ブラック企業でポイントを極めた俺、異世界で最強の農民になります

はぶさん

文字の大きさ
192 / 278

第百九十話:おかえりと、あたたかなスープ

しおりを挟む

 地下水路の湿った闇から這い出し、夜の冷気に触れた瞬間、肺の奥まで凍りつくような錯覚を覚えた。
 月明かりが、静まり返ったリーフ村の小道を青白く照らしている。遠くで夜鳥が鋭く鳴く声が響き、それが現実の世界に戻ってきた唯一の証拠のように思えた。

「……ふぅ、やっと、戻ってきたな」

 俺の声は掠れ、足元はおぼつかない。泥と、自分のものではない返り血で汚れた服が、夜風に吹かれて体温を奪っていく。全身の筋肉が「もう一歩も動きたくない」と悲鳴を上げ、視界の端では使い切ったポイントウィンドウが虚しく『15pt』という数字を点滅させていた。

 この15ポイントは、地下から村へ辿り着くまでの間、無意識に道に転がっていた大きな石を端に寄せたり、力なく項垂れる街路樹の枝を整えたり、あるいは瀕死のフェンを片時も離さず抱えて歩き続けたことへの、システムからの微々たる「歩数・善行ボーナス」だろう。
 かつて一万五千あった数字に比べれば、あまりにも心もとない。だが、どん底からでもポイントは貯まるのだという事実は、今の俺にとって奇妙な救いだった。

 腕の中には、心地よい重みと温もりがあった。
 クゥ、と鼻を鳴らしたのはフェンだ。
 一時はあのジルヴァによって命の灯火が消えかけていた相棒。若体期への強引な覚醒という無理をさせたせいで、今は元の小さな子犬の姿に戻り、泥のように眠りこけている。
 一万五千ポイントという、俺が心血を注いで積み上げてきた「貯金」は、すべて消えた。
 明日買うはずだった、母さんのための石鹸も、父さんのための丈夫な軍手も、マキナが楽しみにしていた精製された真っ白な砂糖も。
 
 だが。
 
 腕の中に伝わる、トクトクという一定のリズムを刻む心臓の鼓動。
 前世のあの夜、俺がどれだけ望んでも、どんなに効率的にポイントを稼いでも手に入らなかった「大切な奴の命」が、今、ここにある。

「……ポイントなんて、また貯めればいい。な、フェン」

 俺は誰に聞かせるでもなくそう呟き、村の外れにある、見慣れた我が家の灯りを目指した。

---

 我が家の扉の前に立ち、一つ深呼吸をする。
 漏れ出すオレンジ色の灯火が、夜の闇を優しく切り取っていた。
 震える手で木製の扉を押し開けると、建付けの悪い蝶番が、夜の静寂を破るような甲高い音を立てた。

「――ただいま」

 その一言が終わるか終わらないかのうちに、奥の台所から激しい足音が響いてきた。

「ルークス! あんた、こんな時間までどこをほっつき歩いて……!」

 現れたのは、母のリリアだった。手に持っていたおたまを放り出しそうになりながら、俺の姿を見て、彼女は目を見開いた。

「な、なによその格好! 怪我してるじゃない! 血まで……っ!」

「あはは……ちょっと、森で派手に転んじゃって。心配かけてごめん」

 咄嗟についた嘘は、自分でも驚くほど下手くそだった。
 ブラック企業時代、無理が祟って倒れそうになっても「大丈夫です」と笑って誤魔化してきた。あの頃と同じ、一人で抱え込もうとする悪い癖だ。
 
 ジルヴァという異常な男との戦い、世界の理から外れたスキルの応酬。そんなことを話しても、母さんは理解できないだろうし、何よりこれ以上心配をかけたくなかった。

「森で転んで、服がこんなにボロボロになるわけないでしょ! あんたって子は、いつもそう! 一人で勝手に危ないことして、涼しい顔して……!」

 母さんの声が震えている。彼女は俺の泥だらけの頬を、汚れるのも構わずに両手で包み込んだ。その手の温もりが、戦いで強張っていた俺の心をじわりと溶かしていく。

「馬鹿ね……本当に、大馬鹿者なんだから……」

 母さんの目から大粒の涙がこぼれ、俺の泥汚れを洗い流すように滴った。
 叱責。それは、俺を失うことを何よりも恐れた、深い愛情の裏返しだった。

「リリア、そこまでにしておけ。ルークスは戻ってきたんだ」

 奥の部屋から、父のアルフレッドが静かに姿を現した。
 彼は多くを語らなかったが、俺の下手な嘘など疾うに見抜いているだろう鋭い、けれど慈愛に満ちた眼差しで俺を見た。そして、何も聞かずに、節くれだったその大きな手を俺の肩に置いた。
 
 その手の重みだけで、十分だった。
 俺は、自分がどれだけの人々に支えられ、愛されているかを、今更ながらに痛感した。
 いつか……いつか、この強くて優しい家族に、すべてを打ち明けられる日が来るだろうか。自分一人で抱え込まずに、心から頼ることができるだろうか。そんな願いが、温かな痛みと共に胸に去来した。

