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第百六十四話:【聖域の鼓動】聖樹の涙と黄金の芽
しおりを挟むエルフの里に朝霧が立ち込める、三日目の朝。
試験農地に蒔かれた「リーフ村のカブの種」は、本来の植物の成長速度という概念を嘲笑うかのように、一晩にしてその姿を変えていた。湿り気を帯びた黒土を力強く押し退け、朝露を湛えた双葉が、朝日を浴びて黄金色に輝いている。
それは、単なるポイントアイテムによる一時的な「バフ」の結果ではない。
ルークスが『魔導分解酵素・改』を用いて土壌の「魔力詰まり」を解消し、そこに前世のデータ分析を応用して作り上げた『特製ボカシ肥』――里の廃棄物と過剰なマナを最適に発酵させたもの――を掛け合わせたことで、土そのものが「聖樹の老廃物」を「純粋な栄養」へと変換し始めた結果だった。いわば、目詰まりを起こしていた排水溝を清掃し、そこに最高級の触媒を流し込んだような状態だ。
「……信じられん。この枯れ果てた死の地から、これほどまでに清浄な生命の気が溢れ出すとは。我らエルフの常識では、聖域の土が一度腐れば、浄化には数百年を要するはずなのだが」
背後から、低く、掠れた声が響いた。
振り返れば、そこには長老会の筆頭ガリウスが立っていた。昨夜、フェンが届けた「黄金のスープ」を口にした影響か、その顔色は驚くほど血色が良く、杖を握る指先にも、長年の痛みに耐えるための強張りが消えている。
「ガリウス様、おはようございます。……お口に合いましたか? 昨日のスープ。あれ、隠し味に里の奥で採れた山菜の根を、僕の『識別』スキルで見極めてから乾燥させて粉末にしたものを入れてるんです」
ルークスは泥にまみれた膝を叩きながら、悪戯っぽく、しかし穏やかに微笑んだ。
ガリウスは一瞬、気まずそうに視線を逸らしたが、やがて重い口を開いた。
「……小癪な小僧だ。我らエルフが数千年の祈りを持ってしても成し遂げられなかった『土の再生』を、貴様はたった一晩の『泥遊び』で成し遂げてしまった。……認めざるを得まい。あのスープ、そしてこの土。貴様が持ち込んだものは、単なる毒ではなく、我らが忘れていた『大地の息吹』そのものだ」
「ガリウス様、それは違いますよ」
ルークスは立ち上がり、真っ直ぐに老いた長老の瞳を見つめた。
その瞳は、もはや数字だけを追う冷徹な分析官のものではない。一人の「農民」として、土と向き合う者の誠実さと、ブラック企業時代に培った「現場主義」の熱に満ちていた。
「祈りだけじゃ、お腹は膨らまない。でも、知識と工夫だけあっても、それを形にする『場所』がなきゃ意味がないんです。この里の土がこれほど早く応えてくれたのは、あんたたちが数千年、この地を大切に守り続けてきたからだ。……俺はただ、あんたたちが守りすぎて溜め込んでしまった『想い』という名の魔力が、正しく土に流れるように交通整理をしただけですよ。あんたたちの積み重ねがなきゃ、僕の道具なんてただのガラクタです」
ガリウスは絶句した。
自分たちが「堕落」と断じ、排除しようとした少年の行為。だが、その少年は自分たちの歩んできた、時に頑固で閉鎖的だった数千年の歴史を、誰よりも肯定し、敬意を払っていたのだ。
その言葉は、凍てついていたガリウスの心を、昨日のお湯よりも深く、温かく解かしていった。
その時だ。
里の中心に聳え立つ巨大な聖樹が、落雷に打たれたかのように激しく震えた。
ザワザワと葉が擦れ合い、不気味な軋み音が森全体を支配する。それは、これまで聞いたこともないような、聖樹の「悲鳴」だった。
「……っ、聖樹様が!? 何事だ!」
ガリウスが杖を落としそうになりながら顔色を変える。
聖樹の幹からは、濁った琥珀色の樹液が、涙のように、いや、膿(うみ)のように溢れ出し始めた。
ルークスの視界には、これまでにないほど激しい点滅と共に、システムウィンドウが展開される。
