おっさん転生、相棒はもふもふ白熊。100均キャンプでスローライフはじめました。

はぶさん

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【第百七十八話】聖域の烽煙と、家族のもとへ

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***

ドォォォォン!!!

聖域の方角から立ち上った、一本の、禍々しい漆黒の煙。それは、俺たちのささやかな勝利の宴を、一瞬にして葬送の鐘へと変えた。
俺の手の中で、まだ温かかったはずの焼きおにぎりが、急速にその熱を失っていく。いや、違う。俺の全身の血の気が、心臓が凍りつくような感覚と共に、引いていくのだ。

「…まさか…!」
リディアが、絶望に顔を青ざめさせる。
「ユキ殿…!あれは…聖域の方角だ…!陽動か…!?我らがこの町に釘付けにされている間に、本隊が…!」
マルス子爵の、本当の狙い。
それは、ロゼッタの町を人質に取り、俺たちという最強の戦力を引きずり出すこと。そして、主を失い、がら空きになった聖域そのものを、別動隊によって、根こそぎ焼き払い、奪い取ることだったのだ。

俺の脳裏に、留守を預かる、か弱き者たちの姿が浮かぶ。温室ですやすやと眠る、つちのこ。暖炉のそばで穏やかに草を食む、ヤギのメイ親子。そして、俺たちが、一つ一つ、愛情を込めて築き上げてきた、あの温かい家、工房、畑…。
その全てが、今、絶望の炎に包まれようとしていた。

「…戻るぞ」
俺の声は、自分でも驚くほど、低く、そして冷たく響いた。
「ユキ殿!しかし、この町の守りは…!我らが去れば、奴らは必ずや再び…!」
「バッカスさん!」
俺は、呆然と煙を見上げていたレンガ職人の親方の肩を、強く掴んだ。
「あんたたちの町は、もう俺たちがいなくても戦えるはずだ!俺が教えた知恵と、一杯のとん汁で取り戻したあんたたちの勇気で、この町を守り抜いてくれ!」
その、あまりにも無茶な、しかし絶対的な信頼を込めた言葉。バッカスは、一瞬、狼狽えたが、すぐに、その目に、この町の男としての、力強い決意の光を宿した。
「…おう、任せとけ、賢人様!あんたが帰るべき温かい家は、俺たちがこの命に代えても守り抜いてやる!だから、あんたは、あんたの家族の元へ、急げ!」

俺たちは、もはや振り返らなかった。
アニカの、涙ながらの「どうか、ご無事で…!」という叫び声を背に、俺とリディアは、鋼の軍馬…『キックボード』に飛び乗る。
「シラタマ!」
「キュウウウウウウウウウウウウッ!」
シラタマもまた、家族の危機をその魂で感じ取っていた。その雄叫びは、もはや愛らしい鳴き声ではない。仲間を害する者への、怒りに満ちた、野生の咆哮だった。

聖域への帰路は、来た時とは全く違う、絶望的な時間との競争だった。
俺は、創造力を使い果たした代償による、脳を内側から焼き切るかのような激しい頭痛に耐えながら、ただひたすらに、地面を蹴り続けた。
リディアは、その騎士の心肺能力の限界を超えて、風そのものと化して、森の木々の間を駆け抜けていく。その瞳には、焦りと、そして自分の留守中に聖域を危険に晒してしまったことへの、騎士としての痛恨の念が燃えていた。
そして、シラタマ。彼の走りは、もはやただ速いだけではなかった。その四肢は、まるで白い稲妻のように明滅し、地面との摩擦で、その足元の雪解け水が、じゅっ、と蒸発するほどの、神速の領域へと達していた。聖獣としての彼が持つ、本来の力が、家族を想う一心で、今、完全に覚醒したのだ。

その頃、聖域では、地獄の釜の蓋が開かれようとしていた。
マルス子爵の私兵団、その中でも最も冷酷非道で知られる、隊長ザガンに率いられた精鋭部隊が、ついに聖域の中心部へと到達していた。
「…ここか。賢人とやらが作り上げた、おとぎ話の楽園は」
ザガンは、あまりにも平和で、豊かで、そして無防備な光景を前に、蛇のような冷たい笑みを浮かべた。
「だが、どんな美しいおとぎ話も、炎の前では、ただの灰燼に帰すだけよ」
彼は、部下たちに命じた。
「――放て。この森の全てを、絶望の赤で染め上げてしまえ」

