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第百九十六話:密室の甘い香りと、街道の刺客
しおりを挟む領都ランドールを出発した馬車は、王都へと続く石畳の街道を滑るように進んでいた。
車内には、ルークスが『収納魔法』から取り出した上質なスライムレザーのクッションが敷かれ、長旅の振動は最小限に抑えられている。だが、向かいに座るエレナ様の表情は、その物理的な快適さとは裏腹に、石像のように硬く強張っていた。
「……ルークス様、申し訳ありません。貴方までこのような危険な旅に巻き込んでしまって」
彼女の白磁のような指先が、ドレスの裾を強く握りしめすぎて白くなっている。
政略結婚の噂、そして見えない敵からの圧力。深窓の令嬢にとって、この煌びやかな馬車での旅は、処刑台への行進にも等しい恐怖なのだろう。窓の外を流れる景色すら、彼女の目には灰色に映っているのかもしれない。
「巻き込まれたんじゃありませんよ。俺が勝手に付いてきたんです。それに……」
俺は『収納魔法』から、水筒と小さな包みを取り出した。
昨夜、領都の市場で安く仕入れた干し果実と、村から持参した乾燥ハーブ、そして貴重な精製砂糖(100pt)を少量使って仕込んでおいた「特製フルーツティー」だ。
「少し休憩にしましょう。甘いものは、不安を溶かす一番の特効薬ですから」
コップに注がれた琥珀色の液体から、ドライフルーツの凝縮された甘酸っぱい香りと、ハーブの爽やかな清涼感が、狭い車内にふわりと広がる。
エレナ様が驚いたように顔を上げた。
「これは……とても良い香り……。まるで、果樹園の風を閉じ込めたような」
「どうぞ。毒見はフェンが済ませてますから」
(主よ、また私を毒見役扱いするか。……だが、確かに悪くない味だったぞ。砂糖の配分が絶妙だ)
足元でフェンが尻尾をパタパタと振る。
エレナ様がおずおずと口をつけると、その瞳が大きく見開かれ、強張っていた頬に血色が戻り、薔薇色に染まった。
「……甘い。でも、しつこくなくて……胸のつかえが、すぅっと消えていくようです」
「良かったです。俺の村では、疲れた時はこうして甘いものを摂るのが鉄則なんですよ。脳に糖分が行けば、悪い想像も止まりますから」
嘘だ。村にはこんな洒落た飲み物はない。これは前世のカフェ巡りの記憶と、ブラック企業時代に疲れたOLの先輩に差し入れをして「気が利く後輩」として可愛がられた経験のハイブリッドだ。
だが、効果は覿面(てきめん)だった。エレナ様は小さく息を吐き、カップを両手で包み込むようにして、ようやく年相応の柔らかな微笑みを見せてくれた。
「ルークス様は……魔法使いのようですね。私の不安を、こうして美味しい魔法で消してしまうのですから」
その言葉に、俺が照れ隠しの軽口を返そうとした、その時だった。
「――グルルッ!!」
足元のフェンが、かつてないほど鋭い唸り声を上げ、全身の毛を逆立てた。
愛らしい子犬の瞳が、一瞬だけ黄金色の獣のそれへと変わる。
同時に、馬車が急ブレーキをかけたような衝撃と共に停止し、外から騎士たちの怒号が響く。
「敵襲! 全周警戒! 数は……多いぞ!」
俺は窓のカーテンを少しだけ開けた。
夕暮れの街道。その前方を塞ぐように、異様な集団が群れていた。
オークだ。それも、通常の倍近い体格をし、目が血走った個体が、十体以上。
(主よ、臭うぞ。獣の臭いじゃない。……焦げた薬草のような、甘ったるくて不快な臭いだ)
フェンの念話が脳裏に響く。
野生の魔物じゃない。明らかに何らかの薬物で「興奮状態」にさせられ、意図的にこの場所へ誘導された群れだ。
王都からの「歓迎の挨拶」というわけか。
「エレナ様、車内でじっとしていてください。フェン、行くぞ」
「ル、ルークス様!? 外は危険です! 貴方は戦う訓練など……!」
「大丈夫です。畑を荒らす害獣駆除は、農民の本職ですから」
俺はニヤリと笑い、馬車の扉を開けた。
