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第二百三十五話:深夜の来客、国王陛下のお忍びラーメン
しおりを挟む深夜二時。
王都を揺るがした「リーフ横丁」の狂乱も、夜の帳(とばり)が深まると共に静寂へと沈んでいった。
数百あった赤提灯の灯りは落とされ、今はただ一灯、店先に揺れる古びた提灯だけが、路地の闇を頼りなく照らしている。
俺、ルークス・グルトと、公爵ガルドは、祭りの後の静けさに包まれた店内で、後片付けをしていた。
床にはビールの空き瓶が転がり、空気には炭火の残り香と、微かなアルコールの匂いが漂っている。
「……ふぅ。凄まじい夜だったな。まさか、用意した焼き鳥二千本が完売するとは」
ガルド公爵が、心地よい疲労感と共にパイプ椅子(ビールケース)に腰を下ろす。
俺は寸胴鍋の火加減を見ながら、タオルで汗を拭った。
「大盛況でしたね。……さて、公爵。腹減ってませんか? 俺たちも『締めの一杯(まかない)』といきましょう」
「ほう、締めか。焼きおにぎりはもう米が切れているぞ?」
「いえ、違うものです。……この時間帯にだけ許される、悪魔の食べ物ですよ」
俺が鍋の蓋を開けようとした、その時だった。
カラン、コロン……。
入り口の引き戸が、遠慮がちに開いた。
隙間風と共に現れたのは、フードを目深に被った、一人の老人だった。
供の者もいない。着ている服も地味な外套だ。だが、その背中には隠しきれない重圧と、深い疲労が滲んでいる。
「……すまぬ。赤提灯の光がまだついていたのでな。……何か、腹に入るものはあるかね?」
枯れた、しかし芯のある声。
ガルド公爵が、その声を聞いた瞬間に弾かれたように立ち上がり、青ざめた顔で凝視した。
「……その声、まさか……! へ、陛下!? レグルス陛下であらせられますか!?」
「しっ、声が大きいぞ、ガルド。……今の余は、ただの腹を空かせた、不眠症の老人だ」
フードを取ったその顔には、一国の王としての威厳よりも、終わりのない激務に疲れ果てた「孤独な労働者(サラリーマン)」の哀愁が漂っていた。
王城の豪華な食事も、今の彼には砂を噛むようなものなのだろう。
「……いらっしゃい。席はどこでも空いてますよ」
俺は動じず、カウンターの特等席を布巾で拭いた。
相手が王だろうが神だろうが、腹を空かせて暖簾をくぐれば、それは「客」だ。
「……すまぬな。城の食事は冷たくて、味がしなくてな。……ここなら、熱いものが食えると聞いた」
王が重い腰を下ろす。
俺は寸胴鍋の前に立ち、腕まくりをした。
「ちょうど今から、『ラーメン』を作るところです。……陛下、脂っこいものは大丈夫ですか?」
「……医者からは止められておる。血圧がどうとか、脂質がどうとか……。だが、今夜はどうしても、身体が『濃いもの』を求めて叫んでいるのだ」
「了解です。……共犯者になりましょう」
俺は、取り置きしていた小麦粉の山に、ある魔法の粉を振りかけた。
『かんすい(炭酸ナトリウム)』。
中華麺を中華麺たらしめる、アルカリ性の魔法だ。
「……水と粉を混ぜただけなのに、生地が黄色く変わっていく? それに、この独特の香りは……?」
ガルド公爵が鼻をヒクつかせる。
小麦粉とかんすいが化学反応を起こし、グルテンの弾力と、アンモニア臭にも似た、しかし食欲を猛烈に刺激する特有の香りが立ち上る。
俺はそれを手際よく打ち、包丁で切り出す。
あえて太さを不揃いにした、手揉みの「中太縮れ麺」。
次はスープだ。
俺はカツ丼作りで余った『聖樹ポーク』の骨――ゲンコツや背骨を、二日間煮込み続けた寸胴鍋の蓋を開けた。
ボワァァァァッ……!
