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第百九十三話:使者と、旅立ちの決意
しおりを挟む朝霧が深く立ち込めるリーフ村に、鋭く、それでいて統制の取れた蹄の音が響き渡ったのは、収穫祭の熱気がようやく静まりかけた数日後のことだった。
霧の向こうから現れたのは、朝日に銀色の鎧を眩く輝かせる数騎の騎士たち。その中央で、一際体格の良い軍馬に跨る男が、手綱を引き、村の広場で馬を止めた。
「……ここが、リーフ村か。噂に違わぬ、豊かな土の匂いがする」
騎士の名はギデオン。辺境伯レオナルドの「懐刀」と呼ばれ、数々の修羅場を潜り抜けてきた厳格な武人だ。その鋭い眼光が村を見渡すと、農作業の手を止めた村人たちの間に、波紋のような緊張が広がっていく。
平穏で泥臭い日常に、突如として舞い込んだ「格式」という名の非日常。
(……主よ、面倒な匂いの奴らが来たぞ。焦げた鉄の匂いと、少しばかりの傲慢な匂いだ)
俺の足元で、フェンが低く唸りながら念話を送ってくる。見た目は愛らしい黒い子犬だが、その瞳の奥には伝説の魔獣「ブラックフェンリル」の片鱗が宿っている。
ギデオンの馬――数々の戦場を経験し、魔物にも怯まぬよう訓練された熟練の軍馬が、不意に足を止め、子犬であるはずのフェンを避けるように大きく一歩退いた。
「……? どうした、落ち着け」
ギデオンは、愛馬が示した奇妙な怯えに僅かな違和感を覚え、眉を潜めて足元の黒い塊を凝視した。だが、フェンがすぐさま尻尾を振って「ただの可愛い子犬」を装うと、ギデオンは首を振り、馬上で居住まいを正した。彼は懐から、王国の紋章が刻印された重厚な羊皮紙を取り出した。
「ルークス・グルト殿とお見受けする。辺境伯レオナルド閣下、そして国王リアム陛下よりの特命である。貴殿の作った『奇跡の作物』、そして『伝説の菓子』の噂は、既に王都の玉座まで届いている。……陛下は、来る新年の拝賀、および作物の献上品として、貴殿を辺境伯閣下と共に王都へと招きたいとの仰せだ。閣下は既に、領都ランドールにて貴殿を待っておられる」
その言葉が響いた瞬間、広場は水を打ったように静まり返り、次の瞬間には爆発的なざわめきに包まれた。
「ルークスが王様に!」「やっぱりあのプリンが運命を変えたんだ!」と、村人たちが誇らしげに、けれどどこか遠くへ行ってしまうような寂しげな目で俺を見つめる。
俺は冷徹に状況を分析した。行商人クラウスが王都へ戻ってから、あまりにも展開が早い。あのプリンの噂は、既に俺のスローライフという堤防を越え、巨大な濁流となって世界を飲み込み始めているのだ。
---
その日の夜、グルト家の食卓は、これまでにない重苦しい沈黙に包まれていた。
いつもなら、ルークスが持ち込んだ「だしの素」が香るスープを囲み、マキナの笑い声と母さんの小言が響くはずの場所。だが今は、並べられた野菜スープの湯気だけが、ゆらゆらと頼りなく揺れている。
「……王都、か。遠いんだよね、お兄ちゃん。歩いてはいけない場所なんだよね」
マキナが、大好きだった果実飴を舐めるのも忘れて俺を見上げる。その瞳には、こぼれ落ちそうな不安が滲んでいた。
俺は、他人を頼るのが致命的に下手だ。前世のブラック企業時代、どれだけ仕事が山積みになっても、「自分が徹夜すれば済むことだ」とすべてを独りで抱え込んできた。
今回も、王都に渦巻くであろう宰相オルコら旧来の権力者たちの陰謀、ジルヴァが残した「解析不能の黒い石」への不安、そして『世界の捕食者』という不気味な影……。それらすべてを俺一人で背負って、家族を安全なこの村に残すべきだと思っていた。
「……行かなくていいわよ、ルークス。お断りしましょう」
母のリリアが、震える声で言った。彼女の手は、俺が収穫祭で贈った「最高級ひまわりの石鹸」を、まるで命綱のように握りしめている。
「王様からの命令なんて、私たちはただの農民だもの。そんな大層な場所に行かなくても、ここでみんなで畑を耕して、質素でも一緒に笑って過ごせれば、それでいいじゃない。ねえ……?」
母さんの震える声。前世で「家族」という存在を知らず、誰にも看取られずに孤独な死を迎えた俺にとって、その温もりは何よりも守りたい、この人生最大の「報酬」だった。ここで首を横に振れば、平穏な日常は続くかもしれない。
