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第百六十三話:【幕間】土を継ぐ者、風が運ぶ便り
しおりを挟むエルフの里、その最北端に位置する「静止の丘」に、ルークスは一人立っていた。
三日間の猶予の二日目、その朝の空気は、肺の奥まで凍りつかせるような鋭い冷気を孕んでいる。だが、ルークスの背負う相棒、ブラックフェンリルのフェンが発する心地よい体温と、絶え間なく吐き出される白い息が、少年の周囲にだけは柔らかな暖まりを作っていた。
ルークスは、里に物資を運び入れる辺境伯の輸送隊から手渡された、一通の封書を広げる。
それは、懐かしいリーフ村からの便りだった。
「……あ、リサからの手紙だ」
羊皮紙には、決して達筆とは言えないが、一文字一文字に力を込めて綴られた文字が並んでいた。ルークスが里へと旅立った後の、彼が耕し、守り抜いたリーフ村の「日常」が、そこには鮮やかに描き出されていた。
『ルークス様、お元気ですか? エルフの里は、空気が澄んでいてとても寒い場所だと聞きました。風邪を引いて寝込んだりしていませんか?
ルークス様が教えてくれた「マルチ農法」のおかげで、村の畑は今、冬の盛りだというのに、驚くほど青々とした葉を茂らせています。
最初は新しいやり方に文句ばかり言っていたゲルトさんも、今では毎日誰よりも早く畑に来て、「ルークスのやり方を汚すわけにはいかねえ」って息巻きながら、凍った水路の掃除をしてくれているんですよ。
村のみんな、ルークス様が帰ってきた時に、最高の冬野菜を食べさせてあげたいって、そればかり話しています。
……私も、ルークス様に教えてもらった「鑑定のコツ」、毎日練習しています。いつか、ルークス様の隣に立っても恥ずかしくないくらい、役に立てるようになりたいから。
フェン様にも、よろしく伝えてくださいね。大好きだよって』
ルークスの指先が、羊皮紙の端を愛おしそうになぞる。
前世のブラック企業では、どれほど巨大なシステムを構築しても、プロジェクトが終われば関係は無機質に断たれ、自分の名前はただの「コスト」として消費されていった。だが、この世界では違う。
自分が泥にまみれ、膝をついて耕した土は、自分が去った後も、誰かの手によって慈しまれ、誰かの腹を満たし、誰かの未来を繋いでいる。
「……そうか。俺がここで意地を張っている間も、あそこには、俺の帰りを待ってくれる『家族』がいるんだな」
ルークスの口元に、深い安堵を孕んだ笑みがこぼれた。
システムウィンドウに表示される「支持率」や「ポイント」といった、時に冷酷な数値の向こう側に、確かに存在する血の通った人々の暮らし。それこそが、彼が三万三千ポイント――前世の年収分にも相当する重みを、一切の躊躇なくこの里のインフラに投じることができた本当の理由だった。
「グゥ……(主よ、何をニヤついている。その紙から、村の干し肉の匂いでもするのか?)」
フェンが大きな頭をルークスの膝に乗せ、甘えるように鼻を鳴らす。伝説の魔獣としての威厳はどこへやら、今の彼は、故郷の匂いを懐かしむ一匹の家族の顔をしていた。
「いや、肉の匂いはしないけど……もっと温かいものが届いたよ、フェン。お前にも、リサから『大好きだ』ってさ」
フェンの耳の裏を掻いてやりながら、ルークスは視線を聖域の中心、天を衝くように聳える聖樹へと向けた。
聖女セレナが守ろうともがき、長老たちが伝統という名の氷で閉ざしたこの森。
ここを救うことは、もはや単なる「ポイント稼ぎ」のタスクではない。この里に住むエルフたちにも、リサやゲルトたちと同じように、「採れたての野菜を家族で囲む、当たり前の幸せ」を取り戻してほしい。その一念が、ルークスの胸の内で静かに燃え上がった。
ルークスは立ち上がり、パンパンと作業服についた土を払った。
手紙を大切に懐にしまい込むと、その瞳には再び、最強の分析官にして「執念の農民」としての鋭い光が宿る。
