ブラック企業でポイントを極めた俺、異世界で最強の農民になります

はぶさん

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第百五十三話:静かなる来訪者、あるいは森の香りの使節団

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 黄金色の麦の海が、秋の柔らかな風を受けて、さらさらと耳に心地よい音を立てていた。
 リーフ村の入り口。かつて王都の刺客たちを「自動収穫」した凶悪な案山子たちは、今はその鋭い機能を深く隠し、ただの不格好な藁人形として、平和な農村の風景に溶け込んでいる。

 俺――ルークス・グルトは、十歳の少年らしく、庭に新設した温室の陰で、フェンのフカフカした腹を枕に昼寝を楽しんでいた。
 だが、その穏やかな微睡(まどろ)みは、村の境界線に張り巡らせた「気配察知」が捉えた、極めて異質な、そしてひどく衰弱した振動によって遮られた。

「……主よ、起きろ。……風が、古い森の匂いを運んできた。……だが、それは我が知る命の息吹ではない。ひどく疲れ果て、芯から立ち枯れた、絶望の匂いだ」

 フェンが鼻先をぴくつかせ、琥珀色の瞳を村の街道へと向けた。
 俺はゆっくりと身を起こし、ポシェットの縁に挿したリサからもらった青い花の向きを整える。

「……森の匂い? 辺境伯様が言っていた、聖樹連合国からの『使節』かな」

 街道の先から現れたのは、これまでの刺客や商人のような、欲望や殺意を剥き出しにした者たちとは一線を画す、浮世離れした一団だった。
 長く尖った耳、透き通るような白い肌、そして、古びた、しかし精緻な刺繍が施された緑の外套。
 エルフの使節団。
 だが、前世のファンタジー小説で描かれるような「気高く美しい森の民」のイメージとは裏腹に、彼らの足取りは重く、その表情には深い疲労と、何かに追い詰められたような悲壮感がべったりと張り付いていた。

「……ここが、辺境伯が言っていたリーフ村か。……人間が住む場所にしては、妙に空気が澄んでいる。……いや、澄みすぎていて、逆に不気味なほどだ」

 先頭を歩く、腰まで届く銀髪を編み込んだ女性エルフが、節くれだった杖を支えに呟いた。彼女の瞳は、まるでひび割れた宝石のように輝きを失い、その奥には深い絶望の影が揺れている。

 俺は、彼らの行く手を遮るのではなく、家の前にある、父さんが作った素朴な木のベンチへとゆっくり歩み寄った。

「……遠いところから、ようこそ。……まずは、喉を潤していきませんか? 長旅で、お疲れでしょう」

 俺は、十歳の子供らしい、飾り気のない笑みを浮かべて声をかけた。
 銀髪のエルフ――使節団のリーダーであるセレナは、立ち止まって俺を凝視した。その視線は、俺の背後に控える巨大な黒い影に向けられ、一瞬だけ鋭い警戒の色を宿した。

「……人の子よ。……その傍らに従えるは、伝説に聞く『黒き牙』の眷属か? ……なぜ、これほどの魔獣が、このような小さな、名もなき村に平伏している……。……貴様、何者だ」

「フェンは、俺の家族なんです。……それよりも、セレナさん。唇が乾いていますよ。……今、冷たい麦茶を持ってきます。……ゆっくり腰を下ろしてください」

 俺は彼女の鋭い追及を、まるで秋風をいなすように受け流し、台所の「魔法の蛇口」へと向かった。

---

 俺は、ポイントで交換した【氷晶のガラスコップ(50pt)】を人数分用意し、そこへ今朝焙煎したばかりの『氷晶大麦』の麦茶を注いだ。
 冷蔵庫でキンキンに冷やしておいたそれは、コップの表面に細かな水滴を纏わせ、見た目にも涼しげで美しい。