だが。俺の脳裏には、あの地下水路で感じた、世界の理が喰われるような恐怖がこびりついている。
この村の平穏を守るためには、農民の知恵だけでは足りない。より広範な知識、強力なスキル、そして王家との強固なコネクション――それを手に入れるための「ポイント」が必要なのだ。
「……父さん。俺は、行ってみたいんだ」
俺は、黙ってスープを啜っていた父アルフレッドを真っ直ぐに見据えた。
父さんはゆっくりと匙を置き、俺の目を見つめ返した。その眼差しは、俺の「自分だけで背負おうとする傲慢」をも見透かしているようだった。
「ルークス。お前は昔から、俺たちの想像もつかないような遠い場所を見ているようだったな。……俺は、お前を単なる子供だと思ったことは一度もない」
父さんの低く、重厚な声。
「農民にとって一番大切なのは、自分の足で立つ土を選ぶことだ。お前が、王都という厳しい土で何かを育て、俺たちの未来を耕したいと願うなら、行け。……家族のことは心配するな。この家と畑は、俺が死んでも守り抜く。お前は、お前の信じる『豊かさ』を掴んできなさい」
「……父さん」
「必ず帰ってきなさい。一週間でも、一ヶ月でも……たとえ一年かかっても、あんたの場所はここにあるんだから。いいわね、ルークス」
母さんが、俺の泥だらけの手をぎゅっと握りしめた。
一人で抱え込まなくていい。俺が外で戦っている間、家族は家族でここを守ってくれる。その信頼こそが、今の俺が手に入れた、どんなポイントアイテムよりも強力なバフ(補正)だった。いつか、この世界を救ったその時こそ、俺はすべてを家族に打ち明けよう。そう、心に誓った。
---
翌朝、村の入り口には、全村人が集まっていた。
村長ハンスさんが代表して前に出る。
「ルークス。王都の貴族連中に、リーフ村の農民の底力を見せてやれ。……それと、この村はお前の『家』だ。いつだって、温かいスープを用意して待っておるからな。……行け! 後のことはワシらに任せろ!」
老婆マーサは涙を拭い、少女リサは「お兄ちゃん、かっこいい王様になってね!」と大きく手を振っている。
俺は、馬車に乗り込む前に、視界の隅にポイントウィンドウを呼び出した。
【現在の所持ポイント:1,850pt】
一万五千を失い、土産交換を経て残ったこの数字。王都という未知の魔境に挑むには、あまりにも心許ない。
旅路や王都で不測の事態が起きた時、俺自身を守るための『身体能力強化【初級】』を取得するには、あと「48,150pt」も足りないのだ。今の俺は、文字通り無防備な農民に過ぎない。
(……稼がなきゃな。俺たちの『楽園』を、守り抜くために)
「いくぞ、フェン。お前、馬車の座席を汚すなよ?」
(ふん、王都にはどんな贅沢な獲物がいるのか、楽しみだ。……主よ、退屈だけはさせないでくれよ? お前の『ポイント攻略』、隣で特等席で見せてもらうからな)
フェンが俺の膝に飛び乗り、騎士ギデオンの先導で馬車がゆっくりと動き出す。
遠ざかっていく、黄金色の稲穂と、見慣れたリーフ村の景色。
俺は農民。最強の、そして、家族と笑い合うための究極のスローライフを追求する農民だ。
王都編、開幕。
俺の新しい「攻略」が、今、始まった。
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読者の皆様、第百九十三話「使者と、旅立ちの決意」をお読みいただきありがとうございました!
これにて第1章「辺境伯領・村編」に区切りがつき、物語はいよいよ新章「王都編」へと突入します。
家族との絆、そして村の人々の想いを背負い、ルークスがどのように王都の荒波を渡っていくのか。
第2章でも、農民の知恵とポイントを駆使した「最強の成り上がり」を、圧倒的な熱量でお届けします!
続きが気になる、応援したいと思ってくださった方は、ぜひ【評価】や【ブックマーク】をお願いします!
皆様の一票が、王都でのルークスの「初期ポイント」になります!
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