---

「さあ、いつまでそこに立ってるの。お風呂は無理でも、体を拭いて、温かいものを食べなさい。ほら、フェンちゃんもこっちへ」

 母さんは涙を拭うと、すぐにいつものテキパキとした動きに戻った。
 食卓には、ルークスが以前提供した『だしの素』を隠し味に使った、野菜たっぷりのスープが並べられた。

「おにーちゃん! フェンちゃんも!」

 目をこすりながら起きてきたマキナが、俺の膝に飛びついてくる。俺は、いつもの小さな姿で「クゥ」と甘えるフェンをマキナに預け、用意されたスープを一口啜った。

「……あつい。けど、うまいな」

 野菜の甘みと、出汁の深いコクが、疲れ切った胃に染み渡る。
 ポイントで交換した豪華なフレンチや珍味なんかじゃない。リーフ村の痩せた土地で、家族が必死に育て、母さんが愛情を込めて煮込んだ、ただの「スープ」だ。
 
 けれど、これこそが俺の求めていた「スローライフ」の真髄だった。
 前世の俺は、深夜のオフィスでカップ麺を啜り、スマホでポイントの変動レートを眺めるだけの食事を「効率的」だと思い込んでいた。
 だが、今の俺にはわかる。
 大切な家族の顔を見ながら、今日あったことを(嘘を交えつつも)語り合い、同じ鍋の料理を囲む。
 この「無駄」で「非効率」な時間こそが、命を繋ぐために最も必要な栄養素なのだ。

 フェンも、マキナに小さく切ってもらったパンの切れ端を、寝ぼけ眼で幸せそうに咀嚼している。一時は若体期へと背伸びをして戦った反動か、今はただの食いしん坊な子犬に戻って、尻尾をパタパタと振っていた。
 一万五千ポイント。
 失った数字は大きいが、後悔はない。
 
「……よし、決めた」

「何を決めたの、ルークス?」

 母さんが首を傾げる。

「ううん、何でもない。明日から、また畑仕事、頑張ろうと思ってさ」

 俺はスープを最後の一滴まで飲み干した。

---

 翌朝。
 窓から差し込む眩しい朝日と共に、俺は目を覚ました。
 昨夜の疲れはまだ残っているが、不思議と体は軽かった。
 枕元で、お腹を出して仰向けに寝ているフェンの腹を軽く突っつく。

「おい、フェン。起きろ。仕事の時間だぞ」

「クゥ……? あるじ……まだ、ねむい。……あ、あさごはん……?」

 フェンの念話も、いつもの幼い、けれど愛らしい響きに戻っていた。
 俺は一人で苦笑しながら、視界の端にポイントウィンドウを呼び出した。

【現在の所持ポイント:15pt】

 あまりの少なさに、思わず笑いが漏れる。
 前世なら、一ヶ月分の給料が振り込まれた直後に残高が数百円になったような絶望感に襲われていただろう。
 だが、今の俺は違う。
 
 俺はクワを手に取り、裏庭の畑へと向かった。
 冬を前に、土を休ませるための手入れが必要だ。堆肥の具合も確認しなければならないし、冬越しの野菜の苗も植えたい。
 
 ふと、昨夜ジルヴァが去り際に見せつけた「幾何学的な黒い石」の、魂まで凍てつかせるような冷たさを思い出した。
 一瞬、クワを握る手にぐっと力が入り、指先が白くなる。
 あのような理不尽な絶望が、この穏やかな村を、俺の家族を狙っている。
 守らなければならない。そのためには、もっと知識を、もっと力を、そしてもっと多くのポイントを積み上げなければ。

 畑の雑草を一粒抜くたびに、1ポイント。
 土を耕し、家族の笑顔を守るために汗を流すたびに、少しずつポイントが積み上がっていく。

 派手な魔法も、世界を救う勇者の称号も、今の俺には必要ない。
 俺は、この辺境の小さな村で、一人の「農民」として生きていく。
 
 ジルヴァが残した予兆や、世界の捕食者という不穏な影は、依然としてそこにある。
 けれど、俺は負けない。
 この穏やかな日常を守るためなら、俺は何度でも、一からポイントを積み上げてみせる。

「いくぞ、フェン。まずはあの区画の雑草抜きからだ!」

「クゥ! ごほうびの……ひまわり油のお菓子……わすれないでね!」

 相棒の元気な返事を聞きながら、俺は朝露に濡れた土に、力強くクワを打ち込んだ。
 俺の、新しい「スローライフ」が、ここからまた始まるんだ。

---


読者の皆様、第百九十話「おかえりと、あたたかなスープ」をお読みいただきありがとうございました!
激戦を終え、ルークスが本当の幸せを再認識する「癒やし回」となりました。
一万五千ポイントという大きな財産を失っても、なお前を向くルークスの姿に、勇気をもらっていただければ幸いです。