『緊急警告:聖樹の魔力循環が臨界点に到達。内部に数世紀にわたって蓄積された「負のマナ(澱み)」が、土壌改良による急激な魔力流動により、根部へと一気に逆流しています』
『判定:インフラ崩壊の危機。このままでは聖域全体がマナの暴発により「ガラス化」します』
「……インフラの目詰まりどころか、サーバーの同時アクセス過多によるメルトダウンかよ。前世で、放置され続けてきたレガシーシステムを無理やり新機能に対応させた時の悪夢そのままだな」
ルークスは吐き捨てるように呟くと、迷わずメニュー画面を開いた。
蓄積されたポイントは、リーフ村を救い、ここまで積み上げてきた膨大な額。だが、そんなものを惜しんでいる暇はない。
「セレナさん、ガリウス様! 呆けてる暇はありません! 今すぐ里の人たちを集めてください! これから聖樹の『深層大掃除(デフラグ)』を始めます!」
「掃除……? 聖なる樹に、これ以上何をしようというのだ!」
「不遜だなんだと言ってる時間は一秒もありません! やらなきゃこの里は消し飛ぶぞ! ……あんたたちが本当に守りたかったのは、この樹という『形』か? それとも、この樹の下でみんなが明日も笑ってスープを飲める『日常』か!? どっちなんだ!」
ルークスの激越な叫びに、ガリウスは心臓を掴まれたような衝撃を受けた。
守るべきは伝統という名の形式か、それともそこに生きる命か。
答えは、ガリウス自身の右手の温もりが、胃袋に残るスープの記憶が教えていた。
「……わかった! 全エルフに告ぐ! 聖女セレナの指示に従い、総力を挙げてルークスを支援せよ! これは、伝統を『守る』ための戦いではない。伝統の先にある『未来』を、この少年に託すための戦いである!」
五千年の権威が、一人の少年の情熱に屈した瞬間だった。
ルークスは頷くと、ポイントを消費し、これまでのどのアイテムよりも巨大で、異質な存在感を放つ装置を召喚した。
『聖域専用・深層魔導耕耘機(アース・シェイカー)』
『交換ポイント:50,000 pt(辺境伯領の半年分の税収、あるいは中規模都市のインフラ予算に相当)』
空間が波打ち、黄金の粒子が収束した先に現れたのは、幾重にも連なる魔導の刃(ブレード)を備えた、巨大な「鋤(すき)」だった。
ルークスはそれを手に取り、濁った樹液を流す聖樹の根元へと、泥にまみれた靴で一歩踏み出す。
「フェン、頼むぞ。根元の『澱み』を一気に掘り起こして、土に還す。……俺たちの本当の『スローライフ』を邪魔する奴は、聖樹だろうが病だろうが、俺が全部耕してやる!」
「グゥゥ……(任せろ。主よ、その後に食うスープは、今の倍は美味いんだろうな? 全力で付き合ってやる!)」
伝説の魔獣が天に向かって咆哮し、少年が重い装置を振るい、大地を穿つ。
停滞という名の氷に閉ざされた聖域で、今、最も泥臭く、そして最も高潔な「再生の耕作」が幕を開けた。
【読者へのメッセージ】
第百六十四話をお読みいただき、ありがとうございます!
ルークスの熱い叫びが、ついに頑ななガリウス長老の魂を揺り動かしました。
「伝統」を未来へと繋ぐための、泥まみれの戦い。
50,000ポイントという、これまでの歩みの集大成とも言える代償を払い、ルークスは聖樹という巨大な「理不尽」に挑みます。
はたして、アース・シェイカーは聖域の澱みを浄化し、新たな芽を育むことができるのか!?
「ルークス、泥まみれで最高に輝いてる!」「長老、よく決断した!」と思ってくださった方は、ぜひ【評価】【感想】【ブックマーク】で応援をよろしくお願いいたします!皆様のその一票が、アース・シェイカーの出力になります!
次話、第百六十五話「停滞を穿つ一撃」。
聖域の運命を賭けた耕作、その結末をお見逃しなく!
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