130 / 166
第百二十七話:深海の女王と、雪中のルビー
しおりを挟む
巨大な門をくぐり、俺とアクアは『泡沫(うたかた)のティル・ナ・ノーグ』の市街地へと足を踏み入れた。
そこは、俺の貧困な想像力を遥かに超える、幻想と超古代科学が融合した世界だった。
頭上遥か高く、虹色に輝く半透明のドームが空を覆い、外の深海の冷たい闇を完全に遮断している。
ドームの内側は、天井に設置された人工太陽のような巨大な発光結晶(クリスタル)によって、柔らかな昼の光で満たされていた。
街並みは、巨大な珊瑚や巻貝をそのまま住居として加工したような有機的な曲線を描き、それらが透明なチューブのような通路で立体的に繋がれている。
空気がある。
ドーム内は海水ではなく、呼吸可能な空気に満たされていた。
だが、住民である人魚たちは、空中に魔法で固定された「水の道(水流ロード)」を優雅に泳いだり、ヒレを魔法で足のように変化させて地上を歩いたりしている。
「……すごいな。まるで竜宮城と未来都市のハーフだ」
俺は『水中呼吸』などのスキルを一時解除し、肺いっぱいにこの都市の空気を吸い込んだ。
少し湿り気があるが、清浄で、どこか甘い花の香りと潮の香りが混ざった不思議な空気だ。
『ルークス様、こちらです。王宮へ急ぎましょう』
アクアが水を操り、空中に架かった水流ロードを滑るように先導する。
俺も『身体能力強化』でその後を追う。
街を行く人魚たちが、驚愕の表情で俺を見上げていた。
「見ろ、足があるぞ……人間か?」
「まさか、人間がどうやってここへ?」
「門の結界を直したって噂だぞ……」
「でも、人間は海を汚す野蛮な種族だと……」
好奇心と、それ以上の警戒心。
そして何より、彼らの表情には濃い疲労の色が滲んでいた。
街のあちこちに、あの「黒い泥」のシミが見える。
美しい珊瑚の壁が腐食して崩れ落ちていたり、発光クリスタルが点滅を繰り返していたりする。
この楽園もまた、死の病に侵されているのだ。
---
都市の中央、最も高い場所に聳(そび)える、真珠色に輝く巨大な巻貝の城――王宮『パール・パレス』。
その正門の前で、俺たちの行く手は阻まれた。
「止まれ! 何奴だ!」
行く手を塞いだのは、身長三メートルはあろうかという巨漢の人魚だった。
サメのような鋭い背びれと、鋼鉄のような筋肉。全身には歴戦の傷跡が刻まれ、手には巨大な三叉槍(トライデント)を構えている。
設定資料集にあった、人魚族の軍事を司る将軍、トライドンだ。
「トライドン将軍! 通してください! この方は私の命の恩人であり、結界を修復してくれた方です!」
アクアが前に出て叫ぶ。
だが、トライドンは動じない。その鋭い眼光は、アクアではなく、背後の俺を射抜いていた。
そこにあるのは、底知れぬ敵意だ。
「恩人だと? 笑わせるな。人間など、海を汚し、我らを脅かす疫病神に過ぎん」
トライドンが槍の石突きで床を叩く。
ドンッ! と重い音が響き、周囲の空気がビリビリと震えるほどの殺気が膨れ上がった。
「アクア様、騙されてはいけません。結界が弱まったのも、あの黒い化け物が現れたのも、全てはこの人間たちが地上で妙なマネをしているからだ! こやつも、その尖兵に違いあるまい! 『希望』を騙る『絶望』かもしれんぞ!」
孤立主義派の筆頭。彼にとって、人間は災害そのものなのだろう。
周囲の衛兵たちも、将軍に呼応して槍を構える。
「……随分な言われようですね」
俺は一歩前に出た。
威圧感は凄まじい。普通の人間なら腰を抜かすレベルだ。
だが、俺は農民だ。
嵐の日も、害獣の襲撃も乗り越えてきた。たかがサメ一匹に怯むわけにはいかない。
「俺は、農民のルークス・グルト。辺境伯領から、交易と……『害虫駆除』のために来ました」
「農民だと? ふざけるな! 貴様の身体から漂うその血と鉄の臭い……そして、その異常な魔力……ただの農民であるはずがない!」
