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第二百六十一話:霧の海の歌声と、人魚姫との邂逅。海底都市へのダイブ!
しおりを挟むシー・サーペントのステーキで腹を満たし、再び舵を切ってから数時間。
俺たちの乗る『移動式スローライフ号(魔導キャンピングカー)』は、まるで世界と世界の境界線を越えたかのように、異様な海域へと足を踏み入れていた。
視界ゼロ。
さっきまでの突き抜けるような青空と、南国の太陽はどこへやら、あたかも牛乳の中に飛び込んだかのような、濃密な白霧が世界を覆い尽くしていた。
「……前が見えないな。おい、ゴーレム・ドライバー。ソナーの感度を上げろ」
俺の指示に従い、青い半透明の腕がコンソールを操作する。
だが、モニターに映し出されるのは、砂嵐のようなノイズと、意味不明な羅列データだけだ。
「ダメか。磁場も魔力も乱れている。……これは自然の霧じゃないな」
俺は眉をひそめた。
窓の外は、不気味なほど静かだ。波の音さえも、霧に吸い込まれて消えていくようだ。
先ほどまでのバーベキューの熱気は消え失せ、完全空調の車内にも、ひんやりとした湿った空気が忍び込んできているような錯覚を覚える。
「ルークス様……なんだか、怖いですわ。お化け屋敷みたい……」
エレナ様が、不安げに自分の二の腕を抱いた。
マキナもフィオナも、窓に張り付くのをやめ、ソファの上で小さくまとまっている。
「大丈夫ですよ。この車の装甲はアダマンタイト級です。幽霊船が出たって、正面から体当たりで粉砕できます。物理で解決できないお化けはいません」
「物理的な解決法すぎます……」
俺が軽口で空気を和ませようとした、その時だった。
――ラァ……ァ……。
微かな音が、霧の向こうから聞こえてきた。
風の音ではない。鳥の声でもない。
それは、明確な旋律を持っていた。
『……海は……泣いている……』
『……青き……ゆりかごは……黒く……染まり……』
「歌……?」
俺は耳を澄ませた。
透き通るような、しかしガラス細工のように繊細で、触れれば壊れてしまいそうな儚い歌声。
それは美しくも、胸が締め付けられるほどに悲しげな響きを帯びていた。
「これは……セイレーンの誘惑(チャーム)ではないな」
助手席で目を閉じていたガリウス所長が、静かに目を開けた。その瞳には、魔導師としての警戒色が宿っている。
「鎮魂歌(レクイエム)だ。……死に行く者へ捧げる、弔いの歌だ。それも、ただならぬ魔力が込められている」
「弔い……?」
その言葉に背筋が寒くなった瞬間。
前方の霧が揺らいだ。
「主よ! 2時の方向! 何かが来るぞ! 水中からだ!」
フェンが叫ぶと同時に、俺はハンドルを大きく切った。
ザバァァァッ!!
霧を切り裂いて、海面から何かが飛び出してきた。
「きゃあっ!?」
それは、一人の少女だった。
月光を織り込んだような銀色の長い髪が、濡れて体に張り付いている。
透き通るような白い肌。
そして下半身は、エメラルドグリーンの宝石のような鱗に覆われた、魚の尾びれ。
人魚だ。
おとぎ話そのものの姿をした人魚が、波間に浮かんでいた。
だが、その姿はあまりにも痛々しかった。
美しい鱗はあちこちが剥がれ落ち、白い肌には赤黒い裂傷が走り、彼女の周囲の海水を赤く染めている。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ!」
彼女は肩で息をしながら、必死に泳ぎ、何かから逃げようとしていた。
その背後に迫るのは、黒い影。
さっきの霧よりもさらに濃い、コールタールのような粘り気のある闇が、意思を持った触手のように海面を這い、彼女の尾びれに絡みつこうとしていた。
「助け……て……!」
彼女が手を伸ばした先には、俺たちのキャンピングカーがあった。
その瞳は、絶望の淵で見つけた、蜘蛛の糸のような希望に縋っていた。
「――総員、戦闘配置!」
俺は叫んだ。迷っている暇はない。
このために、80万ポイント払ったんだ。ただのレジャー用じゃない、これは「動く要塞」だ。
「フェン、右舷! あの黒い影を吹き飛ばせ! マリアさん、救護準備! 最高級ポーションを惜しむな! エレナ様たちは伏せて!」
「承知!」
「はい、ルークス様!」
俺はコンソールを叩き、武装システムを起動した。
「喰らえ! 高圧洗浄(ハイプレッシャー・ウォーター)キャノン!」
車体上部から、本来は洗車や泥汚れを落とすための放水砲が展開される。
だが、魔力で極限まで加圧された水流は、鉄板をも貫く水圧カッターとなる。
バシュゥゥゥッ!!
