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第14話 幕間・母親の涙
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祭りのような、温かい夜が更けていく。
客たちが皆帰り、静けさを取り戻した食堂で、あたしは一人、テーブルに残された空の皿を、ただぼんやりと眺めていた。
そこには、あの若き料理人――日向が作った、『ショートケーキ』とかいう菓子の、クリームの跡がわずかに残っている。
(……あいつには、敵わないね)
心の内で、そう呟く。
今日、あいつが作ったのは、ただの菓子じゃない。
あたしが、何年も、何年も、繋いでやることができなかった、リリィアの**『お父さんとの思い出』**そのものだったのだから。
リリィアのお父さん…あたしの夫だった男は、不器用な男だった。
無口で、ぶっきらぼうで、お世辞の一つも言えないような、朴念仁(ぼくねんじん)。
だが、娘のリリィアのことだけは、目に入れても痛くないほど、可愛がっていた。
料理なんて、普段は全くしない男だった。
それなのに、リリィアの誕生日の日だけは、朝から厨房にこもり、慣れない手つきで、あのお菓子を「作ろう」としていた。
本当は、旅の商人が売っていたケーキの、ただの真似事だった。でも、あいつは、リリィアをがっかりさせたくない一心で、自分の舌の記憶だけを頼りに、必死にそれを再現しようとしていた。
出来上がるのは、いつも少し焦げていて、形もいびつで、世辞にも上手いとは言えない代物。
だけど、リリィアは、その不格好なケーキを、「お父さんの味」だと言って、世界で一番幸せそうな顔で頬張っていた。
あの笑顔こそが、この宿屋の、何よりの宝物だった。
――あいつが、病で帰らぬ人となるまでは。
夫がいなくなってから、あたしは一人で、この宿屋と、リリィアを守るために、必死で働いた。
弱音なんて、吐いてる暇はなかった。泣いている時間なんて、なかった。
あたしが、母親として、父親の分まで、強くならなければならない、と。
だが、リリィアの誕生日が来るたびに、胸が締め付けられた。
「お父さんの、あのお菓子が食べたい」
そう、寂しそうに呟く娘に、あたしは何もしてやることができなかった。
怖かったのかもしれない。あたしが作ったもので、あの子の大切な、父親との思い出を、上書きしてしまうのが。
あたしでは、あの男の代わりにはなれない、と、思い知らされるのが。
だから、あたしは、見て見ぬふりをしてきた。
リリィアの寂しさに、気づかないふりをしてきたのだ。
――日向が、この宿屋に来るまでは。
あいつは、いともたやすく、あたしが何年もかけて築いてきた、意地っ張りの壁を、打ち砕いてしまった。
今日、あいつが作ったケーキの味は、夫が作っていた、あの不格好なケーキの味とは、全く違った。
完璧で、洗練されていて、寸分の隙もない、プロの味だった。
だが、リリィアは、一口食べた瞬間に、泣き崩れた。
そして、あたしにも分かった。
日向が届けたのは、夫が作った味の『再現』じゃない。
あの不器用な男が、リリィアに**『本当に届けたかった、理想の味』**そのものだったのだと。
リリィアを抱きしめながら、あたしの目からも、涙が溢れて止まらなかった。
それは、夫を亡くしてから、初めて流す、素直な涙だった。
もう、一人で強くなくてもいいんだ。
この宿屋には、あの日向という、温かくて、頼りになる、新しい家族が、いてくれるのだから。
「……ありがとうよ、日向」
誰に聞かれるでもなく、ぽつりと呟いた言葉は、静かな食堂に、優しく溶けていった。
あたしは、空になった皿を、そっと手に取った。
そして、厨房の流しで、それを丁寧に、丁寧に、洗い始める。
明日からは、また、いつもの口うるさい女将に戻ってやろう。
だが、心の中は、今日この日を境に、間違いなく、昨日よりもずっと、温かい。
それはまるで、あのショートケーキの、優しい甘さのように。
◼️◼️◼️◼️◼️
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます!皆さんの感想や、フォロー・お気に入り登録が、何よりの励みになります。これからも、この物語を一緒に楽しんでいただけたら幸いです。