トライドンが槍を振りかぶる。筋肉が隆起し、水流が渦を巻く。
「排除する! これ以上、我が国に穢(けが)れを持ち込ませはせん!」
問答無用か。
俺は溜息をつき、腰の『疾風』に手をかけた。やるしかないのか――その時だった。
「おやめなさい、トライドン」
凛とした、しかしどこか儚げな声が、頭上から降り注いだ。
その声を聞いた瞬間、荒ぶっていたトライドンが、まるで魔法をかけられたようにピタリと動きを止め、恭しく膝をついた。
「……女王陛下」
王宮の大階段。
そこに、一人の女性が立っていた。
アクアと同じアクアマリンの髪だが、より深く、長い。
年齢不詳の美貌。身に纏っているのは、光の糸で織られたような虹色のドレス。
人魚の女王、コーラリア。
だが、その顔色は透き通るほど白く、立っているのがやっとという風に見える。生命力の灯火が、今にも消えそうだ。
「母様!」
アクアが駆け寄り、ふらつく女王を支える。
「ようこそ、地上の客人よ。……アクアを、そして結界を守ってくれたこと、心より感謝します」
コーラリア女王は、俺を見て穏やかに微笑んだ。
その瞳は、全てを見通すような深淵の色をしていた。
「トライドン、彼を通しなさい。……この者は、『希望の欠片』かもしれません」
「しかし陛下! 人間ごときに……!」
「王命です」
静かな、だが絶対的な言葉。
トライドンはギリッと歯噛みし、悔しげに俺を睨みつけた後、道を開けた。
「……通れ。だが、妙な真似をすれば、その首を即座に刎(は)ねる」
「肝に銘じておきます」
俺はトライドンに軽く会釈し、女王のもとへと歩み寄った。
---
通されたのは、王宮の最上階にある『珊瑚の玉座』の間だった。
窓からは、ドーム内の都市が一望できる。
だが、ここから見ると、街のあちこちに広がる「黒いシミ」がより鮮明に見えた。美しい絵画に墨汁を垂らしたような、痛々しい光景だ。
「……我が国は今、滅びの淵にあります」
玉座に力なく座ったコーラリア女王が、静かに語り始めた。
「数ヶ月前から、深海より湧き出した『黒い泥』が、結界を蝕み始めました。あれはただの汚れではありません。『存在』を喰らう呪いです。魔法も、祈りも通じない」
「『世界の捕食者』……ですね」
俺が言葉を継ぐと、女王は驚いたように目を見開いた。
「ご存知なのですか?」
「ええ。地上でも、奴らの尖兵が現れました。……俺はそれを駆除するために、ここまで来たんです」
俺は懐から、スマホを取り出した。
画面には、この都市の中心部――玉座のさらに奥、地下深くを指し示す、巨大な赤い反応が表示されている。
「女王陛下。この都市の動力源……『深海の心臓(アビス・ハート)』が、狙われていますね?」
その言葉に、女王の表情が凍りついた。
彼女は、そばに控えていたアクアとトライドンを下がらせ、重く頷いた。
「……はい。あの方(ハート)は、世界の記憶を記録する『器』。ですが今、あの泥に侵食され、機能を停止しつつあります。……あの方が止まれば、この都市を守るドームも消え、我々は水圧と泥に飲み込まれて全滅するでしょう」
「治療法は?」
「ありません。我々の癒やしの歌も、古代の魔法も、あの異界の泥には通じないのです……。私の魔力を注いで延命していますが、それももう限界です」
女王の声が震える。
万策尽きた、という絶望。
部屋に重苦しい沈黙が流れた。トライドンも、床を見つめて拳を握りしめている。
「……陛下。暗い話の前に、一つ、献上品があります」
俺は空気を変えるように、あえて明るい声を出した。
そして、『収納魔法』から一つの桐箱を取り出した。
辺境伯領から持ってきた、最高級の切り札だ。
「これは?」
「我が領地の特産品、『雪中のルビー』です。……お口に合うかわかりませんが、元気が出ますよ」
俺は箱を開けた。
フワッ……。
瞬間、甘く濃厚で、華やかな香りが広間に満ちた。潮の匂いとも、花の匂いとも違う、強烈な「生命」の香り。
