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第二百二十四話:境界の森、肥料の香りに精霊が舞う
しおりを挟むリーフ村を離れ、荷馬車に揺られること数日。
俺たちの目の前には、空を突くような巨木が壁のように連なる、聖樹連合国の入り口『境界の森』が姿を現していた。
王都の華やかさとも、リーフ村の素朴さとも違う。そこにあるのは、息が詰まるほどに整い、一分の乱れもなく「清浄」を強制されたような、静止した世界だった。
「……ここから先が、我が祖国への門だ。ルークス殿、ここからは細心の注意を払ってもらいたい。許可なき者が一歩でも踏み込めば、森そのものが意思を持って牙を剥く」
二日酔いからようやく回復したエルウィンが、白銀の鎧を鳴らして緊張の面持ちで告げる。
だが、俺は彼の警告を聞き流しながら、馬車から降りて足元の土を軽く蹴り上げた。
「……なるほどな。綺麗すぎて、死んでるな、この土」
「な……っ!? 死んでるだと!? ここは世界で最も清浄な、精霊の愛し子たる大地だぞ!」
「清浄? 違うな。ただの『無菌室』だ。見てみろよ、虫一匹いやしない。下草も生えず、落ち葉すら精霊の力で即座に分解(消去)されてる。……エルウィン団長、これじゃあ土に『深み』が出ない。数千年もこの状態なら、マザーが枯れるのも当然だ。……例えるなら、数千年もサプリメントだけで生きさせられてるようなもんだぞ」
俺の言葉に、フィオナが「相変わらず不敬な……」と頭を抱える。
だが、俺は構わず荷馬車の荷台を覆っていた遮光シートを、一気に剥ぎ取った。
ドォォォォォン……!
その瞬間、馬車に山積みにされた『黄金堆肥』から、閉じ込められていた生命の奔流――もとい、強烈なまでの「完熟発酵臭」が、静まり返った森の空気へと解き放たれた。
それは腐敗ではない。死を糧に、数億の微生物が蠢き、新たな命へと変換される際の、暴力的なまでの熱気と芳香だ。
「……っ!? な、なんだ、この、鼻を突くほどに濃密な魔力の匂いは……!?」
エルウィンが仰天して鼻を押さえた、その時だった。
キィィィィィィン……!
森の奥から、数万の鈴を一度に鳴らしたような、甲高い音が響き渡った。
何事かと身構えるエルフたちの視線の先。
森の奥から、無数の光の筋が、猛スピードで俺たちの荷馬車を目掛けて殺到してきた。
「し、襲撃!? 精霊たちが怒っているわ! 不浄な匂いを放つルークスを排除しようと――」
フィオナが杖を構え、悲鳴のような声を上げる。
だが、光の筋――森の守護者であるはずの『下級精霊』たちは、俺に体当たりするどころか、荷台の堆肥の山へと一斉にダイブした。
パチパチパチ、ピカピカ!
「……え?」
フィオナが、間の抜けた声を漏らした。
目の前では、光り輝く精霊たちが、茶色い堆肥の山の中で「うっひょー! なんだこれ!」「美味い、魔力が濃すぎる!」「最高だ、泥浴び最高!」とばかりに、全身を土まみれにして転げ回っていた。
高潔なはずの精霊たちが、クソ(の完熟品)にまみれて恍惚と震えている。
「……精霊が……我らが敬い、祈りを捧げてきた森の神使たちが……不浄な人間の肥溜めに……交尾でもするかのように身を委ねている……。私の……私の数千年の常識は、一体……」
エルウィンが膝から崩れ落ちる。その横で、俺は眉をひそめて手を振り回した。
「おい、こら! お前ら、タダ食いするな! それはマザーへの『商談品』だぞ! シッシッ! 養分が減るだろうが!」
精霊をハエのように追い払う俺。だが、堆肥に餌付けされた精霊たちは、俺の腕にすり寄り、もっと食わせろと言わんばかりに甘い光を放つ。
「チッ、行儀の悪い害虫どもめ。……やっぱり精霊除けの強力な農薬も持ってくるべきだったか。……おい、新人! 呆けてないでシートを閉じるのを手伝え!」
「だ、誰が新人よ! ……っていうか、精霊様に農薬って何よぉぉぉ!」
フィオナの叫びが響く中、森の奥から、さらなる気配が迫ってきた。
巨木の枝の上から、音もなく現れた十数名の影。
翠色の装束に身を包み、聖樹の木で作られた弓を構える、国境警備隊の『レンジャー部隊』だ。
「止まれ、不法侵入者! その不浄な毒物を持ち込む不届き者め、今すぐ森の土に還して――」
警備隊長らしき男が、非情な宣告と共に指を離そうとした、その時。
彼の肩に乗っていた、彼の相棒であるはずの風の精霊が、突如として隊長の顔面に体当たりを喰らわせた。
「ぐはっ!? なんだ、何をするシルフィード! 相手はあっちだぞ!」
だが、精霊は聞く耳を持たない。それどころか、他のレンジャーたちの弓弦をプツプツと切ったり、矢を風で明後日の方向へ曲げたりし始めた。
精霊たちは一様に、ルークスの荷馬車を指差し、「邪魔するな!」「この肥料を運ぶ者を傷つけるな!」「俺たちの飯(堆肥)を守れ!」と、主であるエルフたちを攻撃し始めたのだ。
「な、なぜだ!? なぜ精霊たちが、我らを裏切り、人間に味方する!? 一体、どんな禁忌の魔法を……」
「魔法じゃない。ただの接待だよ」
俺は、精霊たちに囲まれてキラキラと発光しながら、呆然とする警備隊長の前を悠々と通り過ぎた。
「おい、そこ。邪魔だ。早く通してくれ。俺の仕事は『マザー』の業務改善なんだ。これ以上時間を食うなら、あんたらの分の肥料(ボーナス)、削るぞ?」
「……ひ、肥料……?」
警備隊長は、自分の守護精霊に頬をペチペチと叩かれながら、呆然と俺の背中を見送るしかなかった。
馬車は、混乱する境界の森を抜け、さらに奥深くへと進んでいく。
俺の隣では、フィオナが魂の抜けたような顔で、自分の服に付いた堆肥の粒に群がる精霊たちを眺めていた。
「……やれやれ。エルフの森の『妖精』ってのは、ずいぶんと食い意地が張ってるんだな。……フェン、お前も食べたいのか?」
『……断る。私は誇り高きブラックフェンリルだ。……だが、あの精霊たちがトランス状態に陥るほどの「美味」……少し興味がないわけではない』
「よし、お前には後で『特製・骨付き肉』をやるよ。……さて、次はどんな『伝統(バグ)』が待ち構えてるのか。……エルフの長老ども、首を洗って待ってろよ。俺のクワで、その凝り固まった常識を、根こそぎ耕してやるからな」
俺は、アイテムボックスに詰め込まれた「土壌分析キット」の感触を確かめながら、ブラック企業時代に何度も経験した「現場調査(アセスメント)」の興奮に、不敵な笑みを浮かべた。
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**【読者へのメッセージ】**
いつも応援ありがとうございます!
第二百二十四話、いかがでしたでしょうか?
「神聖な精霊」を、肥料の匂い一つで「ただの食いしん坊」に変えてしまったルークス。
エルフたちが築き上げてきた鉄壁の防衛網も、精霊たちの「腹の虫」には勝てませんでした。
いよいよエルフの本国へと足を踏み入れたルークス一行。
「伝統」という名の放置によって病んだマザーツリーを前に、彼はどんな「近代農業(ブラック処方箋)」を提示するのでしょうか?
「精霊たちがチョロすぎる(笑)」「ルークスの『農薬』発言が物騒w」と思ってくださった方は、ぜひ【評価・感想・ブックマーク】をお願いします!
皆様の声が、ルークスの堆肥をさらに発酵(加速)させます!
次回、第二百二十五話――「大聖樹の診断、それは『根詰まり』です」。お楽しみに!
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