次回からは、冬の足音と共に、辺境伯領に新たな動きが……?
ルークスの農業知識が、今度は村全体をどう変えていくのか。
ぜひ【評価】や【ブックマーク】で、ルークスの「一からのポイント稼ぎ」を応援してあげてください!
皆様の感想も、心よりお待ちしております!
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

現代知識と木魔法で辺境貴族が成り上がる! ~もふもふ相棒と最強開拓スローライフ~

はぶさん
ファンタジー
木造建築の設計士だった主人公は、不慮の事故で異世界のド貧乏男爵家の次男アークに転生する。「自然と共生する持続可能な生活圏を自らの手で築きたい」という前世の夢を胸に、彼は規格外の「木魔法」と現代知識を駆使して、貧しい村の開拓を始める。 病に倒れた最愛の母を救うため、彼は建築・農業の知識で生活環境を改善し、やがて森で出会ったもふもふの相棒ウルと共に、村を、そして辺境を豊かにしていく。 これは、温かい家族と仲間に支えられ、無自覚なチート能力で無理解な世界を見返していく、一人の青年の最強開拓物語である。 別作品も掲載してます!よかったら応援してください。 おっさん転生、相棒はもふもふ白熊。100均キャンプでスローライフはじめました。

辺境の落ちこぼれと呼ばれた少年、実は王も龍も跪く最強でした

たまごころ
ファンタジー
村で「落ちこぼれ」と呼ばれた少年アレン。魔法も剣も使えず、追放される運命だった。 だが彼の力は、世界の理そのものに干渉する“神級スキル”だった。 自覚のないまま危機を救い、美女を助け、敵を粉砕し、気づけば各国の王も、竜すらも彼に頭を下げる。 勘違いと優しさと恐るべき力が織りなす、最強無自覚ハーレムファンタジー、ここに開幕!

転生社畜、転生先でも社畜ジョブ「書記」でブラック労働し、20年。前人未到のジョブレベルカンストからの大覚醒成り上がり!

nineyu
ファンタジー
 男は絶望していた。  使い潰され、いびられ、社畜生活に疲れ、気がつけば死に場所を求めて樹海を歩いていた。  しかし、樹海の先は異世界で、転生の影響か体も若返っていた!  リスタートと思い、自由に暮らしたいと思うも、手に入れていたスキルは前世の影響らしく、気がつけば変わらない社畜生活に、、  そんな不幸な男の転機はそこから20年。  累計四十年の社畜ジョブが、遂に覚醒する!!

【完結】ここって天国?いいえBLの世界に転生しました

三園 七詩
恋愛
麻衣子はBL大好きの腐りかけのオタク、ある日道路を渡っていた綺麗な猫が車に引かれそうになっているのを助けるために命を落とした。 助けたその猫はなんと神様で麻衣子を望む異世界へと転生してくれると言う…チートでも溺愛でも悪役令嬢でも望むままに…しかし麻衣子にはどれもピンと来ない…どうせならBLの世界でじっくりと生でそれを拝みたい… 神様はそんな麻衣子の願いを叶えてBLの世界へと転生させてくれた! しかもその世界は生前、麻衣子が買ったばかりのゲームの世界にそっくりだった! 攻略対象の兄と弟を持ち、王子の婚約者のマリーとして生まれ変わった。 ゲームの世界なら王子と兄、弟やヒロイン(男)がイチャイチャするはずなのになんかおかしい… 知らず知らずのうちに攻略対象達を虜にしていくマリーだがこの世界はBLと疑わないマリーはそんな思いは露知らず… 注)BLとありますが、BL展開はほぼありません。

英雄将軍の隠し子は、軍学校で『普通』に暮らしたい。~でも前世の戦術知識がチートすぎて、気付けば帝国の影の支配者になっていました~

ヒミヤデリュージョン
ファンタジー
帝国辺境でただ静かに生き延びたいだけの少年・ヴァン。 彼に正義感はない。あるのは、母が遺したノートに記された、物理法則を応用した「高圧魔力」の理論と、徹底した費用対効果至上主義だけだ。 敵国三千の精鋭が灰燼城に迫る絶望的状況。ヴァンは剣を振るわず、心理戦と補給線攪乱だけで、たった三日で敵軍を撤退させる。 この効率的すぎる勝利は帝国の中枢に届き、彼は最高峰の帝国軍事学院への招待状を手に入れる。 「英雄になりたいわけじゃない。ただ、母の死の真相と父の秘密を知るため、生き残らなきゃならないだけだ」 無口最強の仮面メイド・シンカク、命を取引に差し出した狼耳少女・アイリ。彼は常にコスパの高い道を選び、母の遺したノートの謎、そして生まれて一度も会ったことのない父・帝国大元帥のいる帝都の闇へと踏み込んでいく。 正義も英雄も、損をするなら意味がない。合理主義が英雄譚を侵食していく、反英雄ミリタリー学園ファンタジー。

侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】

のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。 そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。 幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、 “とっておき”のチートで人生を再起動。 剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。 そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。 これは、理想を形にするために動き出した少年の、 少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。 【なろう掲載】

出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜

シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。 起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。 その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。 絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。 役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。

処理中です...