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第41話 エルフの使者と、火を使わない太陽のスープ(ガスパチョ) (41-3)
しおりを挟む完成したガスパチョを、俺は、ガラスの器に注ぎ、リラの部屋へと運んだ。
部屋の中は、相変わらず、静まり返っている。
リラは、ベッドの上で、青白い顔のまま、浅い呼吸を繰り返していた。
俺は、彼女の枕元に、その、太陽の色をしたスープを、そっと置いた。
ナイフも、フォークも、ない。
ただ、一本の、木の匙(さじ)を、添えるだけ。
彼女は、最初、何の反応も示さなかった。
だが、そのスープから立ち上る、どこまでも純粋で、清らかな、自然そのものの香りが、彼女の鼻腔をくすぐった瞬間。
その、閉ざされていた瞼が、ぴくりと、動いた。
(……この、香りは……)
それは、彼女が、生まれてからずっと、呼吸してきた、故郷の森の香り。
太陽の光を浴びた果実、大地に根を張る野菜、そして、月の光を浴びた、岩塩の香り。
そこには、彼女が「不純」だと拒絶してきた、火の匂いは、一切、存在しなかった。
彼女は、ゆっくりと、その弱々しい体を、起こした。
そして、震える手で、匙を手に取り、その、太陽色の液体を、一口、口に運んだ。
その刹那。
リラの、翠の瞳から、ぽろり、と、大粒の涙が、こぼれ落ちた。
「……っ!?」
口の中に広がるのは、衝撃。
完熟したトマトの、濃厚な甘みと、優しい酸味。
キュウリの、清々しい香り。
パプリカの、生命力に満ちた、ほのかな苦味。
そして、それら全てを、奇跡のようにまとめ上げている、『月の涙石』の、深く、そして、穏やかな塩味。
それは、味ではない。
**『生命(マナ)』**そのものだった。
火によって破壊されていない、純粋な、大地の恵み。その奔流が、彼女の、乾ききっていた魂を、優しく、優しく、潤していく。
「……美味しい……」
ぽつりと、彼女が、何か月ぶりかに、発した言葉。
「……体が……喜んで、いる……」
彼女は、もう、誰のことも見ていなかった。
ただ、子供のように、夢中で、そのスープを、飲み干していく。
一口、また一口と、飲むごとに、彼女の、青白かった顔に、少しずつ、温かい血の気が、戻ってくるのが分かった。
やがて、器が空になった頃。
リラは、匙を置くと、俺の顔を、真っ直ぐに、見つめた。
その瞳には、もう、病の影はない。
ただ、純粋な、感謝と、そして、畏敬の念だけが、宿っていた。
「……人間の料理人よ。……あなたの、名を、聞かせてください」
「日向、耕介です」
「……日向、耕介。……私は、あなた方の『料理』を、誤解していたようです。……感謝します。この御恩は、エルフの民にかけて、決して忘れはしません」
この日、一人の料理人が、食文化という、最も高い壁を、乗り越えた。
そして、この、一杯の冷たいスープが、いずれ、人間とエルフという、決して交わることのなかった、二つの種族の間に、温かい友好の橋を架ける、最初の礎(いしずえ)となることを、まだ、誰も知らなかった。
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