高圧の水流が、人魚に迫っていた黒いヘドロを直撃した。
ジュワッ、と肉が焼けるような嫌な音を立てて、ヘドロが霧散する。
「今だ! マジックハンド、展開!」
車体側面から伸びたアームが、海面に落ちそうになっていた人魚の体を優しくキャッチした。
そのまま引き上げ、サイドドアから車内へと収容する。
「か、確保しました! ……酷い怪我です!」
マリアさんが駆け寄り、すぐにポーションを振りかける。
俺は運転席から振り返り、その少女を見た。
薄れゆく意識の中で、彼女は俺の方を見て、安堵したように微笑んだ。
「あ……声の……主……」
そして、彼女は糸が切れたように気を失った。
◇
数十分後。
マリアさんの手当と、俺が提供した『エリクサー入り特製ジュース』の効果で、人魚の少女は意識を取り戻した。
彼女はリビングのソファに身を横たえ、不思議そうに車内を見回していた。
濡れた髪や体は、自動乾燥魔法ですでに乾かされている。
「気がついたか?」
俺が声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせ、そして俺を見て、深々と頭を下げた。
「……助けていただき、ありがとうございます。私は、この海の底にある国『ティル・ナ・ノーグ』の王女、マリーナと申します」
王女。
やっぱり、あのSOSの主か。
彼女は気品のある仕草で、しかし憂いを帯びた瞳で俺たちを見つめた。
「あの黒い影は……『澱(おり)』です。海を蝕む、呪いのようなもの。私たちの国は今、あれに包囲されています」
「包囲されている? じゃあ、国のみんなは?」
「……まだ、ドーム状の結界の中にいます。ですが、結界の動力源である『深海の心臓』が弱まり、もう時間は残されていません。私は、地上の勇者様に助けを求めるために、決死の覚悟で結界を出たのです」
マリーナ王女は、涙を堪えるように唇を噛んだ。
その姿に、エレナ様やマキナが同情の眼差しを向ける。
「ルークス様……」
「お兄ちゃん、助けてあげようよ! この人、泣いてるよ!」
言われなくても、そのつもりだ。
俺には「黄金マグロ」と「深海昆布」、そして「秘宝」という前金(のような約束)がある。
それに、ここまで来て、女の子の涙を見て見ぬ振りをして引き返すなんて、男が廃る。
「マリーナさん。俺たちが、君の国まで送るよ。……いや、その『澱』ごと掃除してやる」
「えっ……? で、ですが、私の国は深海に……光も届かないような場所にあります。地上の乗り物では……」
「ふふっ、甘いですね、王女様」
俺はニヤリと笑い、運転席に戻った。
そして、ダッシュボードの中央にある、ガラスケースに覆われた一番大きな赤いボタンに指をかけた。
「お客様、シートベルトをお締めください。これより当機は、『潜水モード』へと移行します」
ポチッとな。
ガション、ガション、ウィィィィン……!
車体が震え、複雑な機械音が響き渡る。
モニターには『TRANSFORM』の文字が点滅する。
巨大なタイヤがボディ内部に完全に格納され、ハッチが閉じる。
代わりに船体後部から高出力スクリューが、側面からは姿勢制御用の安定翼が展開される。
窓ガラスには『高耐久・耐圧結界』が何重にも張られ、六角形の模様が青白く発光する。
排気口が密閉され、魔導エンジンが水中駆動(酸素循環)モードへと切り替わる。
「内圧調整完了。バラストタンク注水。……ダイブ!」
俺が操縦桿を押し込むと、キャンピングカーは舳先を下げ、海面へと突っ込んだ。
ザブゥゥゥゥン……!