外では、ギデオン率いる騎士たちが奮戦していたが、オークたちの皮膚は異常に硬化しており、剣が通りにくいようだった。痛みを感じないのか、斬りつけられても止まらずに突進してくる。
「くっ、なんだこいつらは! 斬撃が浅い! まるで岩だ!」
「ギデオンさん、下がってください! まともにやり合っちゃダメだ!」
俺は『収納魔法』を全開にし、中から数個の布袋を取り出した。
中身は、村で『唐辛子』の品種改良に失敗してできた、劇薬レベルのカプサイシンを含んだ超激辛乾燥粉末。本来なら廃棄するはずだった「失敗作」だが、ここでは最強の兵器となる。
「フェン! 若体期の力で、風を起こせ!」
「承知した! 主よ、巻き込まれるなよ!」
フェンが一瞬だけ若体期の一端を解放し、青白い魔力と共に突風を巻き起こす。
俺はその風に乗せて、袋の中身――唐辛子パウダーをオークの群れの顔面に向けて散布した。
「ブモォォォォォッ!? ガアアアアアッ!?」
粘膜を焼く激痛に、オークたちが悲鳴を上げ、目と鼻を押さえてのたうち回る。興奮剤で痛みを感じなくなっていても、生物としての反射、呼吸器への刺激までは消せない。咳き込み、涙を流し、統率が完全に崩壊する。
「今だ! 足元を狙え!」
俺はさらに、追撃として『スライムの粘液(未加工)』が入った樽を『収納魔法』から取り出し、地面にぶち撒けた。
視界を奪われ、パニックになったオークたちは、ヌルヌルとした粘液に足を取られ、次々と自重で倒れ込み、無防備な肉塊と化した。
「……な、なんだあの戦い方は……。魔法でも、剣技でもない……」
騎士たちが呆気にとられる中、俺は冷静に指示を飛ばす。
「ギデオンさん、今なら関節の隙間が狙えます! 一気に片付けましょう!」
「は、はいっ! 総員、突撃!! ルークス殿に後れを取るな!」
混乱し、地面に這いつくばったオークたちを、騎士たちが的確に処理していくのに時間はかからなかった。
戦闘終了後、俺はオークの死体の一体から、首輪のような革紐に括り付けられた小さな香炉を見つけた。中からは、フェンの言った通り、独特の甘ったるい薬草の臭いが漂っている。
「……やはり、人為的なものか。誘導香の一種だな」
俺はそれを握り潰し、粉々にして風に飛ばした。
これで証拠は消えたが、メッセージは受け取った。「引き返せ」、あるいは「ここがお前の墓場だ」という王都からの警告。
だが、そんな脅しで止まるようなら、そもそも農民なんてやっていない。
視線を上げる。
夕暮れの向こう、街道の先に、巨大な城壁のシルエットが黒々と浮かび上がっていた。
王都エストリア。
この国の中心であり、腐敗と陰謀、そして無限のポイントが眠る場所。
「ルークス様……」
馬車から降りてきたエレナ様が、俺の隣に並び、その威容を見つめて震えていた。
俺は彼女の冷たくなった手を、今度は力強く握り返した。
「行きましょう、エレナ様。あれが俺たちの新しい畑(戦場)です。どんなに荒れていようと、害獣がいようと、俺が必ず、最高の楽園に耕してみせますから」
エレナ様が俺を見上げ、涙を拭って、強く頷く。
その瞳には、もう迷いはなかった。
俺たちは手を繋ぎ、巨大な魔都の門へと、一歩を踏み出した。
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読者の皆様、第百九十六話「密室の甘い香りと、街道の刺客」をお読みいただきありがとうございました!
王都からの最初の洗礼を、農民の知恵(激辛パウダー)で見事に撃退しました。
エレナ様との甘いひとときと、ルークスの頼もしさ。
この二人の絆があれば、王都の闇も怖くない……はず!?
次回、第百九十七話「魔都の光と影」。
いよいよ王都に入城です。煌びやかな貴族街の裏に潜むスラム、そしてルークスが選ぶ意外な「拠点」とは?
続きが気になる方は、ぜひ【評価】や【ブックマーク】をお願いします!
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