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第二十一話:冬の収穫と、雪解けの味
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化学肥料という名の禁断の果実を得て、『陽だまりの家』の野菜たちは、もはや成長というよりも「進化」と呼ぶべき速度で、その生命力を爆発させていた。
あれから二週間。リーフ村は、すっかり深い雪に覆われた。屋根には分厚い雪が積もり、道は凍てつき、人々は暖炉の前から動くことも億劫になる、本格的な冬の到来だ。木々は葉を落とし、畑は白い沈黙に閉ざされている。生命の営みが、全て停止したかのような、静かで厳しい季節。
だが、俺の家の裏手にある、あの琥珀色に輝く家の中だけは、常春の楽園だった。
「……信じられん。本当に、実がなっている……」
その日、俺と一緒にハウスを訪れた父アルフレッドは、目の前の光景に、もはや驚きを通り越して、神の御業でも見るかのような、畏敬の念に満ちた声で呟いた。
無理もない。彼の目の前には、外の雪景色が嘘であるかのように、青々とした葉を茂らせた作物が、たわわに実をつけているのだから。
ぷっくりと赤く色づいたトマト。艶やかな紫色をしたナス。そして、地面には、ずんぐりとした大根が、その白い頭を誇らしげに覗かせている。霜が降りる季節に種を蒔き、雪が降る頃に収穫を迎える。この世界の農民が聞けば、誰もが正気を疑うであろう奇跡が、今、この『陽だまりの家』で、現実のものとなっていた。
「すごい……!ルークスお兄ちゃん、トマトさん、真っ赤だよ!」
俺の後ろからひょっこりと顔を出したリサが、目をキラキラさせて歓声を上げる。彼女は、ハウス建設の一番弟子として、今やこの楽園の共同管理人のようなポジションに収まっていた。
「ああ。もう食べ頃だ。今日は、この村の歴史が始まって以来、初めての『冬の収穫祭』にしよう」
俺は、誇らしげにそう宣言すると、籠を手に取り、一番大きく、そして見事に赤く熟したトマトを、そっと枝からもぎ取った。ずしり、と心地よい重みが、手のひらに伝わってくる。
それは、俺がこの世界で、自分の知識と努力で育て上げた、最初の果実だった。
◇
その日の昼食は、グルト家にとって、忘れられない特別な食卓となった。
テーブルの中央には、収穫したばかりの野菜たちが、宝石のように並べられている。朝露(ハウスの中なので結露だが)に濡れたままの、瑞々しいトマト。包丁を入れると、サクッと心地よい音がする、みずみずしい大根。そして、オリーブオイルの代用品として、森で採れるクルミから搾った油でこんがりと焼かれた、艶やかなナス。
調味料は、いつもの『精製された塩』と、自生のハーブだけ。だが、素材そのものが持つ圧倒的な生命力が、どんな高級な調味料にも勝る、最高の馳走となっていた。
「……いただきます」
父さんの、いつもより少しだけ厳かな声で、食事は始まった。
まず、俺は真っ赤なトマトを丸かじりした。口の中に、甘酸っぱい果汁が、じゅわっと溢れ出す。太陽の恵みをたっぷりと浴びた、濃厚な夏の味。外は雪景色だというのに、口の中だけは真夏の畑にいるかのようだ。
「……あまい……」
母さんが、薄切りにしたトマトを一枚口に運び、驚きに目を見開いている。
「果物みたいに甘いわ……!これが、本当に野菜なの……?」
「とまと、おいちい!」
マキナは、小さな口を果汁で真っ赤にしながら、夢中でトマトにかじりついていた。
そして、父さんは。
寡黙な父さんは、何も言わずに、ただ黙々と、一切れ、また一切れと、野菜を口に運んでいた。だが、その咀嚼する速度はいつもよりずっとゆっくりで、まるで一口一口、その味を全身で確かめるかのように、丁寧に、大切に味わっているのが分かった。
やがて、彼は全てを食べ終えると、ふう、と一つ、満足のため息をついた。そして、俺の目を真っ直ぐに見て、ただ一言、こう言った。
「……美味かった」
その、飾り気のない、しかし万感の思いが込められた一言は、どんな賛辞よりも深く、俺の胸に染み渡った。