松明が、母屋の、工房の、そして燻製小屋の、乾いた木の壁へと、次々と投げつけられる。炎は、まるで飢えた獣のように、瞬く間に燃え広がっていった。
だが、その時だった。
聖域の、小さな神様が、その神聖なる怒りを、静かに解き放った。
ザガンたちが、次の松明を投げつけようとした、その足元の大地が、まるで生き物のように、脈動を始めたのだ。
「なっ…!?地面が…!」
地面から、茨の蔓が、無数に、鋼鉄の蛇のように伸びてきて、兵士たちの足に絡みつく!森の木々の根が、大地を割り、彼らの進軍を阻む、天然の城壁と化す!
「怯むな!ただの妖術だ!構わず火を放て!」
だが、ついに、一つの松明が、母屋の屋根へと届いてしまった。乾いた屋根板が、パチパチと音を立てて、黒い煙を上げ始める。
工房では、異変を察知したヤギのメイ親子が、怯えて悲痛な鳴き声を上げていた。
(…もう、ダメか…!)
温室の中からその光景を見ていたつちのこが、その小さな瞳に、絶望の涙を浮かべた、まさにその瞬間。

聖域の、もう一つの心臓が、その鼓動を開始した。
丘の上の貯水-塔から、ゴオオオオオ…という、巨大な龍が目覚めるかのような、重々しい水音が響き渡る。
次の瞬間、聖域中に張り巡らせられた配管を駆け巡った命の水が、母屋の、工房の、そして燻製小屋の屋根から、一斉に、美しい霧状のシャワーとなって、降り注いだ!

ジュワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア-ッ!!

燃え盛っていたはずの炎が、まるで天から降り注いだ恵みの雨に祝福されるかのように、一瞬にして、その勢いを失い、白い水蒸気となって天へと昇っていく。
「な、なんだと…!?空から…雨…!?馬鹿な、この快晴で、なぜ…!」
ザガンは、その、あまりにも不可解で、そしてあまりにも神々しい光景を前に、言葉を失う。
彼の、完璧だったはずの火攻めの策は、今、聖域が自らの力で降らせた、奇跡の雨の前に、完全に、そして無残に打ち砕かれたのだ。

だが、彼は、百戦錬磨の傭兵だった。混乱から即座に立ち直ると、その悪意に満ちた瞳で、この奇跡の源泉を探し始めた。そして、見つけてしまった。
温室の入り口で、その奇跡の光景に安堵し、そして力を使い果たしてぐったりとしている、小さな、小さな土の精霊の姿を。
「…見つけたぞ。このおとぎ話の、か弱き心臓部をな」
ザガンは、その口元に、下劣な笑みを浮かべると、剣を抜き、無防備なつちのこへと、一直線に駆け出した!
その、あまりにも無慈悲な刃が、小さな神の命を刈り取ろうとした、まさにその刹那。

グルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ-ッ!!

森の静寂を切り裂き、白い稲妻が、ザガンの巨体に、横から猛然と突き刺さった!
「ぐはっ!?」
シラタマだ。彼は、神速の走りで、主人と、そして仲間の元へと、誰よりも早く駆けつけていたのだ。
だが、ザガンの体は、シラタマの渾身のタックルを受けても、完全には倒れない。彼は、体勢を立て直すと、邪魔な獣を蹴り飛ばし、再び、つちのこへと剣を振り上げた!

その、絶体絶命の瞬間。
ザガンの目の前に、一つの影が、音もなく舞い降りた。
夕日を背に、その金色の髪をなびかせ、その青い瞳に、絶対零度の怒りを宿した、一人の守護騎士。
「――私の、家族に。その汚れた手を、二度と触れさせるな」
リディアの剣が、抜き放たれる。

そして、その背後から、もう一つの影が、静かに、しかし、ザガンの魂を根こそぎ凍りつかせるほどの、底なしの怒りをまとって、姿を現した。
それは、武器も、鎧も持たない、ただの、穏やかだったはずの男。
俺は、つちのこを庇うように、その前に立つと、これまでにないほど、冷たく、そして静かな声で、言った。

「…あなたでしたか。俺の家に、土足で上がり込んできた、招かれざる客は」

聖域の、本当の主たちが、帰ってきた。
絶望の炎は、恵みの虹に変わった。だが、その虹の下で、今、聖域の仲間たちを傷つけた罪を償わせるための、静かで、しかし、何よりも熾烈な、本当の『戦い』が、始まろうとしていた。

***

いつもお読みいただきありがとうございます!
ついに聖域で激突する、ユキたちとマルス子爵の私兵団!仲間を傷つけられたユキの、静かなる怒りが爆発する!そして、守護騎士リディアの剣は、悪を断罪することができるのか!?物語は、息もつかせぬクライマックスへと突入します!どうぞ、お楽しみに!
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