「よし、フェン。故郷の連中に見せても恥ずかしくない仕事をしよう。……次は、エルフの里の『土』を根底から変えるぞ」
ルークスが向かったのは、里の端にある、何百年も放置され、痩せ細った試験農地だった。
エルフたちは「自然のまま」という教えを重んじるあまり、土に栄養を与えるという概念が希薄だった。彼らにとって、肥料を与えることは純粋な自然への不遜な介入であり、不敬にあたるとさえ考えられていたのだ。
ルークスは黒ずんだ大地に膝をつき、一掴みの土を掌に乗せた。
スキル『鑑定』を発動させる。
『土壌状態:強酸性・栄養枯渇。聖樹の魔力過剰吸収により、微生物の活性が著しく低下しています』
システムが弾き出す無機質なデータ。だが、ルークスはそれを単なる数値として受け取らない。
彼は前世、ブラック企業で叩き込まれた「多角的な分析能力」をフル回転させた。
(聖域特有の強すぎる魔力が、逆に土の呼吸を止め、分解を阻害しているのか……。なら、ポイントで交換する最高級の化学肥料をただ撒くのは、焼け石に水だ。この土自体に「過剰な魔力を分解し、地力に変える循環」を組み込まなきゃいけない)
ルークスはウィンドウを操作し、新たなアイテムを選択した。
それは、深緑色に輝く微細な粒――『魔導分解酵素・改』。
価格は、 pt。
村の冬の暖房費一ヶ月分に相当する、決して安くない投資だ。だが、ルークスは迷わず決定ボタンを「クリック」した。
「これに、俺が昨日から発酵させておいた『特製ボカシ肥』を掛け合わせる」
彼が取り出したのは、エルフの里で出た残飯や落ち葉を、独自の配合で発酵させた手製の肥料だ。
システムが用意した「正解」に、農民としての「手間」と「愛情」を掛け合わせる。
ルークスは再び泥にまみれ、小さな鍬を振るい、自分の手で土を混ぜ合わせ、耕していく。
その様子を、巨木の陰からじっと見つめる老いた目があった。
長老会の筆頭、ガリウス。
彼は昨夜、誰にも見られぬようにルークスのスープを一口だけ口にしていた。
五千年の人生で一度も経験したことのない、魂を直接揺さぶるような「旨味」。そして、今朝目覚めた時に感じた、かつてない身体の軽さ。
「……あのような泥遊びで、数千年枯れ続けた聖域の土が、本当に甦ると言うのか。我らの伝統を否定する、あの小さな手が……」
ガリウスは自問する。しかし、目の前で少年に撫でられた土が、まるで命を吹き返したように黒々と、瑞々しく輝き始めるのを、彼は否定できなかった。
ルークスが丹念に耕した場所に、一粒の種が埋められる。
それはポイント産の魔法の種ではない。リーフ村で、リサたちが大切に育て、ルークスに託した、素朴で力強いカブの種だった。
「さあ、芽を出せ。……ここが、あんたたちの新しい故郷だ」
少年の祈りに応えるように、土の中から微かな、しかし力強い魔力の拍動が聞こえ始める。
それは、停滞していたエルフの里に打ち込まれた、次なる「再生」の楔(くさび)だった。
【読者へのメッセージ】
第百六十三話をお読みいただき、ありがとうございます!
今回はルークスの「農民としての原点」と、離れていても繋がっているリーフ村の人々との絆を、文字数を尽くしてじっくりと描写いたしました。
リサの手紙、そしてゲルトの不器用な献身……ルークスがこれまでに積み上げてきたものが、彼自身の支えとなっているシーンは、執筆していて胸が熱くなりました。
そして、いよいよ始まったエルフの里の農業改革。魔法のアイテムと「泥にまみれた努力」を掛け合わせたルークスの農法は、病んだ聖域にどのような奇跡を起こすのか。
「リサちゃんの手紙、泣ける!」「ルークスの作業服姿、応援したくなる!」と思ってくださった方は、ぜひ【評価】【感想】【ブックマーク】での応援をお願いします!皆様のその一票が、ルークスの次なる「収穫」へのエネルギーになります。
次話、第百六十四話「聖樹の涙と黄金の芽」。ご期待ください!
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