前世で、俺はいつも一人だった。冷たいコンビニの弁当を、無機質なデスクで胃に流し込むだけの日々。そんな俺が、今、どうだ。
自分で育てた、採れたての野菜を。自分で料理して。大切な家族と、笑いながら囲んでいる。
(ああ……これだ)
これこそが、俺が心の底から渇望していた、「スローライフ」の本当の姿なんだ。ポイントでも、スキルでもない。この温かくて、かけがえのない笑顔こそが、俺が本当に手に入れたかった、最高の報酬だった。
込み上げてくる熱いものをこらえるように、俺は、少しだけ塩辛くなった大根のスープを、ゆっくりと、大切に飲み干したのだった。
◇
その日の午後、俺は収穫した野菜の一部を籠に詰め、村人たちへのおすそ分けに回ることにした。井戸やハウスの建設を手伝ってくれた、ささやかなお礼だ。
家を出ようとすると、ちょうど家の前で友達と遊んでいたリサが、ぱっとこちらに駆け寄ってきた。
「ルークスお兄ちゃん、お出かけ?」
「ああ。みんなに、この野菜を届けてこようと思ってね」
俺が籠の中身を見せると、リサは「わあ!」と目を輝かせた。彼女もまた、この奇跡の野菜が生まれるのを、誰よりも近くで見てきた功労者の一人だ。
俺は、籠の中から一番つやつやと輝いているトマトを一つ取り出すと、彼女の小さな手のひらに、そっと乗せてやった。
「これは、一番弟子への特別報酬だ。みんなに配る前に、まず味見してもらわないとな」
「え……!い、いの!?私が一番に!?」
リサは、宝物を受け取ったかのように、真っ赤なトマトを両手で大事そうに包み込んだ。そして、俺の顔とトマトを交互に見比べると、満面の笑みで大きく頷いた。
「うん!ありがとう、お師匠様!」
元気いっぱいの返事を聞いて、俺も思わず笑みがこぼれた。この純粋な喜びこそ、何よりの報酬だ。
「じゃあ、行ってくるよ」
「いってらっしゃい!」
弾むような声に見送られ、俺は最初のおすそ分け先である、マーサさんの家へと向かった。
「まあ!これは、あのハウスで採れたという……!」
俺が籠の中身を見せると、マーサさんは腰を抜かさんばかりに驚いていた。
「冬に、こんなに瑞々しい野菜が食べられるなんて……。夢のようですだよ、ルークス様」
涙ぐみながら感謝するマーサさんを皮切りに、俺が訪れた家々は、どこも熱狂的な歓迎で俺を迎えてくれた。人々は、冬の野菜をまるで奇跡の供物のように受け取り、俺に何度も、何度も頭を下げた。その度に、俺の脳内にはボーナスポイント獲得の通知が鳴り響いたが、もはやそんなことはどうでもよかった。彼らの純粋な笑顔が見られるだけで、俺の心は十分に満たされていた。
村中がお祭り騒ぎのような活気に包まれる中、俺は、最後の一軒へと向かっていた。
ゲルトの家だ。
あの日、彼が置いていったウサギへの、返礼のつもりだった。だが、家の前に立つと、さすがに少しだけ、足がすくむ。
俺が、意を決して扉を叩こうとした、その時だった。
「……何か用かよ」
背後から、ぶっきらぼうな声がした。振り返ると、そこには薪割りを終えて戻ってきたらしいゲルトが、訝しげな顔で立っていた。
「……これ、おすそ分けだ」
俺は、少しだけ気まずい沈黙の後、野菜の入った小さな袋を彼に差し出した。
ゲルトは、俺の手の中の袋と、俺の顔を、交互に見た。その瞳には、まだ戸惑いと警戒の色が浮かんでいる。
「……いらねえよ。施しは受けねえ」
彼は、そう言ってぷいと顔をそむけた。だが、その視線は、袋から覗く真っ赤なトマトに、一瞬だけ、釘付けになっていた。
「施しじゃない。これは、この前のウサギのお礼だ。すごく、美味しかったから」
俺の言葉に、ゲルトの肩が、びくりと震えた。彼は、何も言えずに、ただ俯いている。
気まずい沈黙が、雪のように冷たく、二人の間に降り積もる。
「……にいちゃん!」
その沈黙を破ったのは、ててて、と家の裏手から駆け寄ってきた、小さな救世主だった。マキナだ。彼女は、俺を見つけると、満面の笑みで抱きついてきた。
「マキナ、どうしたんだ?」
「あのね、フェンが、雪だるまさん作ったの!」
彼女が指さす先を見ると、そこにはフェンが鼻先で雪を転がして作ったらしい、いびつな形の雪玉がちょこんと置かれていた。
