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第40話 幕間・弟子の祝福
しおりを挟む宴の熱気が、まだ肌に残っている。
夜。俺、レオは一人、『木漏れ日の食卓亭』の屋根裏部屋から、静まり返った街を、ただぼんやりと眺めていた。
手の中には、今日の主役だった花嫁、アニエスさんが、礼にと、こっそり持たせてくれた、小さなシュークリームが一つ、握られている。
(……なんだったんだ、あれは)
昼間の光景が、脳裏に焼き付いて離れない。
あの『クロカンブッシュ』とかいう、菓子の塔。
そして、それを食べた、アニエスさんの、あの涙。
俺は、まだ、混乱していた。
あの日、彼女の悲しい話を聞いた時。俺が、最初に思ったのは、「技術的な挑戦」だった。
「塔のような菓子」…ならば、王都で学んだ、飴細工の技術や、緻-密な計算に基づいたケーキ作りの知識が活かせるはずだ、と。
どうすれば、より高く、より美しく、より驚きのある菓子を作れるか。
俺の頭の中は、そのことで、いっぱいだった。
だが、師匠は、違った。
彼が、俺たちに語ったのは、技術論ではなかった。
シューの一つ一つが「祝福の言葉」であり、それらを繋ぐ飴が「壊れない絆の祈り」であるという、その菓子に込められた**『物語』**だった。
正直、最初は、理解できなかった。
日向さんの言う「心」だとか「物語」だとか、そんな曖-昧なものが、本当に、最高の料理を生み出すとは思えなかった。
だが。
あの、モグモグとかいう、不思議な生き物が、ずぶ濡れになって、あの木苺を届けてくれた時。
アニエスさんの故郷の村人たちが、見ず知らずの俺たちのために、一粒一粒、手で摘んでくれたという、あの赤い実を見た時。
俺の、心の奥深くにあった、硬い、硬い何かが、音を立てて、崩れ始めた。
(……ああ、そうか)
俺たちが作っていたのは、ただの菓子ではなかったのだ。
人と、人との、温かい**『想い』**そのものを、俺たちは、クリームに詰め、そして、高く、高く、積み上げていたのだ。
完成した、あの祝福の塔。
アニエスさんが、シューを一口食べた瞬間の、あの顔。
驚き、そして、喜び。溢れ出す、大粒の涙。
あの涙は、ただ「美味しい」というだけの涙ではなかった。
失ってしまったと思っていた、母親との、かけがえのない約束と、温かい記憶を、もう一度、その胸に抱きしめることができた、魂の涙だったのだ。
その光景を見て、俺は、初めて、心の底から、理解した。
日向さんが、俺たちに、ずっと、教えようとしてくれていたことの、本当の意味を。
料理は、技術じゃない。
料理は、物語だ。
そして、最高の料理人とは、最高の物語を、紡ぐことができる人間のことなんだ。
俺は、手の中の、最後のシュークリームを、そっと、口に運んだ。
優しいカスタードの甘みと、木苺の、甘酸っぱい香り。
それは、これまで俺が食べてきた、どんな豪華なデザ-トよりも、深く、そして、温かい味がした。
まるで、今日の、あの結婚式に集まった、全ての人々の、幸せな笑顔が、溶け込んでいるかのような。
俺は、そっと、窓の外に目をやった。
東の空が、少しだけ、白み始めている。
故郷の、王都の空とは、全く違う、穏やかで、優しい夜明け。
俺は、もう、迷わない。
俺が、この街で、この師匠の元で、学ぶべきこと。
それは、新しいレシピや、技術じゃない。
誰かの、心からの「美味しい」という笑顔のために、最高の物語を紡ぐための、その「心」のあり方だ。
若き料理人の、本当の物語は、この、夜明け前の、甘酸っぱいクリームの味と共に、静かに始まろうとしていた。
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