白の緩衝材の上に鎮座する、大粒の真っ赤なイチゴたち。
深海には存在しない鮮烈な「赤」が、女王の目を奪った。
「まあ……! なんと美しい赤……。珊瑚よりも鮮やかで、宝石のようです」
「どうぞ」
俺が勧めると、女王は震える手で一粒を摘み、口に運んだ。
サクッ。
静かな咀嚼音。
次の瞬間、女王の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……あぁ……」
「母様!?」
駆け寄ろうとするアクアを、女王が手で制した。
その顔には、先ほどまでの死相が消え、ほんのりと薔薇色の血色が戻っていた。
「……甘い。そして、温かい……。まるで、地上の太陽をそのまま食べているようです……。身体の奥から、力が湧いてきます」
女王は深く息を吐き、俺を見た。
その目には、強い光が宿っていた。
「ルークス様。貴方が作ったこの果実には、強い『理(ことわり)の力』が宿っています。生命を育み、穢れを払う、大地の力そのものが」
理の力。
ポイント交換した肥料や、俺のスキル、そして愛情が、イチゴを単なる果物以上の存在――「聖なる果実」へと昇華させていたのかもしれない。
深海の住人にとって、太陽の化身のようなこの果実は、最高のエリクサーなのだろう。
「これを作れる貴方なら……あるいは」
女王は立ち上がった。
足取りはまだ弱々しいが、その背筋は王としての威厳に満ちていた。
「案内しましょう。我が国の最深部、禁断の地へ。……『深海の心臓』の元へ」
---
玉座の裏にある隠し通路を通り、俺たちは地下深くへと降りていった。
螺旋階段を下りるにつれ、周囲の壁は有機的な珊瑚から、無機質なクリスタルと金属のハイブリッドへと変わっていく。
空気も冷たく、張り詰めたものになる。
まるで、ファンタジーの世界から、SF映画のセットへ迷い込んだようだ。
そして、最下層。
巨大な空洞に出た。
「……これは」
俺は絶句した。
空洞の中央に、直径十メートルほどの巨大な球体が浮いていた。
『深海の心臓』。
だが、それは俺が想像していた「真珠」のようなものではなかった。
表面には無数の幾何学模様が走り、内部では光の粒子が高速で明滅している。
それは巨大な――『サーバー(記録装置)』だった。
しかし、今のそれは無惨な姿だった。
表面の半分以上が、あのドロドロとした「黒い泥」に覆われ、血管のように這い回る黒いノイズに侵食されている。
心臓の鼓動――明滅のリズムは不整脈のように乱れ、今にも止まりそうだ。
*【警告:重要システム『アビス・ハート』の深刻なエラーを検知】*
*【侵食率:78%】*
*【システムダウンまで……あと12時間】*
俺の脳内に、管理組合からの緊急アラートが響く。
「ひどい……。先週見た時よりも、ずっと悪化している……」
アクアが口元を覆って泣き崩れる。
トライドンも、あまりの惨状に言葉を失っている。
「あの方は、世界中の魔力循環を司るポンプの役割も果たしています。ここが止まれば、海は死に、やがて地上も……」
女王の声が震える。
俺は黙って「心臓」に近づいた。
黒い泥が、俺の接近に反応して威嚇するように蠢く。
鑑定スキルを発動する。
**【対象:深海の心臓(外部記憶装置サーバー)】**
**【状態:ウイルス感染(高レベル)、データ破損進行中】**
**【対処法:物理的な除去、およびシステム領域の再フォーマット】**
「……ウイルス感染、か」
俺は納得した。
これは病気じゃない。サイバー攻撃だ。
なら、医者(ヒーラー)の出番じゃない。
元社畜(エンジニア)兼、農民の出番だ。
「女王陛下。……直せますよ」
俺の言葉に、全員が息を飲んだ。
「なっ……本当か!?」
トライドンが俺の肩を掴む。その手は震えていた。
「ああ。ただし、少し『荒療治』になります」
俺はウィンドウを開いた。
残りのポイント残高、約二十五万ポイント。
足りるか?