マキナは、ゲルトの存在に気づくと、不思議そうに首を傾げた。そして、俺が持っている野菜の袋に気づくと、無邪気にこう言った。
「あ!とまと!おにいちゃん、このおにいちゃんにも、あげるの?」
「……ああ、そうだよ」
「そっか!このとまと、すっごくあまくて、おいしいんだよ!おにいちゃんも、たべてみてね!」
マキナの、一点の曇りもない純粋な笑顔と、悪意のない言葉。それは、どんな説得よりも強く、ゲルトの固く凍てついた心を、ほんの少しだけ、溶かしたようだった。
ゲルトは、しばらくの間、マキナの屈託のない笑顔と、俺が差し出す袋を、呆然と見比べていた。やがて、彼は何かを諦めたように、ふう、と一つ、小さなため息をついた。
そして、俺から視線を逸らしたまま、小さな、蚊の鳴くような声で、ぽつりと呟いた。
「……どうも」
そう言って、彼は俺の手から、ひったくるように野菜の袋を奪うと、踵を返し、家の中へと駆け込んでしまった。
その背中は、まだ小さく、そして不器用だった。
だが、俺には分かった。彼が受け取ったのは、ただの野菜ではない。彼が、初めて他人からの「善意」を、素直に受け取った、記念すべき瞬間だったのだ。
俺は、その不器用な背中が見えなくなるまで、黙ってそれを見送った。
リーフ村の長い冬に、また一つ、温かい光が灯った。それは、まだとても小さく、か細い光だったが、やがて、凍てついた少年の心を完全に溶かすほどの、大きな希望の光になるのかもしれない。俺は、そんな予感を、胸に抱いていた。
【読者へのメッセージ】
第二十一話、お読みいただきありがとうございました!
ついに実現した、ルークスの夢「採れたて野菜の温かい食卓」。そして、ゲルトとの間に生まれた、雪解けの小さな兆し。この二つの「温かい」シーンに、ほっこりしていただけましたら幸いです。
「お父さんの一言に泣いた!」「一番弟子リサ、可愛い!」「ゲルト、頑張れ!」など、皆さんの感想が、次の物語を描くための何よりのエネルギーになります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
村に、そしてゲルトの心に、小さな変化が訪れました。この奇跡の野菜は、やて村の外の世界へと繋がっていきます。次回、新たな出会いの予感…?どうぞお楽しみに!
あれから二週間。リーフ村は、すっかり深い雪に覆われた。屋根には分厚い雪が積もり、道は凍てつき、人々は暖炉の前から動くことも億劫になる、本格的な冬の到来だ。木々は葉を落とし、畑は白い沈黙に閉ざされている。生命の営みが、全て停止したかのような、静かで厳しい季節。
だが、俺の家の裏手にある、あの琥珀色に輝く家の中だけは、常春の楽園だった。
「……信じられん。本当に、実がなっている……」
その日、俺と一緒にハウスを訪れた父アルフレッドは、目の前の光景に、もはや驚きを通り越して、神の御業でも見るかのような、畏敬の念に満ちた声で呟いた。
無理もない。彼の目の前には、外の雪景色が嘘であるかのように、青々とした葉を茂らせた作物が、たわわに実をつけているのだから。
ぷっくりと赤く色づいたトマト。艶やかな紫色をしたナス。そして、地面には、ずんぐりとした大根が、その白い頭を誇らしげに覗かせている。霜が降りる季節に種を蒔き、雪が降る頃に収穫を迎える。この世界の農民が聞けば、誰もが正気を疑うであろう奇跡が、今、この『陽だまりの家』で、現実のものとなっていた。
「すごい……!ルークスお兄ちゃん、トマトさん、真っ赤だよ!」
俺の後ろからひょっこりと顔を出したリサが、目をキラキラさせて歓声を上げる。彼女は、ハウス建設の一番弟子として、今やこの楽園の共同管理人のようなポジションに収まっていた。
「ああ。もう食べ頃だ。今日は、この村の歴史が始まって以来、初めての『冬の収穫祭』にしよう」
俺は、誇らしげにそう宣言すると、籠を手に取り、一番大きく、そして見事に赤く熟したトマトを、そっと枝からもぎ取った。ずしり、と心地よい重みが、手のひらに伝わってくる。
それは、俺がこの世界で、自分の知識と努力で育て上げた、最初の果実だった。
◇
その日の昼食は、グルト家にとって、忘れられない特別な食卓となった。