 さらに、温室で収穫したばかりの『蜂蜜イチゴ』――ポイントで土壌のミネラルバランスを極限まで調整して育てた、甘みと酸味の黄金比を誇る果実を、皿に盛って差し出す。

「……毒など入っていませんよ。……この村の、ただの特産品です。……俺が育てたものです」

 セレナは、怪訝そうな顔をしながらも、喉の乾きに耐えかねたようにコップを手に取った。
 彼女が、一口。慎重に麦茶を口に含んだ、その瞬間。

「…………っ!?」

 その細い、陶器のような喉が大きく鳴った。
 香ばしく、どこか懐かしい大麦の香りが鼻腔を抜け、氷のような清涼感が、砂漠のように焼け付いていた食道を通り、全身の熱と疲労を洗い流していく。
 セレナの瞳が、驚愕で見開かれた。

「……な、何なの、この飲み物は……。……ただの水ではない。……魔力が練り込まれているわけでもないのに、……体が、……凍えきった心が、内側から解けていくような……。……こんな滋味、聖域の泉ですら……」

「それは『麦茶』です。……農民が、一日の作業を終えた後に、汗を流して飲む、最高のご褒美ですよ」

 他のエルフたちも、もはや儀礼も忘れ、貪るように麦茶を飲み、イチゴを口に運んだ。
 瑞々しい果汁が口の中に弾けるたび、彼らの青白い頬に、わずかだが生気の色が戻ってくる。

「……信じられない。……森の外の世界は、汚れと強欲に満ちていると教わってきた。……だが、この一粒の果実。……我らが愛する『聖樹』が、かつて実らせていた果実よりも……ずっと力強く、生命の輝きに溢れている。……人の子よ、そなたは、一体どんな『魔法』をこの土にかけたのだ」

 セレナは、イチゴを大切そうに指先でつまみ、信じられないものを見るような目で俺を見つめた。
 彼らが抱えている「聖樹の病」。それは、資料集にある通り、物理的な汚染だけでなく、彼らの「心の閉塞」が具現化したものだ。
 俺は、彼女たちがイチゴを食べる様子を、前世の分析官のような冷徹さと、農民としての温かな眼差しで観察する。

(……深刻だな。単なる栄養失調じゃない。……生きることへの、根源的な『喜び』が枯渇している。……エルフの森には、今、『循環』という名の希望が足りないんだ)

 俺は、空になったコップを丁寧に回収しながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「……魔法なんて、使っていませんよ。……ただ、土が喜ぶことをして、太陽の光を当てただけです。……セレナさん。……今日は、ここでゆっくり休んでいってください。……晩御飯は、もっと美味しいものを用意します。……話は、お腹が満たされてからでいいですよ」

 十万ポイントという全能に近い力。
 それを一気に叩き込んで「聖樹」を強引に治療することも、システム的には可能だろう。
 だが、俺はそれをしない。
 彼らが必要としているのは、外からの奇跡ではなく、自分たちの足で立ち、自分たちの土を慈しむための「生きる実感」なのだ。

 俺は、セレナの手から滑り落ちそうになった古びた杖を、そっと支えた。
 エルフの誇り。数百年の伝統。
 それらを否定せず、しかし、凝り固まった彼らの心を「一杯の麦茶」で溶かしていく。
 ルークス・グルトの「静かなる救済」が、リーフ村の穏やかな秋空の下、そよ風に乗って始まった。

---


【読者へのメッセージ】
第百五十三話、最後までお読みいただきありがとうございました。
新章「エルフ編」の幕開けとして、ルークスが手にした巨大な力ではなく、あえて「一杯の麦茶」と「一粒のイチゴ」で、誇り高きエルフたちの心を溶かす描写に心血を注ぎました。

派手な展開を抑えたからこそ際立つ、リーフ村の圧倒的な「豊かさ」。
次回、ルークスが振る舞う「夕食」が、エルフたちのこれまでの常識を完全に破壊します。
「ルークスの麦茶、飲んでみたい!」「エルフさんたちの反応が楽しみ」という方は、ぜひ評価やブックマークでの応援をよろしくお願いします!
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