いや、足りなくてもやるしかない。この美しい世界を、バグなんかに食わせてたまるか。
「汚れた部分は切り取り、新しいプログラム(肥料)を流し込む。……畑の土壌改良と同じですよ」
俺はニヤリと笑い、心臓に向かって手をかざした。
「さあ、オペ(農作業)の時間だ。……フェン、邪魔が入るぞ。蹴散らせ!」
『心得た! 主よ、存分にやれ!』
心臓の泥が、敵意を持って膨れ上がる。
その中から、無数の赤い目がギョロギョロと俺を見つめた。
最終決戦の火蓋が、今切って落とされた。
【読者の皆様へ】
人魚の女王との謁見、そして「イチゴ外交」の勝利!
明かされた「深海の心臓」の正体は、まさかの「古代サーバー」!?
ウイルスに侵された世界の記憶を救うため、ルークスの「農民流・システム修復手術」が始まります。
「イチゴ美味しそう!」「続きが気になる!」と思った方は、ぜひ↓の★★★★★評価とブックマーク登録で応援をお願いします!
皆様の応援が、ルークスのポイント(手術費)になります!
そこは、俺の貧困な想像力を遥かに超える、幻想と超古代科学が融合した世界だった。
頭上遥か高く、虹色に輝く半透明のドームが空を覆い、外の深海の冷たい闇を完全に遮断している。
ドームの内側は、天井に設置された人工太陽のような巨大な発光結晶(クリスタル)によって、柔らかな昼の光で満たされていた。
街並みは、巨大な珊瑚や巻貝をそのまま住居として加工したような有機的な曲線を描き、それらが透明なチューブのような通路で立体的に繋がれている。
空気がある。
ドーム内は海水ではなく、呼吸可能な空気に満たされていた。
だが、住民である人魚たちは、空中に魔法で固定された「水の道(水流ロード)」を優雅に泳いだり、ヒレを魔法で足のように変化させて地上を歩いたりしている。
「……すごいな。まるで竜宮城と未来都市のハーフだ」
俺は『水中呼吸』などのスキルを一時解除し、肺いっぱいにこの都市の空気を吸い込んだ。
少し湿り気があるが、清浄で、どこか甘い花の香りと潮の香りが混ざった不思議な空気だ。
『ルークス様、こちらです。王宮へ急ぎましょう』
アクアが水を操り、空中に架かった水流ロードを滑るように先導する。
俺も『身体能力強化』でその後を追う。
街を行く人魚たちが、驚愕の表情で俺を見上げていた。
「見ろ、足があるぞ……人間か?」
「まさか、人間がどうやってここへ?」
「門の結界を直したって噂だぞ……」
「でも、人間は海を汚す野蛮な種族だと……」
好奇心と、それ以上の警戒心。
そして何より、彼らの表情には濃い疲労の色が滲んでいた。
街のあちこちに、あの「黒い泥」のシミが見える。
美しい珊瑚の壁が腐食して崩れ落ちていたり、発光クリスタルが点滅を繰り返していたりする。
この楽園もまた、死の病に侵されているのだ。
---
都市の中央、最も高い場所に聳(そび)える、真珠色に輝く巨大な巻貝の城――王宮『パール・パレス』。
その正門の前で、俺たちの行く手は阻まれた。
「止まれ! 何奴だ!」
行く手を塞いだのは、身長三メートルはあろうかという巨漢の人魚だった。
サメのような鋭い背びれと、鋼鉄のような筋肉。全身には歴戦の傷跡が刻まれ、手には巨大な三叉槍(トライデント)を構えている。
設定資料集にあった、人魚族の軍事を司る将軍、トライドンだ。
「トライドン将軍! 通してください! この方は私の命の恩人であり、結界を修復してくれた方です!」
アクアが前に出て叫ぶ。
だが、トライドンは動じない。その鋭い眼光は、アクアではなく、背後の俺を射抜いていた。
そこにあるのは、底知れぬ敵意だ。
「恩人だと? 笑わせるな。人間など、海を汚し、我らを脅かす疫病神に過ぎん」
トライドンが槍の石突きで床を叩く。
ドンッ! と重い音が響き、周囲の空気がビリビリと震えるほどの殺気が膨れ上がった。
「アクア様、騙されてはいけません。結界が弱まったのも、あの黒い化け物が現れたのも、全てはこの人間たちが地上で妙なマネをしているからだ! こやつも、その尖兵に違いあるまい! 『希望』を騙る『絶望』かもしれんぞ!」
孤立主義派の筆頭。彼にとって、人間は災害そのものなのだろう。