テーブルの中央には、収穫したばかりの野菜たちが、宝石のように並べられている。朝露(ハウスの中なので結露だが)に濡れたままの、瑞々しいトマト。包丁を入れると、サクッと心地よい音がする、みずみずしい大根。そして、オリーブオイルの代用品として、森で採れるクルミから搾った油でこんがりと焼かれた、艶やかなナス。
調味料は、いつもの『精製された塩』と、自生のハーブだけ。だが、素材そのものが持つ圧倒的な生命力が、どんな高級な調味料にも勝る、最高の馳走となっていた。
「……いただきます」
父さんの、いつもより少しだけ厳かな声で、食事は始まった。
まず、俺は真っ赤なトマトを丸かじりした。口の中に、甘酸っぱい果汁が、じゅわっと溢れ出す。太陽の恵みをたっぷりと浴びた、濃厚な夏の味。外は雪景色だというのに、口の中だけは真夏の畑にいるかのようだ。
「……あまい……」
母さんが、薄切りにしたトマトを一枚口に運び、驚きに目を見開いている。
「果物みたいに甘いわ……!これが、本当に野菜なの……?」
「とまと、おいちい!」
マキナは、小さな口を果汁で真っ赤にしながら、夢中でトマトにかじりついていた。
そして、父さんは。
寡黙な父さんは、何も言わずに、ただ黙々と、一切れ、また一切れと、野菜を口に運んでいた。だが、その咀嚼する速度はいつもよりずっとゆっくりで、まるで一口一口、その味を全身で確かめるかのように、丁寧に、大切に味わっているのが分かった。
やがて、彼は全てを食べ終えると、ふう、と一つ、満足のため息をついた。そして、俺の目を真っ直ぐに見て、ただ一言、こう言った。
「……美味かった」
その、飾り気のない、しかし万感の思いが込められた一言は、どんな賛辞よりも深く、俺の胸に染み渡った。
前世で、俺はいつも一人だった。冷たいコンビニの弁当を、無機質なデスクで胃に流し込むだけの日々。そんな俺が、今、どうだ。
自分で育てた、採れたての野菜を。自分で料理して。大切な家族と、笑いながら囲んでいる。
(ああ……これだ)
これこそが、俺が心の底から渇望していた、「スローライフ」の本当の姿なんだ。ポイントでも、スキルでもない。この温かくて、かけがえのない笑顔こそが、俺が本当に手に入れたかった、最高の報酬だった。
込み上げてくる熱いものをこらえるように、俺は、少しだけ塩辛くなった大根のスープを、ゆっくりと、大切に飲み干したのだった。
◇
その日の午後、俺は収穫した野菜の一部を籠に詰め、村人たちへのおすそ分けに回ることにした。井戸やハウスの建設を手伝ってくれた、ささやかなお礼だ。
家を出ようとすると、ちょうど家の前で友達と遊んでいたリサが、ぱっとこちらに駆け寄ってきた。
「ルークスお兄ちゃん、お出かけ?」
「ああ。みんなに、この野菜を届けてこようと思ってね」
俺が籠の中身を見せると、リサは「わあ!」と目を輝かせた。彼女もまた、この奇跡の野菜が生まれるのを、誰よりも近くで見てきた功労者の一人だ。
俺は、籠の中から一番つやつやと輝いているトマトを一つ取り出すと、彼女の小さな手のひらに、そっと乗せてやった。
「これは、一番弟子への特別報酬だ。みんなに配る前に、まず味見してもらわないとな」
「え……!い、いの!?私が一番に!?」
リサは、宝物を受け取ったかのように、真っ赤なトマトを両手で大事そうに包み込んだ。そして、俺の顔とトマトを交互に見比べると、満面の笑みで大きく頷いた。
「うん!ありがとう、お師匠様!」
元気いっぱいの返事を聞いて、俺も思わず笑みがこぼれた。この純粋な喜びこそ、何よりの報酬だ。
「じゃあ、行ってくるよ」
「いってらっしゃい!」
弾むような声に見送られ、俺は最初のおすそ分け先である、マーサさんの家へと向かった。
「まあ!これは、あのハウスで採れたという……!」
俺が籠の中身を見せると、マーサさんは腰を抜かさんばかりに驚いていた。
「冬に、こんなに瑞々しい野菜が食べられるなんて……。夢のようですだよ、ルークス様」
涙ぐみながら感謝するマーサさんを皮切りに、俺が訪れた家々は、どこも熱狂的な歓迎で俺を迎えてくれた。人々は、冬の野菜をまるで奇跡の供物のように受け取り、俺に何度も、何度も頭を下げた。その度に、俺の脳内にはボーナスポイント獲得の通知が鳴り響いたが、もはやそんなことはどうでもよかった。彼らの純粋な笑顔が見られるだけで、俺の心は十分に満たされていた。