客たちが皆帰り、静けさを取り戻した食堂で、あたしは一人、テーブルに残された空の皿を、ただぼんやりと眺めていた。
そこには、あの若き料理人――日向が作った、『ショートケーキ』とかいう菓子の、クリームの跡がわずかに残っている。
(……あいつには、敵わないね)
心の内で、そう呟く。
今日、あいつが作ったのは、ただの菓子じゃない。
あたしが、何年も、何年も、繋いでやることができなかった、リリィアの**『お父さんとの思い出』**そのものだったのだから。
リリィアのお父さん…あたしの夫だった男は、不器用な男だった。
無口で、ぶっきらぼうで、お世辞の一つも言えないような、朴念仁(ぼくねんじん)。
だが、娘のリリィアのことだけは、目に入れても痛くないほど、可愛がっていた。
料理なんて、普段は全くしない男だった。
それなのに、リリィアの誕生日の日だけは、朝から厨房にこもり、慣れない手つきで、あのお菓子を「作ろう」としていた。
本当は、旅の商人が売っていたケーキの、ただの真似事だった。でも、あいつは、リリィアをがっかりさせたくない一心で、自分の舌の記憶だけを頼りに、必死にそれを再現しようとしていた。
出来上がるのは、いつも少し焦げていて、形もいびつで、世辞にも上手いとは言えない代物。
だけど、リリィアは、その不格好なケーキを、「お父さんの味」だと言って、世界で一番幸せそうな顔で頬張っていた。
あの笑顔こそが、この宿屋の、何よりの宝物だった。
――あいつが、病で帰らぬ人となるまでは。
夫がいなくなってから、あたしは一人で、この宿屋と、リリィアを守るために、必死で働いた。
弱音なんて、吐いてる暇はなかった。泣いている時間なんて、なかった。
あたしが、母親として、父親の分まで、強くならなければならない、と。
だが、リリィアの誕生日が来るたびに、胸が締め付けられた。
「お父さんの、あのお菓子が食べたい」
そう、寂しそうに呟く娘に、あたしは何もしてやることができなかった。
怖かったのかもしれない。あたしが作ったもので、あの子の大切な、父親との思い出を、上書きしてしまうのが。
あたしでは、あの男の代わりにはなれない、と、思い知らされるのが。
だから、あたしは、見て見ぬふりをしてきた。
リリィアの寂しさに、気づかないふりをしてきたのだ。
――日向が、この宿屋に来るまでは。
あいつは、いともたやすく、あたしが何年もかけて築いてきた、意地っ張りの壁を、打ち砕いてしまった。
今日、あいつが作ったケーキの味は、夫が作っていた、あの不格好なケーキの味とは、全く違った。
完璧で、洗練されていて、寸分の隙もない、プロの味だった。
だが、リリィアは、一口食べた瞬間に、泣き崩れた。
そして、あたしにも分かった。
日向が届けたのは、夫が作った味の『再現』じゃない。
あの不器用な男が、リリィアに**『本当に届けたかった、理想の味』**そのものだったのだと。
リリィアを抱きしめながら、あたしの目からも、涙が溢れて止まらなかった。
それは、夫を亡くしてから、初めて流す、素直な涙だった。
もう、一人で強くなくてもいいんだ。
この宿屋には、あの日向という、温かくて、頼りになる、新しい家族が、いてくれるのだから。
「……ありがとうよ、日向」
誰に聞かれるでもなく、ぽつりと呟いた言葉は、静かな食堂に、優しく溶けていった。
あたしは、空になった皿を、そっと手に取った。
そして、厨房の流しで、それを丁寧に、丁寧に、洗い始める。
明日からは、また、いつもの口うるさい女将に戻ってやろう。
だが、心の中は、今日この日を境に、間違いなく、昨日よりもずっと、温かい。
それはまるで、あのショートケーキの、優しい甘さのように。
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*この作品は「カクヨム」様にも投稿しています。
**週1(土曜日午後9時)の投稿を予定しています。**
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