周囲の衛兵たちも、将軍に呼応して槍を構える。
「……随分な言われようですね」
俺は一歩前に出た。
威圧感は凄まじい。普通の人間なら腰を抜かすレベルだ。
だが、俺は農民だ。
嵐の日も、害獣の襲撃も乗り越えてきた。たかがサメ一匹に怯むわけにはいかない。
「俺は、農民のルークス・グルト。辺境伯領から、交易と……『害虫駆除』のために来ました」
「農民だと? ふざけるな! 貴様の身体から漂うその血と鉄の臭い……そして、その異常な魔力……ただの農民であるはずがない!」
トライドンが槍を振りかぶる。筋肉が隆起し、水流が渦を巻く。
「排除する! これ以上、我が国に穢(けが)れを持ち込ませはせん!」
問答無用か。
俺は溜息をつき、腰の『疾風』に手をかけた。やるしかないのか――その時だった。
「おやめなさい、トライドン」
凛とした、しかしどこか儚げな声が、頭上から降り注いだ。
その声を聞いた瞬間、荒ぶっていたトライドンが、まるで魔法をかけられたようにピタリと動きを止め、恭しく膝をついた。
「……女王陛下」
王宮の大階段。
そこに、一人の女性が立っていた。
アクアと同じアクアマリンの髪だが、より深く、長い。
年齢不詳の美貌。身に纏っているのは、光の糸で織られたような虹色のドレス。
人魚の女王、コーラリア。
だが、その顔色は透き通るほど白く、立っているのがやっとという風に見える。生命力の灯火が、今にも消えそうだ。
「母様!」
アクアが駆け寄り、ふらつく女王を支える。
「ようこそ、地上の客人よ。……アクアを、そして結界を守ってくれたこと、心より感謝します」
コーラリア女王は、俺を見て穏やかに微笑んだ。
その瞳は、全てを見通すような深淵の色をしていた。
「トライドン、彼を通しなさい。……この者は、『希望の欠片』かもしれません」
「しかし陛下! 人間ごときに……!」
「王命です」
静かな、だが絶対的な言葉。
トライドンはギリッと歯噛みし、悔しげに俺を睨みつけた後、道を開けた。
「……通れ。だが、妙な真似をすれば、その首を即座に刎(は)ねる」
「肝に銘じておきます」
俺はトライドンに軽く会釈し、女王のもとへと歩み寄った。
---
通されたのは、王宮の最上階にある『珊瑚の玉座』の間だった。
窓からは、ドーム内の都市が一望できる。
だが、ここから見ると、街のあちこちに広がる「黒いシミ」がより鮮明に見えた。美しい絵画に墨汁を垂らしたような、痛々しい光景だ。
「……我が国は今、滅びの淵にあります」
玉座に力なく座ったコーラリア女王が、静かに語り始めた。
「数ヶ月前から、深海より湧き出した『黒い泥』が、結界を蝕み始めました。あれはただの汚れではありません。『存在』を喰らう呪いです。魔法も、祈りも通じない」
「『世界の捕食者』……ですね」
俺が言葉を継ぐと、女王は驚いたように目を見開いた。
「ご存知なのですか?」
「ええ。地上でも、奴らの尖兵が現れました。……俺はそれを駆除するために、ここまで来たんです」
俺は懐から、スマホを取り出した。
画面には、この都市の中心部――玉座のさらに奥、地下深くを指し示す、巨大な赤い反応が表示されている。
「女王陛下。この都市の動力源……『深海の心臓(アビス・ハート)』が、狙われていますね?」
その言葉に、女王の表情が凍りついた。
彼女は、そばに控えていたアクアとトライドンを下がらせ、重く頷いた。
「……はい。あの方(ハート)は、世界の記憶を記録する『器』。ですが今、あの泥に侵食され、機能を停止しつつあります。……あの方が止まれば、この都市を守るドームも消え、我々は水圧と泥に飲み込まれて全滅するでしょう」
「治療法は?」
「ありません。我々の癒やしの歌も、古代の魔法も、あの異界の泥には通じないのです……。私の魔力を注いで延命していますが、それももう限界です」
女王の声が震える。
万策尽きた、という絶望。
部屋に重苦しい沈黙が流れた。トライドンも、床を見つめて拳を握りしめている。
「……陛下。暗い話の前に、一つ、献上品があります」
俺は空気を変えるように、あえて明るい声を出した。
そして、『収納魔法』から一つの桐箱を取り出した。
辺境伯領から持ってきた、最高級の切り札だ。