村中がお祭り騒ぎのような活気に包まれる中、俺は、最後の一軒へと向かっていた。
ゲルトの家だ。
あの日、彼が置いていったウサギへの、返礼のつもりだった。だが、家の前に立つと、さすがに少しだけ、足がすくむ。
俺が、意を決して扉を叩こうとした、その時だった。
「……何か用かよ」
背後から、ぶっきらぼうな声がした。振り返ると、そこには薪割りを終えて戻ってきたらしいゲルトが、訝しげな顔で立っていた。
「……これ、おすそ分けだ」
俺は、少しだけ気まずい沈黙の後、野菜の入った小さな袋を彼に差し出した。
ゲルトは、俺の手の中の袋と、俺の顔を、交互に見た。その瞳には、まだ戸惑いと警戒の色が浮かんでいる。
「……いらねえよ。施しは受けねえ」
彼は、そう言ってぷいと顔をそむけた。だが、その視線は、袋から覗く真っ赤なトマトに、一瞬だけ、釘付けになっていた。
「施しじゃない。これは、この前のウサギのお礼だ。すごく、美味しかったから」
俺の言葉に、ゲルトの肩が、びくりと震えた。彼は、何も言えずに、ただ俯いている。
気まずい沈黙が、雪のように冷たく、二人の間に降り積もる。
「……にいちゃん!」
その沈黙を破ったのは、ててて、と家の裏手から駆け寄ってきた、小さな救世主だった。マキナだ。彼女は、俺を見つけると、満面の笑みで抱きついてきた。
「マキナ、どうしたんだ?」
「あのね、フェンが、雪だるまさん作ったの!」
彼女が指さす先を見ると、そこにはフェンが鼻先で雪を転がして作ったらしい、いびつな形の雪玉がちょこんと置かれていた。
マキナは、ゲルトの存在に気づくと、不思議そうに首を傾げた。そして、俺が持っている野菜の袋に気づくと、無邪気にこう言った。
「あ!とまと!おにいちゃん、このおにいちゃんにも、あげるの?」
「……ああ、そうだよ」
「そっか!このとまと、すっごくあまくて、おいしいんだよ!おにいちゃんも、たべてみてね!」
マキナの、一点の曇りもない純粋な笑顔と、悪意のない言葉。それは、どんな説得よりも強く、ゲルトの固く凍てついた心を、ほんの少しだけ、溶かしたようだった。
ゲルトは、しばらくの間、マキナの屈託のない笑顔と、俺が差し出す袋を、呆然と見比べていた。やがて、彼は何かを諦めたように、ふう、と一つ、小さなため息をついた。
そして、俺から視線を逸らしたまま、小さな、蚊の鳴くような声で、ぽつりと呟いた。
「……どうも」
そう言って、彼は俺の手から、ひったくるように野菜の袋を奪うと、踵を返し、家の中へと駆け込んでしまった。
その背中は、まだ小さく、そして不器用だった。
だが、俺には分かった。彼が受け取ったのは、ただの野菜ではない。彼が、初めて他人からの「善意」を、素直に受け取った、記念すべき瞬間だったのだ。
俺は、その不器用な背中が見えなくなるまで、黙ってそれを見送った。
リーフ村の長い冬に、また一つ、温かい光が灯った。それは、まだとても小さく、か細い光だったが、やがて、凍てついた少年の心を完全に溶かすほどの、大きな希望の光になるのかもしれない。俺は、そんな予感を、胸に抱いていた。
【読者へのメッセージ】
第二十一話、お読みいただきありがとうございました!
ついに実現した、ルークスの夢「採れたて野菜の温かい食卓」。そして、ゲルトとの間に生まれた、雪解けの小さな兆し。この二つの「温かい」シーンに、ほっこりしていただけましたら幸いです。
「お父さんの一言に泣いた!」「一番弟子リサ、可愛い!」「ゲルト、頑張れ!」など、皆さんの感想が、次の物語を描くための何よりのエネルギーになります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
村に、そしてゲルトの心に、小さな変化が訪れました。この奇跡の野菜は、やて村の外の世界へと繋がっていきます。次回、新たな出会いの予感…?どうぞお楽しみに!
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