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第百六十五話:停滞を穿つ一撃
しおりを挟む聖域の空気が、パチパチと弾けるような不快な静電気を帯びていた。
天を衝く聖樹の頂から、濁った琥珀色の樹液が激しく噴き出し、それが地面に触れた瞬間にジュウと音を立てて土をガラス化させていく。
エルフたちが「沈黙の平穏」と呼んで守り続けてきた停滞。それが数千年の時を経て濃縮され、今や世界そのものを喰らい尽くす毒液へと変質していた。
「――っ、全員離れて! ガリウス様、セレナさん、防護結界を最大展開してください!」
ルークスの叫びが、混乱の渦にある里に響き渡る。
彼の目の前には、ポイントという名の「皆の想い」が結晶化した巨大な装置――『聖域専用・深層魔導耕耘機(アース・シェイカー)』が鎮座していた。
五万ポイント。
それは、リーフ村の人々がルークスの農法で救われ、日々「ありがとう」と微笑んでくれたことで積み上がった、感謝の結晶だ。リサが手紙に綴った温もりや、ゲルトが不器用ながらに守り続けた畑の記憶が、今、この巨大な鋼の塊となって具現化している。
(……ごめん、みんな。村のために貯めておいた大切なポイントだけど、ここで全部使わせてもらうよ。あそこにある「当たり前の幸せ」を、この里にも作るために!)
ルークスはアース・シェイカーのグリップを両手で強く握りしめた。
鉄の冷たさが掌に伝わり、それと同時に、装置に組み込まれた魔導回路がルークスの意識とリンクする。視界には、これまでのどの農具とも違う、複雑怪奇なシステムログが奔流となって流れ込んできた。
『警告:聖樹の深層根に「特異汚染物質」を検知。これは既存の生態系に属さない「外的侵食」の痕跡です。』
『侵食率:82%。聖域の基幹システム(聖樹)に致命的な論理エラーが発生しています。』
(外的侵食……まさか、設定資料集にあった「世界の捕食者」の欠片か!?)
ルークスの脳裏に、設定資料集の記述が過る。
この世界の「理」を喰らう宇宙的災害。聖樹が病んでいた本当の理由は、単なる魔力の淀みではない。過去の捕食者が残した「傷跡」が、伝統という名の停滞を利用して、エルフたちの精神と聖域の土壌を内側から腐らせていたのだ。
「――そんなクソみたいなバグ、俺が全部デフラグ(最適化)してやる!」
ルークスが起動レバーを、全身の体重をかけて引き絞った。
ドォォォォン!! という、大地を揺らす腹に響くような重低音が響き渡る。
アース・シェイカーの先端に備えられた幾重にも重なる魔導の刃が、超高速回転を始め、周囲の魔力を強引に吸い込みながら黄金の粒子を撒き散らし、聖域の硬い大地へと突き刺さった。
「フェン! 最大出力だ! 根の奥にこびりついた『黒い奴』を、引きずり出すぞ!」
「ガゥゥゥゥ――ッ!!」
伝説の魔獣が、主の呼びかけに応えて咆哮した。
フェンの漆黒の身体から、純白の魔力がアース・シェイカーへと流れ込む。魔導と農具が完璧に共鳴し、装置は眩いばかりの光を放ちながら、聖樹の根元を深く、より深く穿(うが)っていく。
掘り起こされた土の中から、粘りつくような「黒い霧」が溢れ出した。
それは不定形の悪意、見ているだけで正気を失わせるような、世界の理に反する「異物」。エルフたちが「伝統」と呼んで大切に抱えていた闇の正体が、今、白日の下に曝される。
それは蠢く触手のような影となり、アース・シェイカーの回転刃に絡みつこうとする。
「……あれが、聖樹様を苦しめていた元凶……!? 我らが守ってきたものは、このような醜悪なものだったというのか!」
結界を維持していたガリウスが、驚愕に目を見開いた。
彼らが数千年、触れてはならない、変えてはならないと信じ込んできた停滞の正体は、世界を喰らう怪物の残り香に過ぎなかったのだ。
「耕せ! アース・シェイカー!!」
ルークスは返り血のような黒い泥を浴び、汗を飛び散らせながら、全力でグリップを押し込んだ。
装置の振動が腕を伝わり、骨を軋ませる。だが、ルークスの心はかつてないほど冷静だった。
ブラック企業の激務で培った、絶望的なバグを執念で特定し、一つ一つ潰していく分析力と持続力。それが今、異世界の聖域を救う「最強の農法」となって炸裂していた。
アース・シェイカーの刃が、聖樹の根に絡みつく黒い澱みを次々と断ち切り、微細な黄金の粒子へと粉砕していく。
粉砕された闇は、ルークスが事前に土壌に仕込んでいた『魔導分解酵素』によって、今度は聖樹を癒やすための「純粋な栄養」へと再構成されていった。
破壊と再生の同時進行。それは、農民ルークスにしか成し得ない、命の循環作業だった。
一分、五分、十分。
死闘のような耕作が続いた後、ついに、最後の一塊の黒い闇が、黄金の光の中に霧散した。
シュゥゥゥ……。
激しい咆哮を上げていたアース・シェイカーの回転が止まり、耳が痛くなるような静寂が戻る。
すると、どうだろう。
濁っていた聖樹の樹液は、透き通ったエメラルド色へと変わり、枯れかけていた枝先からは、瑞々しい新芽が一斉に吹き出し始めた。
降り注ぐ光は、もはや静止した燐光ではない。風に揺れ、踊り、生命の喜びを歌う、暖かな陽光だった。
「……勝った、のか?」
ルークスは膝をつき、激しく肩で息をした。
手はマメで潰れ、全身泥だらけだ。だが、その顔には、前世のオフィスでは決して浮かべることのなかった、最高の達成感が宿っていた。
「主よ、見事だ。……だが、腹が減ったぞ。あの黄金のスープ、三杯は用意してもらわねば割に合わん」
フェンがルークスの頬をペロリと舐める。
それを見て、セレナやアクア、そしてガリウスまでもが、吸い寄せられるように少年の元へと駆け寄った。
「ルークス殿……貴方は、本当に……」
ガリウスは言葉を失い、ただ少年の泥だらけの手を、震える両手で固く握りしめた。
伝統が崩れ、未来が芽吹いた瞬間。
聖域を包む風は、どこかリーフ村で嗅いだ、あの「幸せな土の匂い」に似ていた。
しかし、消え去った黒い澱みの残滓は、空高く舞い上がり、遥か遠く、王都の地下で不気味な微笑を浮かべる男の元へと届いていたことを、今のルークスはまだ知らない。
【読者へのメッセージ】
第百六十五話をお読みいただき、ありがとうございます!
聖域を蝕んでいた「世界の捕食者」の影。それを農具(アース・シェイカー)で耕し、栄養に変えてしまうという、ルークスにしかできない強引かつ合理的な解決策、いかがでしたでしょうか。
ガリウス長老も、ついにルークスを「希望」として認めました。
聖樹は甦りましたが、世界にはまだ多くの「淀み」が残っています。そして王都のジルヴァ……。
物語は一つの大きな節目を超え、さらなる激動へと向かいます!
「これぞなろうの醍醐味!」「ルークスの泥臭さが最高!」と思ってくださった方は、ぜひ【評価】【感想】【ブックマーク】で応援をよろしくお願いいたします!
次話、第百六十六話「エルフの里の大収穫祭」。勝利の味は、どんなスープよりも美味いはずです。お楽しみに!
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