「これは?」
「我が領地の特産品、『雪中のルビー』です。……お口に合うかわかりませんが、元気が出ますよ」
俺は箱を開けた。
フワッ……。
瞬間、甘く濃厚で、華やかな香りが広間に満ちた。潮の匂いとも、花の匂いとも違う、強烈な「生命」の香り。
白の緩衝材の上に鎮座する、大粒の真っ赤なイチゴたち。
深海には存在しない鮮烈な「赤」が、女王の目を奪った。
「まあ……! なんと美しい赤……。珊瑚よりも鮮やかで、宝石のようです」
「どうぞ」
俺が勧めると、女王は震える手で一粒を摘み、口に運んだ。
サクッ。
静かな咀嚼音。
次の瞬間、女王の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……あぁ……」
「母様!?」
駆け寄ろうとするアクアを、女王が手で制した。
その顔には、先ほどまでの死相が消え、ほんのりと薔薇色の血色が戻っていた。
「……甘い。そして、温かい……。まるで、地上の太陽をそのまま食べているようです……。身体の奥から、力が湧いてきます」
女王は深く息を吐き、俺を見た。
その目には、強い光が宿っていた。
「ルークス様。貴方が作ったこの果実には、強い『理(ことわり)の力』が宿っています。生命を育み、穢れを払う、大地の力そのものが」
理の力。
ポイント交換した肥料や、俺のスキル、そして愛情が、イチゴを単なる果物以上の存在――「聖なる果実」へと昇華させていたのかもしれない。
深海の住人にとって、太陽の化身のようなこの果実は、最高のエリクサーなのだろう。
「これを作れる貴方なら……あるいは」
女王は立ち上がった。
足取りはまだ弱々しいが、その背筋は王としての威厳に満ちていた。
「案内しましょう。我が国の最深部、禁断の地へ。……『深海の心臓』の元へ」
---
玉座の裏にある隠し通路を通り、俺たちは地下深くへと降りていった。
螺旋階段を下りるにつれ、周囲の壁は有機的な珊瑚から、無機質なクリスタルと金属のハイブリッドへと変わっていく。
空気も冷たく、張り詰めたものになる。
まるで、ファンタジーの世界から、SF映画のセットへ迷い込んだようだ。
そして、最下層。
巨大な空洞に出た。
「……これは」
俺は絶句した。
空洞の中央に、直径十メートルほどの巨大な球体が浮いていた。
『深海の心臓』。
だが、それは俺が想像していた「真珠」のようなものではなかった。
表面には無数の幾何学模様が走り、内部では光の粒子が高速で明滅している。
それは巨大な――『サーバー(記録装置)』だった。
しかし、今のそれは無惨な姿だった。
表面の半分以上が、あのドロドロとした「黒い泥」に覆われ、血管のように這い回る黒いノイズに侵食されている。
心臓の鼓動――明滅のリズムは不整脈のように乱れ、今にも止まりそうだ。
*【警告:重要システム『アビス・ハート』の深刻なエラーを検知】*
*【侵食率:78%】*
*【システムダウンまで……あと12時間】*
俺の脳内に、管理組合からの緊急アラートが響く。
「ひどい……。先週見た時よりも、ずっと悪化している……」
アクアが口元を覆って泣き崩れる。
トライドンも、あまりの惨状に言葉を失っている。
「あの方は、世界中の魔力循環を司るポンプの役割も果たしています。ここが止まれば、海は死に、やがて地上も……」
女王の声が震える。
俺は黙って「心臓」に近づいた。
黒い泥が、俺の接近に反応して威嚇するように蠢く。
鑑定スキルを発動する。
**【対象:深海の心臓(外部記憶装置サーバー)】**
**【状態:ウイルス感染(高レベル)、データ破損進行中】**
**【対処法:物理的な除去、およびシステム領域の再フォーマット】**
「……ウイルス感染、か」
俺は納得した。
これは病気じゃない。サイバー攻撃だ。
なら、医者(ヒーラー)の出番じゃない。
元社畜(エンジニア)兼、農民の出番だ。
「女王陛下。……直せますよ」
俺の言葉に、全員が息を飲んだ。
「なっ……本当か!?」
トライドンが俺の肩を掴む。その手は震えていた。
「ああ。ただし、少し『荒療治』になります」
俺はウィンドウを開いた。
残りのポイント残高、約二十五万ポイント。
足りるか?
