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第百九十七話:魔都の光と影、そしてボロ宿
しおりを挟む夕暮れの茜色が、西の空をゆっくりと浸食していく刻限。
俺たちの乗った馬車は、街道の先にそびえ立つ、巨大な「人工の山脈」のごとき城壁を見上げていた。
王都エストリア。
この国の心臓部であり、富と権力、最先端の魔導技術、そして底知れぬ欲望が渦巻く魔都。その巨大な正門の前には、入城を待つ商人たちの荷馬車や、旅人の一団が、まるで巨大な蛇のように長蛇の列を作っていた。
「……でかいな。リーフ村の裏山よりも高いんじゃないか?」
俺は馬車の窓から首を出し、天を突くような灰色の城壁を見上げた。その厚みと高さは、いかなる魔物の侵攻も、あるいは中の住民の逃走も許さないという、絶対的な権威の象徴だ。
検問所では、銀の鎧を着た衛兵たちが厳しい顔つきで荷物を改め、身分証を持たない者や、少しでも怪しい風体の者を怒号と共に弾いている。
「おい! そこの荷車、積み荷の申告と違うぞ! 裏へ回れ!」
「待ってください、これはただの干し草で……!」
怒号と懇願が入り混じる喧騒。だが、辺境伯家の紋章――「大盾と剣」が刻まれた我々の豪華な馬車が近づくと、空気は一変した。
衛兵隊長らしき男が慌てて駆け寄り、直立不動の姿勢で敬礼をする。他の衛兵たちも、列を作っていた商人たちを強引に退かせ、道を空けた。
「開門ッ! 辺境伯レオナルド閣下の御一行だ! 最優先でお通ししろ!」
重厚な鉄の扉が、軋み一つなく左右に開いていく。
特権階級のフリーパス。前世で満員電車に揺られ、社員証を忘れて守衛に止められ、頭を下げていた日々を思い出し、俺は少し複雑な気分になる。これが、この世界の「ルール」であり、俺がこれから利用し、あるいは戦わなければならないシステムなのだ。
門をくぐると、そこには文字通りの「別世界」が広がっていた。
白亜の石材で統一された美しい街並み。ゴミ一つ落ちていない、鏡のように磨き上げられた石畳の大通り。夕闇が迫ると同時に、道路脇に等間隔で設置された魔導具の街灯が一斉に淡い魔石の光を放ち始め、夜を昼に変えていく。
行き交う人々は皆、色鮮やかな絹やベルベットの服を纏い、ショーウィンドウには巨大な宝石や、魔法で温度管理された珍しい花々が並んでいる。
(主よ、鼻が曲がりそうだ。高い香水と、化粧品の匂いが充満している。……それに、どこか空気が薄いな。生き物の、土の匂いがしない)
膝の上で、フェンが不満げに鼻をひくつかせ、前足で鼻先を擦った。
確かに、ここは綺麗すぎる。作られた美しさ。管理された繁栄。俺のような土にまみれた農民にとっては、酸素が足りないような息苦しさを感じる場所だ。
---
馬車は貴族街を抜け、王城に隣接する「上級貴族居住区」へと入っていく。
今日の目的地は、ここにある辺境伯家の王都別邸だ。
重厚な門をくぐり、彫刻の施された噴水のある前庭を抜けて馬車寄せに到着すると、そこには既に数名の出迎えが整列していた。
だが、その先頭に、明らかに異質なオーラを放つ人物が立っていた。
痩身で長身。神経質そうに整えられた口髭と、感情を一切読み取らせない、氷の湖面のような瞳。
仕立ての良い漆黒の礼服に身を包み、片目に銀縁の片眼鏡(モノクル)を光らせたその男は、馬車から降りたレオナルド閣下とエレナ様に対し、慇懃無礼なほど深々と、しかし機械的な動作で頭を下げた。
「……ようこそ、王都へ。レオナルド辺境伯閣下。そして、エレナ様」
声に温度がない。まるで、書類の文字を無機質に読み上げているような響き。
「出迎えご苦労、宰相オルコ殿。わざわざ足を運んでいただけるとは、恐悦至極」
レオナルド閣下の声が硬くなる。
宰相オルコ。この国の実権を握り、砂糖利権を牛耳り、そして俺たちをここに呼び寄せた張本人。
オルコはゆっくりと顔を上げ、その片眼鏡の奥の瞳で、閣下からエレナ様へ、そして最後に――俺へと視線を移した。
値踏みするような、冷たく粘着質な視線。
まるで解剖台の上の蛙を見るような目に、俺の背筋に冷たいものが走る。だが、俺は背筋を伸ばし、努めて平静を装って見つめ返した。ここで目を逸らせば、一生「家畜」扱いだ。
数秒の、永遠にも感じる沈黙。
オルコは興味を失ったように、鼻を小さく鳴らした。
「……ふん。泥の臭いがするな。……王都の石畳を汚さぬよう、せいぜい足元にはお気をつけを。ここは、田舎の畦道とは違いますので」
それだけを言い残し、彼は音もなく踵を返して、闇の中へと消えていった。
直接的な罵倒よりも、遥かに重い圧力。「お前など眼中にないが、邪魔ならいつでも踏み潰せる」という、圧倒的な強者の余裕。ジルヴァのような狂気とは違う、システムそのものが持つ暴力性を感じた。
「……行きましょう、ルークス様。……ルークス様?」
青ざめたエレナ様が、俺の袖を引く。
俺たちは別邸の玄関ホールへと案内されたが、俺はそこで立ち止まった。
「エレナ様。辺境伯閣下。……俺は、ここには泊まりません」
「え……? どういうことですか? お父様は、貴方のために一番良い客室を用意させて……」
「感謝します。ですが、俺は農民です。こんな綺麗な籠の中じゃ、落ち着いて土いじりもできません」
それは建前だ。本音は、ここ(貴族の領域)にいては、オルコの監視の目が厳しく、自由に動けないからだ。ポイントを稼ぎ、王都の情報を集めるには、もっと泥臭く、混沌とした場所が必要だ。
「俺は下町に宿を取ります。そこで、王都の『空気』を肌で感じてみたいんです。……それに、あの宰相の鼻を明かすための種まきは、綺麗な花壇じゃできませんから」
「……分かりました。ルークス様のことですもの、きっと何かお考えがあるのですね」
エレナ様は一瞬寂しげな表情を見せたが、すぐに気丈に、信頼を込めて微笑んだ。彼女もまた、ここで戦う覚悟を決めているのだ。
「必ず、迎えに来ます。この王都を、貴方が笑って歩ける場所に変えてから」
「はい。……お待ちしております、私の『魔法使い』様」
俺たちは手を振り合い、一時的な別れを告げた。
彼女は煌びやかな社交界という、見えない刃が飛び交う戦場へ。
そして俺は、路地裏という名の、俺の戦場へ。
---
貴族街を出て、一般居住区を抜け、さらに奥にある「下町(ダウンタウン)」――通称・貧民街へと足を踏み入れると、街の空気は劇的に一変した。
整備されていた石畳はひび割れ、泥と汚水が溜まり、鼻をつく腐臭が漂っている。
魔導具の街灯などあるはずもなく、建物から漏れる薄暗いランプの光だけが頼りだ。
道端には痩せた犬が寝そべり、ボロボロの服を着た子供たちが走り回り、路地裏からは酔っ払いの怒鳴り声が聞こえてくる。
「……ひどい場所だ。主よ、本当にこんなところに住むのか? 毛並みが汚れるぞ。ノミが移りそうだ」
フェンが心底嫌そうに顔をしかめ、俺の足に必死にしがみついてくる。
だが、俺の目は違った。
俺の視界に映っているのは、汚いスラムではない。
(……おい見ろよフェン。あそこの路地裏、木箱の残骸が山積みだ。あれなら乾燥させて『焚き付け』に加工して売れる。……あっちの食堂の裏、野菜くずが大量に捨てられてるぞ。あれを『コンポスト』で発酵させれば、この王都では手に入らない最高級の肥料になる!)
俺は口元が緩むのを抑えきれなかった。
ここは、ゴミ捨て場じゃない。
未開拓のポイント鉱脈、宝の山だ!
貴族たちが「汚い」と見捨てたもの全てが、俺の知識とスキルを通せば「資源」に変わる。ポイントに変わる。
この掃き溜めこそが、俺が「最強」へ至るための最高の畑なのだ。
「さて、まずは拠点(ベースキャンプ)を探すか」
俺が目をつけたのは、下町のさらに奥、今にも崩れそうな看板を掲げた一軒の店だった。
『夕暮れ亭』。
名前は風流だが、実態は窓ガラスが割れて板で塞がれ、扉が蝶番から外れかけて斜めになった、廃墟寸前の食堂兼宿屋だ。周囲の店と比べても、その「死に体」ぶりは際立っている。
「ごめんください」
ギィィ、と不快な音を立てて扉を無理やり押し開けると、薄暗く埃っぽい店内で、一人の頑固そうな初老の男が、カウンターで安酒を煽っていた。
「……あぁ? 今日はもう仕舞いだよ。ていうか、出す飯もねぇ。客なんて一ヶ月は来てねぇよ。帰んな」
男は俺を一瞥もしない。完全にやる気を失い、人生に絶望したような、死んだ目をしている。
俺はカウンターに歩み寄り、ポケットから銀貨を一枚、チャリンと音を立てて置いた。
「飯はいりません。部屋を借りたいんです。……それと、この店を少し『いじる』許可をください」
「いじる……? ボウズ、ここはもう終わった店だ。ネズミしか出ねぇぞ。金があるなら、もっとマシな宿に行きな」
「構いませんよ。俺は農民ですから、荒れ地を開墾するのは得意なんです」
俺はニヤリと笑った。
立地は最悪。設備はボロボロ。客はゼロ。店主のやる気もゼロ。
つまり、これ以上下がりようがない「底値」の物件。
ここを俺のポイント稼ぎの拠点とし、さらにこの店を繁盛させれば……そのリターンは計り知れない。
「名前は? 親父さん」
「……ゲイルだ。……好きにしな」
「俺はルークス。これからよろしく、ゲイルさん」
俺は埃まみれの床を見回した。
掃除だけで100pt。修繕で500pt。害虫駆除で……。
皮算用を弾く俺の脳内には、既にチャリンチャリンという軽快な音が鳴り響いていた。
魔都の光と影。
その一番深い影の底から、最強の農民の逆襲が始まる。
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読者の皆様、第百九十七話「魔都の光と影、そしてボロ宿」をお読みいただきありがとうございました!
ついに始まった王都生活。
宰相オルコの冷たい洗礼を受けつつも、ルークスは下町のゴミ山に目を輝かせています。
「ボロ宿の再生」という、なろう系小説の王道かつ大好物な展開! ワクワクしませんか?
次回、ボロ宿『夕暮れ亭』の大改革!
ポイントと現代知識(掃除・DIY・害虫駆除)で、死にかけの店をどう蘇らせるのか。
そして、下町の人々を驚かせる「新メニュー」とは?
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