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第17話 燃え尽きた女将と、世界一の朝ごはん (17-3)
しおりを挟む朝日が、食堂に差し込み始める頃。
俺とリリィアは、完成した「世界一の朝ごはん」を、ベアトリスの部屋の前に、そっと運んだ。
テーブルの上には、俺が作った洋食プレートと、和食の膳が、湯気を立てて並んでいる。
洋食プレートには、こんがりと焼かれた手作りソーセージ、艶やかに煮込まれた豆、そして、絶妙な半熟に仕上げられた『月見うずら』の目玉焼きが、美しい彩りを添えている。
和食の膳には、ふっくらと炊き上がった白いご飯、豆腐と海藻の味噌汁、そして、脂の乗った焼き魚、ほうれん草に似た野菜のおひたし、黄金色に輝くだし巻き卵が、行儀よく並んでいた。
部屋をノックすると、少し寝ぼけたような声で、ベアトリスが出てきた。
そして、テーブルの上の、信じられないような光景を見て、目を丸くした。
「……なんだい、これは……。朝から、お祭りでも始める気かい?」
彼女は、呆れたようにそう言ったが、その目には、戸惑いと、そして、隠しきれない喜びの色が浮かんでいた。
「お母さん、おはよう! 今日はね、お母さんが、世界で一番、ゆっくりする日だよ!」
リリィアが、満面の笑みで、ベアトリスの手を引き、椅子に座らせる。
俺は、まず、温かい味噌汁のお椀を、彼女の手に持たせた。
「ベアトリスさん。まずは、これで、体をゆっくりと起こしてあげてください」
ベアトリスは、戸惑いながらも、お椀に口をつけた。
そして、一口。
その刹那。
彼女の、強張っていた肩の力が、ふっと、抜けた。
「……ああ……」
温かい出汁の、優しい旨味が、空っぽの胃に、そして、疲弊しきっていた心の隅々にまで、じんわりと、染み渡っていく。
それは、豪華な味ではない。だが、今の彼女にとって、これ以上に心と体に優しいものが、この世にあるだろうか。
彼女は、何も言わずに、ゆっくりと、一口、また一口と、朝食を味わい始めた。
炊き立てのご飯の甘み。
手作りソーセージの、肉々しい旨味。
そして、『月見うずら』の目玉焼き。その黄身を崩し、パンに乗せて食べた瞬間、彼女は、ほう、と、幸せそうなため息を漏らした。
卵の濃厚なコクと、穏やかな風味が、ささくれていた神経を、優しく撫でるように、鎮めていく。
どれくらいの時間が、経っただろうか。
やがて、二つの膳の上が、綺麗に空になった頃。
ベアトリスは、そっと、カップを置いた。
そして、ぽつりと、呟いた。
「……美味かったよ」
その一言は、いつものような、ぶっきらぼうな響きではなかった。
心の底から絞り出したような、穏やかで、そして、少しだけ、震えているような声だった。
「……あたし、忘れてたよ。こんな風に、誰かが作ってくれた朝ごはんを、ゆっくりと味わうのが、どれだけ幸せなことだったか……」
彼女の瞳から、一筋の涙が、静かに頬を伝った。
それは、悲しい涙ではなかった。
張り詰めていた緊張の糸が切れ、心の底から安堵した、温かい涙だった。
「……ありがとうよ、日向。リリィィア」
そう言って、彼女は、本当に久しぶりに、心の底からの、柔らかい笑顔を見せた。
その笑顔を見て、リリィアも、わっと泣き出した。
その日の朝、「木漏れ日の食卓亭」は、臨時休業となった。
だが、その閉ざされた扉の向こう側では、この宿屋が始まって以来、間違いなく、一番温かくて、一番幸せな「家族の朝ごはん」の時間が、ゆっくりと、ゆっくりと、流れていたという。
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