いや、足りなくてもやるしかない。この美しい世界を、バグなんかに食わせてたまるか。
「汚れた部分は切り取り、新しいプログラム(肥料)を流し込む。……畑の土壌改良と同じですよ」
俺はニヤリと笑い、心臓に向かって手をかざした。
「さあ、オペ(農作業)の時間だ。……フェン、邪魔が入るぞ。蹴散らせ!」
『心得た! 主よ、存分にやれ!』
心臓の泥が、敵意を持って膨れ上がる。
その中から、無数の赤い目がギョロギョロと俺を見つめた。
最終決戦の火蓋が、今切って落とされた。
【読者の皆様へ】
人魚の女王との謁見、そして「イチゴ外交」の勝利!
明かされた「深海の心臓」の正体は、まさかの「古代サーバー」!?
ウイルスに侵された世界の記憶を救うため、ルークスの「農民流・システム修復手術」が始まります。
「イチゴ美味しそう!」「続きが気になる!」と思った方は、ぜひ↓の★★★★★評価とブックマーク登録で応援をお願いします!
皆様の応援が、ルークスのポイント(手術費)になります!
21
あなたにおすすめの小説
元侯爵令嬢の異世界薬膳料理~転生先はみんな食事に興味が無い世界だったので、美味しいご飯で人の身も心も癒します~
向原 行人
ファンタジー
異世界へ転生して数日。十七歳の侯爵令嬢、アリスとして目覚めた私は、早くも限界を迎えていた。
というのも、この世界……みんな食事に興味が無くて、毎食パンとハムだけとか、ハムがチーズに変わるとか、せいぜいその程度だ。
料理というより、食材を並べているだけって感じがする。
元日本人の私としては温かいご飯がたべたいので、自分で食事を作るというと、「貴族が料理など下賤なことをするのは恥だ!」と、意味不明な怒られ方をした。
わかった……だったら、私は貴族を辞める!
家には兄が二人もいるし、姉だっているから問題無いでしょ。
宛てもなく屋敷を飛び出した私は、小さな村で更に酷い食事事情を目の当たりにする。
育ち盛りの子供たちや、身体を使う冒険者たちが、それだけしか食べないなんて……よし、美味しいご飯でみんなも私も幸せになろう!
医食同源! 大食いモフモフ聖獣に、胃袋を掴んでしまった騎士隊長と一緒に、異世界で美味しくて身体に良い食材探しだ!
※第○話:主人公視点
挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点
となります。
転生したら領主の息子だったので快適な暮らしのために知識チートを実践しました
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
不摂生が祟ったのか浴槽で溺死したブラック企業務めの社畜は、ステップド騎士家の長男エルに転生する。
不便な異世界で生活環境を改善するためにエルは知恵を絞る。
14万文字執筆済み。2025年8月25日~9月30日まで毎日7:10、12:10の一日二回更新。
底辺から始まった俺の異世界冒険物語!
