて6。
俺は、除虫菊の粉に、森で採れるヨモギの葉を乾燥させてすり潰した粉と、燃料となる木炭の粉を混ぜ、つなぎとして蜂蜜水を加えて練り上げていく。その、どこか懐かしい、草の香りがする粘土を、リディアが、陶芸で培った指先の器用さで、美しい渦巻き状に成形していく。
その横で、シラタマが、ヨモギの独特の香りが気になるのか、くんくんと鼻を鳴らしている。そして、俺が目を離した隙に、その緑色の生地を、味見しようとぺろり!
「こら、シラタマ!それは聖域の安眠を守るための、聖なる結界だぞ!食料ではない!」
リディアに叱られながらも、シラタマは「ぺっ、ぺっ」と、その苦い味に、心底渋い顔をしていた。

完成した蚊取り線香に火をつけ、お香立てに置く。ふわり、と立ち上る、白い煙。それは、ただの殺虫剤の煙ではない。ヨモギと、除虫菊の、どこか懐かしく、そして心を落ち着かせる、清涼感のある香りだった。

その、穏やかな香りに包まれたカフェテラスで、俺は、この日のための、最高の夕食を用意した。
夏の夜の、最高の贅沢…**『炭火焼き鳥パーティー』**だ。
レンガで作った即席の焼き台の上で、最高の木炭が、パチパチと心地よい音を立てて熾火になる。そこに、森の鶏のモモ肉と、シラタマ農園で採れたばかりの長ネギを交互に刺した串を並べていく。
ジュウウウゥゥ…
肉から滴り落ちた脂が炭に落ち、香ばしい煙となって立ち上る。仕上げに、自家製の燻製醤油と蜂蜜で作った、秘伝のタレを刷毛で塗ると、タレが焦げる、甘く、香ばしい香りが、蚊取り線香の穏やかな香りと混じり合い、完璧な『日本の夏』の空間を創り出した。
熱々の焼き鳥を、ふーふーと冷ましながら、一口。
炭火で焼かれた鶏肉は、外はカリッと香ばしく、中は驚くほどジューシー。甘辛いタレと、長ネギの甘みが、口の中で最高のハーモニーを奏でる。
「う…うまい…!ただの鳥肉が、炎と煙の魔法で、これほどの馳走に…!酒が進むな!」
リディアも、シラタマも、その、あまりにも原始的で、しかし完成された味わいに、夢中になって串を頬張っていた。

その、どこまでも平和で、満ち足りた、完璧な夏の夜。
その静寂を破るように、一羽のハヤブサが、矢のように空から舞い降りてきた。王家だけが使うことを許された、最速の『アニマル・エクスプレス』。
その足に結ばれていた羊皮紙を広げた俺の顔から、穏やかな笑みが、すっと消えた。
アメリア王女からの、緊急の知らせだった。

『――ユキ殿。バロン殿の活躍、見事でした。だが、その光は、影をより一層、濃くしたようです。公衆の面前で、その権威に泥を塗られたマルス子爵が、ついに常軌を逸しました。彼は、残った私兵の全てを動員し、聖域ではなく、その友好都市である…ロゼッタの町へ、直接、懲罰的な進軍を開始した、と。王都の騎士団が到着するまで、少なくとも数日はかかります。どうか、どうか、あの町の無垢な民を…!』

俺は、静かに羊皮紙を置いた。
リディアは、俺の表情の変化だけで、全てを察したようだった。彼女は、食べかけの焼き鳥を静かに皿に置くと、音もなく立ち上がり、その手は、自然と、壁に立てかけてあった愛剣の柄へと伸びていた。
俺は、遠いロゼッタの町の、アニカの、そして職人たちの、あの温かい笑顔を思い浮かべた。そして、これまでにないほど、冷たく、そして静かな声で、言った。
「リディアさん。…どうやら、俺たちの『夏休み』は、終わりのようですね」

聖域の穏やかな日常は、今、マルス子爵の、狂気に満ちた一手によって、唐突に、そして暴力的に終わりを告げた。
俺たちの、本当の戦いが、今、始まろうとしていた。

***

いつもお読みいただきありがとうございます!
ついに牙を剥いたマルス子爵。その刃は、聖域ではなく、無防備なロゼッタの町に向けられました。ユキとリディアは、この絶望的な状況に、どう立ち向かうのか?聖域の力が、初めて、誰かを守るための『戦』へと向かいます。次回の展開に、どうぞご期待ください!
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