立ち上る、白濁した濃厚な湯気。
骨の髄まで溶け出した、乳白色の豚骨スープ。そこに、昨日完成したばかりの「特製醤油ダレ」を丼の中で合わせる。
「……茶色い。だが、味噌汁とは違う……もっと動物的で、力強い香りだ」
王が喉を鳴らす。
俺は茹で上がった麺を湯切りし、スープの中へ泳がせる。
具材は、トロトロに煮込んだチャーシュー、煮玉子、ネギ、海苔。
そして、仕上げだ。
「……陛下。雪を降らせますよ」
俺は煮込んだ豚の背脂を、ザル越しにチャッチャッと振りかけた。
熱々のスープの上に、甘い脂の粒子が雪のように降り注ぎ、黄金色の膜を作る。
「お待ちどうさん。『聖樹ポークの背脂醤油豚骨ラーメン』です」
ドンッ。
王の前に置かれたのは、深夜2時に摂取するにはあまりにも背徳的で、あまりにも魅力的な、カロリーの塊。
「……これが、ラーメン……。表面に脂が浮いている……。毒々しいまでの迫力だ……」
王の手が震える。理性が「体に悪い」と警告し、本能が「食え」と命令する。
その葛藤を断ち切るように、濃厚な醤油と豚骨の香りが鼻腔を侵略した。
王はレンゲを手に取り、スープをひと口飲んだ。
――ズズッ。
「……っ!?」
王の目がカッと見開かれた。
ガツンとくる塩気。豚骨のクリーミーな旨味。そして背脂の甘み。
それらが混然一体となり、疲労した脳髄に直接快楽物質を流し込んでくる。
「……濃い。なんと濃い味だ。上品さなど欠片もない。だが……身体の芯から、熱いものが込み上げてくる。冷え切っていた胃袋が、歓喜の声を上げているぞ……!」
「陛下、麺が伸びます。……ラーメンってのは、こうやって食うんです」
俺は自分の丼を持ち上げ、ズルズルズルッ! と行儀悪く音を立てて麺をすすった。
「音を立てる……だと? 王族たるもの、食事中に音など……」
「空気と一緒に一気に吸い込むことで、香りが口の中で爆発するんです。この店じゃ、音を立てるのが最高の礼儀ですよ」
王は一瞬躊躇したが、意を決して箸で麺を持ち上げた。
縮れた麺には、スープと背脂がしっかりと絡みついている。
「……ええい、ままよ! ……ズ、ズズ……ズズズズッ!!」
王都の静寂に、国王が麺をすする音が響き渡った。
「……むぐっ、はふっ! ……なんだこの食感は! パンのようなパサつきはない、モチモチとして、歯を押し返すような弾力! そして喉越し! スープが麺に絡みついて離れない!」
一度タブーを破れば、あとは転げ落ちるだけだ。
王は、額に汗を浮かべながら、無心で麺をすすり続けた。
ズズッ、ハフハフ、ズズズッ!
その顔からは、「君主」の重い仮面が剥がれ落ち、ただの「美味しいものを食べる幸せな老人」の素顔が覗いている。
「チャーシューが……口の中で溶けたぞ!?」
「この黒い煮玉子……黄身が半熟だ! スープに溶かすと味が変わる!」
ガルド公爵も隣で、「ぬおおお! この背脂! 血管が詰まりそうだが止まらん!」と叫びながら完食している。
そして数分後。
――プハァァァァァァ…………。
王は、丼を両手で持ち上げ、最後の一滴までスープを飲み干した(完飲)。
満足げに息を吐き、丼をカウンターに置く。
「……ふぅ。……余は満足だ。……久々に、『生きた』心地がした」
王は懐からハンカチを取り出し、口元の脂を拭った。その表情は、来た時とは別人のように血色が良く、穏やかだった。
「……ルークスよ。この『ラーメン』という料理……そしてこの店。……余の『直轄地』に認定してもよいか? 王宮の料理人に命じて、毎晩作らせたいのだが」
「勘弁してください。俺はただの農家です。……それに、ラーメンは、こういうむさ苦しい場所で、深夜にこっそり食うから美味いんですよ」
「……ふっ、違いない。玉座で食う味ではないな」
王は席を立ち、再びフードを目深に被った。
だが、その足取りは軽く、背中の重荷は少しだけ軽くなっているように見えた。
「……礼を言う。また、腹が減ったら寄らせてもらうぞ」
「へい。いつでもお待ちしてますよ、旦那」
王は笑い声を残し、赤提灯の灯りが消えかけた闇の中へと消えていった。
ガルド公爵が、放心状態で呟く。
「……信じられん。あんなに楽しそうな陛下の御尊顔、数年ぶりに見た……」
「……ラーメン一杯で国が平和になるなら、安いもんでしょう?」
俺は空になった丼を洗いながら、夜明け前の空を見上げた。
王都の夜は、豚骨の香りと共に更けていく。
俺のスローライフ(という名の飯テロ活動)は、ついに国の頂点さえも陥落させたのだった。
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**【読者へのメッセージ】**
いつもご愛読ありがとうございます!
第二百三十五話、いかがでしたでしょうか?
深夜のラーメン。それは人類にとっての「救い」であり「罪」です。
国王陛下も、背脂とニンニクの誘惑には勝てませんでした。
「ズズズッ」という音と共に、国の重圧が溶けていく瞬間。
これにて王都編(屋台編)はひとまずの区切りです。
しかし、ルークスの元には次なる「食材」の情報が……?
「深夜にラーメン食べたくなった!」「飯テロが過ぎる!」と思ってくださった方は、ぜひ【評価・感想・ブックマーク】をお願いします!
皆様の応援が、ルークスのスープをさらに濃厚にします!
次回、第二百三十六話――「帰郷、そして新たなる開拓地『海』へ」。お楽しみに!
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