ちかっぱ雪比呂
ファンタジー
40歳の真島光流(ましまみつる)は、ある日突然、他数人とともに異世界に召喚された。
しかし、彼自身は勇者召喚に巻き込まれた一般人にすぎず、ステータスも低かったため、利用価値がないと判断され、追放されてしまう。
おまけに、道を歩いているとチンピラに身ぐるみを剥がされる始末。いきなり異世界で路頭に迷う彼だったが、路上生活をしているらしき男、シオンと出会ったことで、少しだけ道が開けた。
漁れる残飯、眠れる舗道、そして裏ギルドで受けられる雑用仕事など――生きていく方法を、教えてくれたのだ。
この世界では『ミーツ』と名乗ることにし、安い賃金ながらも洗濯などの雑用をこなしていくうちに、金が貯まり余裕も生まれてきた。その頃、ミーツは気付く。自分の使っている魔法が、非常識なほどチートなことに――
【土壌改良】で死の荒野がSランク農園に!食べただけでレベルアップする野菜で、世界最強ギルド設立
黒崎隼人
ファンタジー
「え? これ、ただのトマトですよ?」
「いいえ、それは食べただけで魔力が全回復する『神の果実』です!」
ブラック企業で働き詰めだった青年は、異世界の名門貴族の三男・ノアとして転生する。
しかし、授かったスキルは【土壌改良】という地味なもの。
「攻撃魔法も使えない役立たず」と罵られ、魔物すら寄り付かない死の荒野へ追放されてしまう。
だが、彼らは知らなかった。
ノアのスキルは、現代の農業知識と合わせることで、荒れ果てた土地を「Sランク食材」が溢れる楽園に変えるチート能力だったことを!
伝説の魔獣(もふもふ)をキュウリ一本で手懐け、行き倒れた天才エルフを極上スープで救い出し、気づけば荒野には巨大な「農業ギルド」が誕生していた。
これは、本人がただ美味しい野菜を作ってのんびり暮らしたいだけなのに、周囲からは「世界を救う大賢者」と崇められてしまう、無自覚・最強の農業ファンタジー!
侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】
のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。
そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。
幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、
“とっておき”のチートで人生を再起動。
剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。
そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。
これは、理想を形にするために動き出した少年の、
少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。
【なろう掲載】
『急所』を突いてドロップ率100%。魔物から奪ったSSRスキルと最強装備で、俺だけが規格外の冒険者になる
仙道
ファンタジー
気がつくと、俺は森の中に立っていた。目の前には実体化した女神がいて、ここがステータスやスキルの存在する異世界だと告げてくる。女神は俺に特典として【鑑定】と、魔物の『ドロップ急所』が見える眼を与えて消えた。 この世界では、魔物は倒した際に稀にアイテムやスキルを落とす。俺の眼には、魔物の体に赤い光の点が見えた。そこを攻撃して倒せば、【鑑定】で表示されたレアアイテムが確実に手に入るのだ。 俺は実験のために、森でオークに襲われているエルフの少女を見つける。オークのドロップリストには『剛力の腕輪(攻撃力+500)』があった。俺はエルフを助けるというよりも、その腕輪が欲しくてオークの急所を剣で貫く。 オークは光となって消え、俺の手には強力な腕輪が残った。 腰を抜かしていたエルフの少女、リーナは俺の圧倒的な一撃と、伝説級の装備を平然と手に入れる姿を見て、俺に同行を申し出る。 俺は効率よく強くなるために、彼女を前衛の盾役として採用した。 こうして、欲しいドロップ品を狙って魔物を狩り続ける、俺の異世界冒険が始まる。
12/23 HOT男性向け1位
転生したら『塔』の主になった。ポイントでガチャ回してフロア増やしたら、いつの間にか世界最強のダンジョンになってた
季未
ファンタジー
【書き溜めがなくなるまで高頻度更新!♡٩( 'ω' )و】
気がつくとダンジョンコア(石)になっていた。
手持ちの資源はわずか。迫りくる野生の魔物やコアを狙う冒険者たち。 頼れるのは怪しげな「魔物ガチャ」だけ!?
傷ついた少女・リナを保護したことをきっかけにダンジョンは急速に進化を始める。
罠を張り巡らせた塔を建築し、資源を集め、強力な魔物をガチャで召喚!
人間と魔族、どこの勢力にも属さない独立した「最強のダンジョン」が今、産声を上げる!
転生貴族の領地経営〜現代日本の知識で異世界を豊かにする
初
ファンタジー
ローラシア王国の北のエルラント辺境伯家には天才的な少年、リーゼンしかしその少年は現代日本から転生してきた転生者だった。
リーゼンが洗礼をしたさい、圧倒的な量の加護やスキルが与えられた。その力を見込んだ父の辺境伯は12歳のリーゼンを辺境伯家の領地の北を治める代官とした。
これはそんなリーゼンが異世界の領地を経営し、豊かにしていく物語である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる