気まぐれ食堂ねこまんま〜動物好きおっさんの異世界飯テロ日誌〜

はぶさん

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第四十四話:全知の聖獣と、始まりの塩むすび (3/3)

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静寂が、店を支配していた。
いや、静寂ではない。ザックの、荒いが、しかし、確かな誇りに満ちた呼吸の音。そして、それを見守る、俺たち全員の、温かい沈黙だけが、そこにあった。

白澤は、ゆっくりと、ザックの前に、その気高い頭(こうべ)を垂れた。
聖獣が示す、最上級の敬意。
ザックは、その、あまりにも荘厳な仕草に、戸惑ったように、俺の方を振り返った。俺は、ただ、静かに頷いてみせる。「お前が、受け取るべきものだ」と、目だけで伝えた。

やがて、顔を上げた白澤の、澄み切った九つの瞳が、ザックの魂の、一番深い場所を、優しく見つめた。

《…感謝します、若き料理人よ》
脳内に響いてきたのは、もはやか細い青年の声ではない。森羅万象の理をその身に宿す、聖獣としての、荘厳で、しかし、どこまでも温かい、感謝の声だった。
《…わたくしは、知っていました。この世界が、どれほど多くの悲しみと、矛盾に満ちているかを。一つの命が生まれれば、どこかで一つの命が消える。その、あまりにも巨大な因果の奔流の中で、わたくしは、『完璧な一手』を探し続け、そして、**溺れてしまった**のです》

白澤は、一度、言葉を切ると、ザックが握った、あの、不格好な塩むすびの残滓を、慈しむように見つめた。
《…だが、あなた様は、違った。あなたは、未来を憂いも、過去を悔やみもしない。ただ、目の前で腹を空かせている、ちっぽけな命を救うためだけに、その温かい手を、差し伸べてくれた。その、あまりにも単純で、あまりにも尊い**『現在』の輝き**が、わたくしを、**無限の牢獄から、救い出してくれた**のです》

その、あまりにも過分な賞賛に、ザックは、照れくさそうに、ガシガシと頭を掻いた。
「…別に。俺は、あんたが、ただ、腹が減って、死にそうな顔してたから、飯を食わせただけだ。親方に、そう、教わったからな」
その、ぶっきらぼうな、しかし、どこまでも誠実な答えに、白澤の九つの瞳が、楽しそうに、優しく細められた。

《…ふふ。あなた様は、ご存じないでしょうが、その、あまりにも単純な真理こそが、**この世界を、次なるステージへと導く、唯一の鍵**なのです》

白澤は、そう言うと、俺たち全員に向き直った。
《…礼を言います、気まぐれ食堂の主殿、そして、若き賢者たちよ。このご恩は、わたくしの九つの瞳が、再び曇ることがない限り、決して忘れはしませぬ。せめてもの礼に、わたくしが『観測』した、一つの厄介な未来を、お伝えしておきましょう》

その言葉に、厨房の空気が、再び、張り詰める。

《…この森の聖域を覆う結界が、弱まっている。その綻びから、外の世界の**『悪意』**が、流れ込み始めている。先日の、海の汚染も、その兆候の一つにすぎません。やがて、もっと大きな災厄が、この森を襲うやもしれません》

白澤は、一度、俺の目を、まっすぐに見た。
《…ですが、不思議なことに、その未来は、あなた方がこの場所にいることで、常に、揺らぎ続けている。あなた方の、その、理を超えた**『料理』という行いが、この世界の因果律に、観測不能な『特異点』を生み出している**のです》

その、あまりにも壮大な言葉に、見習いたちが、ただ、息を呑む。
俺は、静かに、それを受け止めた。

《…わたくしにできることは、多くはありません。ですが、この九つの瞳で、森の異変を、誰よりも早く察知し、あなた方にお伝えすることはできるでしょう。これより、わたくしは、この森の、そして、あなた方の**『目』となりましょう**。それが、わたくしにできる、唯一の恩返しです》

その、あまりにも心強い申し出に、俺は、深く頷いた。
「ああ。頼んだぜ、大将」

白澤は、満足そうに頷くと、静かに一礼し、音もなく、春の光の中へと、その姿を消していった。
後に残されたのは、どこまでも清らかな空気と、そして、自分たちの仕事が、とんでもなく大きな意味を持ってしまったことに、まだ、実感が追いついていない、三人の、呆然とした顔だった。

「…さて、と」
俺は、空になった食器を手に取り、そんな彼らの頭を、一人ずつ、軽く小突いてやった。
「いつまで、ぼーっとしてやがる。昼飯の仕込みが、まだ残ってるだろうが」

俺の、いつもと変わらない一言。
それが、彼らを、壮大な神話の世界から、温かい日常の厨房へと、引き戻した。
ザック、リル、ゴルは、顔を見合わせると、少し照れくさそうに、しかし、満面の笑みで、力強く頷いた。

**「「「はい、親方!!!」」」**

その日、気まぐれ食堂ねこまんまは、最強の**「目」**を手に入れた。
そして、三人の厨房見習いは、自分たちが、ただの料理人ではなく、**この森の未来を左右する、物語の、本当の主役の一人**なのだということを、その魂に、深く、深く、刻んだのだった。

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