水しぶきが上がり、窓の外が一瞬で青一色に染まった。
ゴポポポ……という泡の音と共に、車体は深く、深く沈んでいく。
「わぁ……っ!」
マキナが窓に張り付いて声を上げた。
海中に入った瞬間、そこには別世界が広がっていた。
太陽の光が差し込み、キラキラと輝く浅瀬。
色とりどりの熱帯魚の群れが、銀色の車体に驚いて一斉に散っていく。
サンゴ礁の間を縫うように進むと、巨大なウミガメが悠々と横切っていくのが見えた。
「きれい……! まるで空を飛んでいるみたい!」
「本当ですわ……。これが、海の中……本で読んだよりもずっと……」
エレナ様もうっとりと見惚れている。
マリーナ王女も、驚きに目を見張っていた。
「地上の乗り物が……海の中を? 信じられません……。これほどの魔導技術は、古代文明にも匹敵します」
「俺のキャンピングカーに不可能はないんですよ。ローンもありませんしね。……さて、案内をお願いします、王女様」
◇
マリーナ王女のナビゲートに従い、俺たちはさらに深く、光の届かない深海へと進んだ。
水深が下がるにつれ、青かった海は群青へ、そして漆黒へと変わっていく。
ヘッドライトの光だけが頼りだ。
水圧は増しているはずだが、車内は変わらず快適そのものだ。きしみ音ひとつしない。
「……見えてきました。あれが、私の故郷です」
マリーナ王女が指差した先。
暗黒の海底に、ぼんやりとした光の塊が見えてきた。
「おおぉぉぉ……!!」
全員が息を呑んだ。
そこにあったのは、巨大なシャボン玉のようなドームに覆われた、幻想的な海底都市だった。
街路樹の代わりに植えられた巨大な発光珊瑚が、自ら七色の光を放ち、都市全体をイルミネーションのように照らし出している。
建物はすべて、真珠や巻き貝、そして透き通るクリスタルで作られており、螺旋を描く塔が天(海面)に向かって伸びている。
ドームの中を、色鮮やかな熱帯魚たちが鳥のように泳ぎ回り、光の粒子が雪のように舞っている。
ティル・ナ・ノーグ。
泡沫(うたかた)の都。
その名の通り、夢のように美しく、そしてどこか儚げな光景だった。
まるで、巨大な宝石箱を海底にひっくり返したようだ。
「すっげぇ……。竜宮城って、本当にあったんだな」
俺は素直に感動した。
これを見るためだけに80万ポイント払ったとしても、惜しくはないと思える絶景だ。
写真に撮って売れば、それだけで元が取れるかもしれない。
だが。
近づくにつれて、その美しさの「影」が見えてきた。
ドームの外壁には、先ほどの黒いヘドロ――『澱』がへばりつき、光を侵食しようとしている。
輝く珊瑚の一部は白化して崩れ落ち、街を行き交う人魚たちの姿もまばらだ。
ドーム全体が、苦しげに明滅している。
美しい都市は、確かに死にかけていた。
「ようこそ、地上の皆様」
マリーナ王女が、悲しげに、しかし誇りを持って呟いた。
「……滅びゆく、私たちの『泡沫』の都へ」
その言葉は、俺たちの冒険が、単なる観光旅行ではなく、一つの種族の存亡をかけた戦いになることを告げていた。
俺はハンドルを強く握りしめた。
上等だ。
こんなに綺麗な景色を、ヘドロごときに汚させてたまるか。
俺の『絶対耕作』で、海底だろうが何だろうが、綺麗さっぱり耕してやる。
そして、お礼はガッツリいただく。それが農民(ルークス)流だ。
【読者へのメッセージ】
第二百六十一話、いかがでしたでしょうか。
ついに海へ、そして深海へ!
霧の海での人魚姫との出会い、そして魔導キャンピングカーの「潜水モード」変形。
男の子のロマンと、女の子の憧れ(美しい海の世界)を詰め込みました。
海底都市「ティル・ナ・ノーグ」の幻想的な美しさと、そこに迫る滅びの予感。
次回、いよいよ人魚の国へ入国です。
そこで待っているのは、美味しい海産物か、それとも……?
ルークスの「耕す力」は海でも通用するのか、ご期待ください!
続きが気になる方は、ぜひブックマークと評価をお願いします!
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